第16話 『信長症候群』2

 比叡山での戦いが終わった後、私たちはこの時代に作られた先生の館で作戦を練ることにした。

 この特別な館の中と外では時間の流れが違うそうで、館の中で一日過ごすと外では一年が過ぎるらしい。

 タイミングを見計らって治療を行うために作ったんだとか。


「信長の風貌からして、すでに発症者の干渉を受けている可能性が高い。怪しいのはだいたい信長本人、またはその影武者、あとは側近の羽柴秀吉、同盟者の徳川家康、そして、信長を殺すことになる明智光秀あたりだな」

「けっこう候補が多いですね。聞き慣れない名前が多すぎて私覚えられそうにありません……あ、信長様のお顔ははっきりと覚えてますけど」


 先生は私に「ん」と言ってカルテの束を渡してきた。

 そこには顔写真とともに、過去の症例と発症者が載っていた。すごい数。すべてのカルテがびっちりと文字で埋め尽くされ、事細かに症例の経過が記録されていた。


 ――これまで先生は一人でこれを解決していたのか。


 織田信長、徳川家康、明智光秀……。これ……。


 ――全員が美形! もしくは渋いオジサマ!


 これも信長症候群の影響らしい。

 特に明智光秀様の上品系裏切り者特有のうさんくさい雰囲気が私のすごく好みだった。

「あれ、羽柴秀吉……こっちは木下藤吉郎って書いてますけど、この人だけなんで、そのブサイクなんですか?」

 『豊臣秀吉』というカテゴリには出世魚のように名前がころころと変わる人物が載っていたのだけど、その全員がなにかの動物のような、なんていうかやっぱりブサイクな人が多かったのだ。


「ああ、そいつは歴史上でもハゲネズミなんて呼ばれてたらしくてな。逆に秀吉がイケメンだった場合はそいつが発症者で間違いないから楽なんだが、今回の秀吉もしっかりハゲネズミだったからなあ。秀吉は今回は発症者候補から外してしまってもいいかもな」


 ――な、なるほど。でも順当に歴史が進むとこの人が世界の覇者になるんだ。うーん、ブサイクの金持ちか、死んでしまう美男子か……


 先生は私を呆れた目つきで見つめていた。

「あ、すみませんっ! 別にイケメンのことなんて考えていませんっ! 続きをお願いします……」

「うん。有名な人物と入れ替わらずに干渉するという症例もあるんだが、怪しい人物はいなかった。ということはやはり、定番の……いや、過去の症例通りの信長の周りの人物になりすましている可能性が高いな。残された時間はあまりない。とにかく信長の近辺に張り付いて怪しい人物を探すぞ」

「わかりましたっ!」


 そして、三日後、外では三年の月日流れて、織田信長の最大のバトルイベント「長篠の戦い」の日がやってきた。


「先生、見てください。信長様は鉄砲を本当に三千丁も用意してきましたよ!」

「うん、まずいな。高級品である鉄砲の買い過ぎで資金不足を起こし、他の兵站不足になってしまっている。これではまともに戦えないぞ」


 私は三日間で織田信長の資料を読み漁った。

 織田信長はこの世界の覇権を巡る戦いに勝利するのだけど、そのときに当時最新鋭の武器である火縄銃を三千丁も準備したというのが後の世の伝承の通説になっていた。

 だけど、資料をよく見れば実際には千丁、それもおそらく誇張された記録だったことが読み取れた。

 誰かがどこかで勝手に資料の「千丁」の前に「三」の字を付け足しただけなのに、それを信じた後世の人間が勝手に三千丁と思い込んでしまったようだった。


 さらにそこから想像が膨らみに膨らんで――


「なんてことだ! 見ろリコくん! 兵を三列に並べているぞ。三段撃ちなんて机上の空論を本気でやるつもりなんだ! 兵士のほとんどが銃の扱いに慣れていないのにそんな高度な戦術がうまくいくわけがないだろう!」

