第34話 怪人①

「……では、お話をまとめますと、地震及び富士山の噴火、記録的な台風、疫病の蔓延という厄災の日以前から、日本の崩壊は予想されていたと」

 リゼが言うと、向かいに座った大塩がわずかに頷く。

「そうだ」

「そしてアメリカとトルコの合弁企業を始め、外国資本の大企業が、厄災の前の数年の間に日本に巨大な建造物を建てていた。例えば新技術の電波塔、次世代型発電所、非常時にはシェルターにもなるという超大型ショッピングモール、様々な名目の研究施設……それらは全て、首相のトップダウンで誘致が決定した」

「そうだ」

「中国、ロシア、アメリカが軍事的に侵攻することも予想されていた、と」

「あんな大規模で来るとは思っていなかったがね」

「それではっ」

 リゼが身を乗り出す。

「日本特別措置法はどうだったのですか。あの法律は厄災後すぐに多くの国で可決されました。事前に取り決めがあったのですか」

 大塩は変わらない。パイプを吹かすと煙をゆっくりと吐き出す。

「その件については知らんね。少なくとも首相である俺に打診はなかった。ただ、私見を述べるのならアメリカや中国が手ぶらで侵攻を終えざるをえなくなったのち、君の母国イギリスが失点を回復するため、と言って焚き付けたんじゃないかと思う」

 後に日本恐慌と呼ばれる世界恐慌が起こり、世界の経済が混乱する中でアメリカと中国、そしてイギリスは、自国内の日本国籍の者の移動を制限し、日本の人や企業が持つ特許や商標権を無効化し、施設を国が接収する、悪名高い日本特別措置法を施行した。大国の動きに合わせて、厄災後数年のうちに世界中の主だった国々が、効果に大小はあれど似たような法を施行していった。

 例外は国内に反対派が多く、国が割れかねないと判断したドイツ。ロシアからの独立を宣言した非公式国家、神聖ロシア王国。そして日本からの難民を多く受け入れ、ついには日本人が大統領になったペルーくらいだ。

 厄災から数十年立った現在では、当初の三大国に加え、半数以上の国で日本特別措置法は廃止、あるいは大幅な緩和がなされている。

「……貴重なお話、ありがとうございました」

 リゼは深々と頭を下げると、帰り支度をするように荷物を体の近くに寄せた。

 大塩が言う。

「こちらこそ。久々に若い人たちと話ができて楽しかったよ」

 リゼは立ち上がると、右手をお尻の上に持っていき、阿含にだけ見えるように人差し指と中指をクロスさせた。

「最後に、もう一つだけ聞いてもよろしいでしょうか」

 農協のハンドサイン。意味は……“注意しろ”。

「もちろん。なんだね」

「大塩様は、外務大臣時代、多言語をネイティブのように操ることで有名でいらっしゃいましたね」

 大塩は自分も立ち上がろうとしていたが、その姿勢のまま動くのをやめた。

「ああー、いや、はは、どうだったかな」

 リゼはHBの言語拡張機能をオンにしてフランス語で言った。

「J'ai entendu dire que tu esmort ducancer il ya des décenniesジャオ タンデュ デュデケチュエ モーデュ エーイリエ エデュ ディセニエ

 大塩が怪訝な顔をする。

「すまん、今何と? 外国語も随分長く使っていないからねえ」

「そうですか、失礼しました。こちらはいかがです?」

 次は中国語だ。

听说你几十年前死于癌症ティンショウニー ジーシーニアン シーユーアイジェン

「うむ? 今のは北京語のようだが──」

 大塩が続きを言う前に阿含が俊敏に動いた。

 折れたマチェットを引き抜くと、猫のように素早く、低い姿勢のまま大塩の背面に回り込み、鋭い刃を大塩の首に当てた。

「動くな。婆さんを呼んだら殺す。今、リゼはこう言った。『お前は、何十年も前に、癌で死んだと聞いている』」

 リゼが手を前に出した。

「阿含さん、待って。その人を殺さないでください。ただの騙りにしては、先程の話は矛盾がなさすぎます。それにその顔は、父の情報分析チームがシミュレートした大塩首相の現在の顔と、あまりにもそっくりです」

 もぞり。

 阿含は、自分が密着してマチェットを突きつけている相手の肩や背中の筋肉が動くのを感じた。

「おい、動くんじゃねえ。脅しじゃ──」

 阿含は言葉を飲み込んだ。

 老人は先程の立ち上がりかけの姿勢から手足を動かしたわけではなかった。ただ体中がもぞりもぞりと服の下で、あるいは皮膚の下で肉がうごめいているように感じられた。

「そうだとも。僕の話は聞く価値があるよ」

 若い、少年とも取れるような男の声がした。リゼも阿含もはっきりと聞いた。今の声が、大塩の口から発されたのを。

 阿含はうなじの毛がチリリと逆立つのを感じた。

 先程まで囲炉裏を挟んで話していた相手とは、気配が違う。

 それにもう小柄な老人ではない。成人男性の体格だ。

「さてと、まずはナイフをどかしてくれないかな。こんなものを首に当てられていたら、おちおちネタバラシも出来ない」

 そういうと大塩は素手で阿含のマチェットを掴み、首から押しのけた。力を入れて刃を突きつけていたはずだが、阿含は全く抵抗できなかった。抜身の刃物に直接手を当てて動かしているにも関わらず、大塩の皮膚は切れず血も出ていない。

 大塩はそのまま無造作に手を右に払った。マチェットを持ったままの阿含がバランスを崩してつんのめる。

「てめえ!」

 バランスを崩した姿勢のまま、阿含は左足のつま先で大塩の頭を狙った。決まる、と阿含は思った。自分の体が浮いて、リゼの真横の畳に叩きつけられるまで、何をされたか分からなかった。

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