Karte03 『信長症候群』

第15話 『信長症候群』1



「先生! ここはどこですか、というより今どういう状況になってるんですか――っ!?」


 今回はまたもや森の中。いや、この急勾配は森じゃなくて山だ。

 薄暗い空が紅く照らされていた。

 燃え盛る炎。山中に作られた木造の建物が炎の渦を上げて燃え上がっている。

 辺り一面に煙が立ち込める中から聞こえる男たちの猛り声と銃声。

 見慣れない鎧を着た兵士たちがあちこちで剣や槍を撃ち合っていた。


 時折飛んでくる流れ弾を先生は謎のシールドで防いでいる。これはなんの医療技術なんだろう。

 私は小さな先生の背中に身を隠して震えていた。


「こら、リコくん! そんなところに隠れていないで記録をつけてくれよ。弾や矢は当たらないから大丈夫だ!」

「む、無理ですよぉ! これって戦争ですよね!? どうしてこんなところに来たんですかっ!?」

「そんなのここに患者がいるからに決まってるじゃないか」


 やっぱりいつも通りの先生だった。




「今回治療するのは――『信長症候群』と呼ばれるかなり有名な症候群だ!」

 先生が大声で説明してくれるのだけど周りがうるさすぎてほとんど聞き取れない。

 先生の認識阻害の力で私たちは狙われたりはしないのだけど、とてもじゃないけど落ち着ついて説明を聞けるような状態じゃない。

「そ、それはこんな戦争中の場所に起きるものなんですか? きゃあっ!」

 私の目の前十センチで弾が弾かれた音がした。先生の力なら安全なのは頭ではわかっている。でもわかっていても怖いものは怖い。


「うん、説明しよう! 信長症候群というのはその名の通り、織田信長という、とある有名な王の周りで発症する特殊な症候群だ! 織田信長はその生涯が華やか且つ波乱に満ちており、更には謎も多いことから、タイムトラベルから異世界転移まで、ありとあらゆる時間外からの来訪者が彼の周りへとやってくる。そして、信長に助言したり、邪魔をしたり、ときには歴史上の人物と入れ替わったりして、歴史に影響を与えてしまうという深刻な症候群だ!」


「私、そのオダノブナガって人の名前、聞いたことがないんですけど! それにタイムトラベルってどういうことですか!? もしかしてここって異世界か何かなんですか!?」

 私は目もまともに開けていられない。

「その手のやり取りは時間がかかるから省かせてもらうが、とりあえずここは日本という国の比叡山と呼ばれる、この世界における聖地だ。ボクたちの世界で言えば教会の総本山といったところだ。織田信長はその聖地比叡山を数万の兵で囲んで火を放ち、女子ども聖職者共々皆殺し、いわゆる比叡山焼き討ちの真っ最中ということだな!」

「正気なんですかその人!? まるで魔王じゃないですかっ!」


 私達のすぐ横を、見たことのないデザインの鎧を着た兵士たちが駆け抜けていく。なぜか背中に旗をつけていて、すごく走りにくそうだし、ちょっとマヌケだ。

 馬に乗った兵士はさながら騎士のようで、長い槍を振り回して、次々に兵士を刺殺していく。

 中には武器を持たない人間もいるのだが、兵士たちは相手を選ばずに次々と殺していった。

 あちらこちらで炸裂音が鳴り響き、木材が焼ける匂いに混ざって特徴的な火薬の匂いが充満していく。怒号、馬の嘶き、打ち合う槍の金属音。そして、倒れる人、人、血、人。


「せ、先生! 私っ血とか傷とか、あまり得意じゃないんですけどわあああああっ!」

 近くで殺された兵士から吹き出した血の飛沫がかかる。先生のシールドで防がれたものの目の前に真っ赤な液体が広がるのを見て、私は気を失いそうになった。


「医者の助手のくせに情けないことを言うな。ちょっと移動するぞ。転移時空座標が予定よりもかなりずれてしまっているな。できれば患者が信長に接触する前、桶狭間か、せめて美濃攻略前あたりでどうにかしておきたかったんだが、比叡山焼き討ちが行われているということは残された時間はあまりないぞ。早く信長の近くにいって患者を見つけなくてはならない」

 先生はそう言って、炎渦巻き銃弾飛び交う中をずかずかと歩いて行く。


「ま、待ってください先生っ! ほんとに! ここに置いてけぼりだけは絶対に嫌――――!っ」








「あれが織田信長だ。歳は四十歳前後のハズだが……」

 先生と私は炎に包まれた比叡山の麓にある織田信長の本陣にやってきた。

 今回の治療ははるか異世界でしかも長期間にわたって行うということでナナコさんはお留守番。私と先生の二人で来ている。


 山を降りるまで、認識阻害と先生のシールドで危険はなく、気づかれないものの、数万人がひしめく戦場のど真ん中を歩いて渡るのはさすがに生きた心地がしなかった。


 ――あれがこの世界の王


 織田信長はひときわ目立っていたのですぐにわかった。

 だって、若くて――かっこよかった。

 他の兵士たちが何故か全員ハゲてるのに、信長だけは長い長髪をポニーテールにしていて、ちょっとワルそうな目つき、数々の修羅場をく潜り抜けてきましたと言わんばかりのオーラ。他の兵士と明らかに違う、黒い甲冑。派手なマント。

