第38話 彼女は日本に来て、出会った①

「いや、嘘と言うには語弊があるか。その思いは本当だろう。でも、君のモチベーションの中で、名誉や好奇心というのは対外的な部分だ」

 四号は実に嬉しそうに笑った。

「リゼ・ジャウハリーくんが日本に来た理由。それは、復讐のためだ。といっても具体的に誰かを殺すとかそういうわけではないがね」

 リゼは下を向いて自分の湯呑を見つめている。

 阿含がいつでも立ち上がれるよう片膝立ちになる。

「リゼ、黙らせようか」

「大丈夫」

 リゼは細い指で湯呑をぎゅっと掴み、四号を見た。

「続けてください。貴方が私の何を知っているか、興味があります」

「結構。世界を股にかける有名な武器商人であるパドルくんが僕をたずねてくると言うから、彼について調べた。他人になりすますのが僕の特技だからね。当然人のことを調べるのも重要になってくる。生い立ち・経歴、そして家族関係。手に入るすべての情報を調べたよ。例えば、君の母親のこと」

 四号は座り直し、自分の湯呑にお茶を入れた。阿含とリゼの方を見たが、結局急須をお盆に戻した。

 無機質な笑顔を浮かべながら四号は語った。リゼの母親と父親の出会い。妾として結婚したこと。父親がエジプトに帰ってからも度々イギリスを訪れており、その際にリゼが生まれたこと……。

「よく、調べましたね」

「まあね。考古学者とはいえ、僕の専攻は近代考古学だ。情報の収集という面ではそれなりのものだという自負があるよ。さて、続きだが」

 湯呑から手を話し、机の上で組まれたリゼの両手が小刻みに震えている。阿含はそっと手を重ねた。リゼが阿含の顔を見るが、阿含の視線は油断なく四号に向けられたいる。リゼは阿含の手を握り返した。

「そこから先は、私が自分で説明します」

 リゼは言った。

「母は、私に学歴を身につけるよう繰り返し言い聞かせました。日本の学歴は全く役に立たなくなったから、それ以外の国のを、と。当時イギリスの田舎にはまだ日本人差別の風潮が残っていたため、母は父に頼み私にエジプトでの教育を受けさせることにしました。エジプトでの暮らしは……想像を遥かに超えて快適でした。父の家で暮らしましたが、おばさま、父の正妻は実の子供と同じように私に接してくれました。他のきょうだい達も、喧嘩したりもしましたが、みんな、いい人たちばっかりで。勉強も、楽しかった。エジプトには日本からの難民もほとんど来なくて、父が国の中枢にいたのもあって、私は、差別とは無縁の生活を送っていました」

 広く薄暗い和室にリゼの声が響く。いつものように面白いことを探しているような、張りのある声ではなく、どこかに行ってしまった言葉を探すようなたどたどしく、自信のない声だった。

「母からは毎日メッセージが届きました。しっかり勉強しているか。今日はイギリス人たちにこんな失礼なことをされた。他には噂話に近い日本の現状とか。厄災前はこうだったのに、今はこうだ。次に父さんはいつ来るのか聞いてくれ。私、私は……だんだん返信が遅くなってしまって。本当は思っちゃいけないのに、母からの連絡がもっと少なければいいのにって思ってしまって」

「おい。もういいだろ。いつまでやらせるつもりだ」

 阿含が口を挟んだ。その口調には怒りが滲んでいる。

 全く体に合わないサイズのアロハを窮屈そうに身にまとっている四号は意外そうな表情を浮かべたが、すぐに笑みに変えた。

「まるでお姫様を守るナイトだな。これからがいいところだったのに。まあいいや。そちらのナイトは気が短そうだ。リゼ嬢の話については僕が手短にまとめよう。楽しい高校生活をエンジョイした君は大学に進学した。よりによってイギリスの名門にね」

「……はい。日本人に対する差別はだいぶ収まっていましたし、母が、心配だったので。週末など会いに行けるところにしようと」

 リゼが抑揚をなくした声で答えた。阿含が痛みを覚えるほど強く阿含の手を握っている。

「でも大学に入ってから君が母親に会いに行くことはついに一度もなかった。なぜなら」

 四号は芝居がかって両手を前に出した。

「なぜなら、君の母親はすでに亡くなっていたからだ。新学期が始まる直前に。薬物の過剰摂取で。事故か、自殺か。それは分からない。葬式を終えたあとも人生は続く。君は大学で報道やマスメディア研究のゼミに所属。優秀な成績で卒業した。その後いったんエジプトに帰り、翌年日本に来た。そしていまここにいる。君はここに来た。大塩健太郎に会いに。なぜ? エジプトの情報局が得た情報の裏を取るためだ。それは何か? アメリカ、中国、そしてイギリスは日本に厄災が起きることを知っていた。だが何もしなかった。いや、むしろ日本を食い物にしようと準備していた。日本国首相大塩健太郎もそれを知っていた。知っていながら、自らの命を長引かせるために、国を売った。君はそれを世界に公表したい。なぜか。名誉のためか。使命のためか。どちらも違う。君の本当の動機は」

「復讐のためです」

 阿含の手を離してリゼは静かに言った。

「母が死ぬ原因となったイギリスに、母を含め日本人を救わなかった世界に、勝手に滅んだ日本という国に。……そして、あるいは、母に対しても」

 聞きたかった言葉を聞けたはずなのに四号は黙った。そして、阿含も。二人ともリゼの次の言葉を待った。

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