「じゃあ、この戦い、信長様は負けちゃうんですか?」

「そうだ。抗生物質は強力だが、用法を間違えば逆に体に害をもたらしてしまうのと同じだ。この時代、いくら鉄砲が強力な兵器であるとはいっても使い方を誤れば命取りになる。高価すぎるんだ。見ろ兵士の殆どがまともな武装をまとっていないだろう。くそ、余計な入れ知恵さえなければ織田軍は圧倒的な兵数と馬防柵で老いた武田軍を十分圧倒してたというのに! そもそも戦略兵器のないこの時代、戦いの勝敗を決めるのは数なんだ。織田軍は徳川軍と合わせて約四万。対して武田軍は二万に満たない。兵力差は二倍強。しかも武田軍は直前の長篠城攻めで疲弊している状態だ。何もしなくたって織田軍は勝っていたんだ。だが、いくら数で勝っていても槍や弓もまともに揃えられていない状態では……」


「ど、ど、ど、どうするんですかっ!? このままだと信長様がっ! 世界がっ!」

「織田信長にはなんとしても本能寺の変までは生き延びてもわなければならない……やむを得ないな、介入するぞ」

「介入!? 介入ってまさか戦うおつもりですか!? 私達二人で何ができるんですかっ!? いくら先生が強くても相手は数万の武装した兵士ですよ! 無茶ですよっ!」

「何を言っているんだ。こんな原始時代の兵士など何十万人が相手だろうと医者であるボクの相手になどなるものか。医者を舐めるなよ。いくぞ!」


 設楽ヶ原と呼ばれる開けた平原に、浅い川をはさみ両軍がにらみ合う。

 この場所に両軍合わせ五万を超える兵士が集結しているというのだから背筋が凍る。今からこの兵士たちが殺し合いを始めるんだ。そこへ私達が介入する!?


 戦いが始まった。

 武田軍の長槍歩兵部隊が中央へ突撃。

 三千丁の鉄砲は伊達ではなく第一波はそれなりに武田軍にダメージを与えた。

 だけど、第二陣がすぐさま突入。この世界の兵士はとても勇敢で全く怯むこともなく突っ込んでくる。

 もたつく織田軍の銃撃はすでにタイミングが乱れはじめ、一斉射撃による制圧力を失っていた。

 その隙を逃さない武田軍は虎の子の騎馬部隊を投入、織田軍の前線はさっそく総崩れを起こした。


「言わんこっちゃない。火縄銃は雑兵が気軽に扱えるような武器じゃないんだ。それにすぐに故障するし連発にも向かない。造りがまだまだ荒いんだ。正しく使わなければ威力も射程も十分に活かせないっていうのに……。仕方ない、やるか!」

 先生はそういって腕を前に突き出した。

 すると先生の後方に空中に数百もの火縄銃が召喚された。私としてはただただ驚くしかないけれど、これも医療技術とでも言い張るつもりだろうか。


「くらえぇぇぇ!」

 空中に浮かぶ数百もの火縄銃が一斉に発砲。銃声が重なって凄まじい轟音を響かせた。

 織田軍の前線に侵入していた騎馬隊をなぎ倒した。

「まだまだ! 本物の三段撃ちを見せてやる!」

 さらに新しい火縄銃を召喚、先生は次々に発砲。

 三段撃ちどころか三十段撃ちを武田軍に容赦なく浴びせかけた。


「先生この魔法はいったい!? それに、こ、殺しちゃったんですか!?」

「そんなわけないだろ。殺しちゃいない。ボクは医者だよ。それにこれは全て麻痺弾だ。れっきとした医術さ。この世界に合わせて見た目やエフェクトは火縄銃を模しているけどね」


 数百の麻酔銃による一斉射。喰らえば即気絶。轟音とともに倒れていく武田騎馬隊。圧倒的な制圧力だった。


 ――先生なら本当に一人で倒しちゃうかも……


「で、でもいいんですかね。私達が……というか先生がやってしまって。これも歴史干渉ですよね」

「何を言ってるんだ。織田信長がここで死んでしまったらこの世界は崩壊するんだぞ?」

「それは、そうですけど……」

 先生の銃撃によって主力を壊滅させられた武田軍はその後、圧倒的に数でまさる織田軍によって壊滅させられた。

 この世界の覇権を決める長篠の戦いは歴史通り織田信長の勝利で終わった。




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