 ちょっと前に情けない王子を見た後に、こんなワイルドイケメンキングは目に毒だ。

 

「先生、信長様はどう見ても二十代前半にしか見えませんが……」

「すでに症状がここまで進行しているとは……。これは信長症候群の特徴だ。発症者が現れると信長が歳を取らなくなったり、逆に明らかに歳を取りすぎていたりする現象が起きる! あとは普通にハゲオヤジだったはずなのに、長髪のやたらとイケメンになるのはほぼ鉄板だ。性別が入れ替わっていなかっただけでもまだマシなくらいだ」


 ――ということは信長症候群はかなり進行しているということ――!?


「先生、できれば今回は先に何をやるのか教えてもらっておくことは出来ませんか? 心の準備だけでもしておきたいので……」

「そう、だな。わかった。先に説明しておこう。我々の目的は症候群の解消だ。すなわち、発症者を見つけ出して、元いた世界なり時代なりに送り返してしまえばいい。見つけることさえできればボクなら転送は簡単にできる。だが、すでに発症者はどこかに紛れ込んでいる。どうやって見つけ出すのかが問題だな」

 なるほど。いきなり私達が行って「この中に偽物はいませんか?」なんて聞いて「はい私です」なんていう人、いるわけがないってことか。それに下手に騒げばそれだけ警戒されてしまう。これは結構難易度の高い治療ミッションになるのでは。


「でも先生、発症者たちはいったい何が目的で信長様の周りに集まってくるんですか?」

「うむ、目的は色々あるが、ほぼすべての症例パターンで、発症者達あいつらは本能寺の変を回避しようとするのだ。本能寺の変というのはこれから数年後に信長が味方に裏切られて自殺に追い込まれるという事件だ。つまり、信長を死の運命から救おうとするんだ」

 つまりは私たちは異世界でしかも過去に来ているというなんともややこしい状況らしい。

 そして今回の患者さんは後数年で死ぬことが決まっているということか。

「あのひと死んじゃうんですか。なんだかかわいそうですね」


「人は死ぬものだよリコくん。遅いか早いか、目的を達成した後か前か。違いはそこだけだ。織田信長は世界制覇を目の前にして仲間に裏切られて命を落とす。多くの日本人が、もし信長が本能寺の変で命を落とさなかったらどうなっていたか、というのを知りたがるんだ。だが考えてみろ、君だって未来から来たとかいうやつがいきなり目の前に現れて、あなたは将来、甲斐性なしのくせにスケベな浮気男と結婚することになります、なんて教えられたら嫌だろう?」

「そ、それは確かに嫌ですね……って今のって例え話ですよねっ!? 先生、なにか知ってるとかじゃないですよねっ!?」

 先生のでたらめな力でこのおかしな世界に転移してきたのだから、先生なら未来へ行くことだって出来るかもしれないのだ。

「う、うん。何も知らないよ。ほんとだよ」

「ちょっと、こっち見て言ってくださいよっ! 嘘ですよね! 嘘って言ってください先生っ!」

「だ、大丈夫だ落ち着けリコくん。からかっただけだ。ボクは他人の未来を覗き見たりすることを是としない。それは君も知ってるだろ?」

「ほんとですかぁ……」

 どちらにしても先生の言うことを信じる他ないのだけど、でたらめだとしても先生の言う事は本当になりそうなのでシャレにならないからやめてほしい。


「これでわかっただろう、未来人がどれだけ害を及ぼす存在なのか。悪役令嬢のときと同じく、未来の知識や技術を使って自分だけを圧倒的に有利な状況において他人の運命を変えて良いわけがない。いや、この場合他人どころか世界の運命を変えてしまうことにもつながりかねないんだ。そうなれば、歴史干渉は時空干渉に発展し世界の消滅すら起きるほどの歪みを引き起こすこともある。興味本位や好奇心で気安くやっていいことじゃない。まあ一番の理由はそこじゃないけどな」

「そ、そんなに大変な症候群だったんですね。でも先生、そんな恐ろしい信長症候群が発症する度に先生はそれを止めにこの世界に来ていたんですか? 人知れず世界を救い続けていたってことですか?」

「……そうだね」

「じゃあこれまでもずっと治療に成功してきたってことですね! さすが先生ですっ! 安心しました」

「う、うん。まあそれより早速調査に入るぞ。ボードとペンを用意してくれ!」

 私はなんか騙されたような気がしていたけど、結局先生と一緒なら安心だと高をくくってバッグからボードとペンを出した。

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