第12話 山の怪②
リゼが二人を見ると、山城がガムを口に放り込みながらリゼに言った。
「リゼちゃんの服は一応防弾性能があるんだっけ」
「はい。しっかりした性能だとショップでは説明を受けました」
リゼの上着は見た目こそ普通のロングコートだが、ハイクラスの防弾性能と環境適性を備えた優れものであった。買ったばかりの頃は、日本という未知の国に対する恐怖が高額な買い物をさせてしまったと後悔したものだった。しかし、いざ現地に来てみると肌に感じるピリピリとした雰囲気や、誰もが実銃を持って行動する現実の中、頼れるものはコートと彼女の腕にはまったハイテクデバイス“HB”だけであるように感じた。
「じゃあまず大丈夫かな。日本に出回ってる銃はみんな古いのばっかりだから。まあ、貫通しないだけで骨とか折れるかもしれないけど」
全く大丈夫ではなかったが、これも取材だ。
山城が自身の端末を見る。
「んー。阿含、島田村から追加の依頼だ。せっかく拡張職員が来てるなら、村の古い銃の点検もしてくれないかって」
銃の販売や整備はある程度大きな街にあるガンショップで行う。
例えば静岡農協の拡張職員はほぼ全員が、農協近くの『ジャレド・ダイアモンド』で銃器の購入や整備を行う。ナイジェリア移民二世としてフランスに住んでいたものの、外国人排斥を叫ぶ極右団体と揉めて日本に逃げてきた、むくつけき黒人店主がお出迎えする店である。
しかし島田村のような小さな集落にそんな店はなく、今回のように信頼できるよそ者という特殊な存在が村に来た際にメンテナンスを依頼することがある。
「行ってきていいよ。こっちは二人いるし」
阿含が言った。
「悪いな。何かあれば言ってくれ」
山城が耳元のインカムを指差した。
「すぐに手伝いに行く」
山城は前のガムをカス紙に吐き出し、新しいガムを取り出すと手を上げて二人と別れた。
阿含はリゼの方を見た。
「それじゃ行こう」
確かに邪魔にはならないとは言ったが、いつの間にか自分が動物を捌く頭数に入れられていることにリゼは衝撃を受けた。が、何も言えずに阿含に付いて山に入っていった。
山の中を歩くと言っても、生い茂る木々の間を闇雲に進むことはない。基本的には人や動物が歩くことで雑草が潰れて道になった、いわゆる獣道をたどることになる。もっとも、都会育ちのリゼにとっては慣れない山道だ。阿含の想定よりは持ったほうだが、息が上がっているのが見て取れた。
「少し休もう」
適当な倒木の前で阿含がそう言うと、リゼはホッとした顔を見せた。
「すみません。ジムで鍛えていたつもりだったんですが、ご迷惑を」
「いいよ。急いでるわけじゃない」
二人は倒木に腰掛け、水筒に汲んだお茶を飲んだ。
「いくつか、質問してもよろしいですか。その、取材でして」
リゼが遠慮がちに言った。
「まあ、構わないけど」
阿含が言った。今回の依頼では島田村からの報酬の他に、リゼからも多少の手間賃をもらっている。質問に答えるくらいはサービスのうちだ。
「今の日本……静岡では、ある程度の経済活動が行われて、危険な仕事もそうでない仕事も、選択肢があったかと思います、なぜ、阿含さんは特に危険な農協の仕事を選ばれたんですか?」
「別に、大した話じゃない。伊豆のスラム出身でね。かっぱらいで生計立てていて、見知らぬばあさんの荷物を盗んだ。そしたらそれが農協部長だったんで、農協拡張職員が総出で追跡してきて、逃げたんだけど結局捕まって。まあ足も早いし見どころがあるって言われてそのまま働くことにした」
「は、波乱万丈ですね」
「日本じゃよくある話だ」
「農協の仕事は好きですか?」
「え?」
阿含がリゼの顔を見る。
「あ、いえ。生きていくスキルを農協で身につけた訳ですよね。今もなお辞めずに農協にいるということは、それだけお仕事に誇りを持っていらっしゃるのかな、と」
阿含は応えず黙ってしまった。眉間にシワを寄せ、顎に手を当てたまま動かない。軽々しく距離を詰めすぎて怒らせてしまったかな、リゼは思った。
「俺は……」
たっぷり三十秒沈黙して阿含は口を開いたが、言葉が続かなかった。怒っている風では無さそうだ。
リゼは水筒をしまった。
「元気も回復しました。行きましょうか」
阿含は無言で立ち上がったが、雰囲気は少し和らいでいた。
その後姿にリゼは優しく微笑する。何故その仕事を続けるのか。その答えを急いで出す必要などないのだ。
端末の地図と獣道を頼りに山の中を進むこと二十分ほど。異変は三つ目の罠に差し掛かったときに起きた。
「んんー、何だこれ」
「罠、露出しちゃっていますね」
「というか壊されてるな」
今回山に設置された罠はいずれもくくり罠と呼ばれるタイプで、地面に穴を掘って埋め込み、イノシシや鹿が穴を踏み抜くとバネの作用で飛び上がってワイヤーが足に食い込む形である。その仕掛けが、すべて獣道の上に散乱していた。
「足跡とか毛はイノシシっぽいけど」
「イノシシが引っかかって、逃げ出したんでしょうか」
「いや、そしたら輪っかの部分は足に食い込んだままになるはずだし、その黒いの血の跡じゃね」
阿含が地面に広がった黒いシミを指差した。
「多分だけど、誰かが先に獲物を殺して持ってたっぽいな」
「な、なるほど。ということは……」
この山に農協拡張職員たち以外の人間がいるということになる。
「一人じゃないな。よく見りゃ足跡があちこちついてる」
「それじゃあもう、イノシシは山から降ろされてしまったんですね」
阿含はそれに答えず散らばった罠の周りを見ていた。
「阿含さん?」
「ん、ああ。そこの地面を見るとさ、痕跡が山の奥に向かってるな、と」
「……言われてみれば確かに、そう見えますね」
阿含たちは二つ目の山の傷んだ道路から獣道を通って罠まで来た。その道中、不自然な景色は特になかった。複数の人間の足跡に草が踏み荒らされ、重たい死骸を引きずって一部土が露出している有様は、今彼らがいる場所から始まり、山の奥へと続いている。つまり、何者かは道路からここまで来たのではなく、どこかわからない山中から降りてきて、獲物を殺し、また山へ戻っていったのだ。
不意にリゼは強い心細さを感じた。木々はどれも彼女の背丈の十倍以上伸び、伸び放題の雑草が鬱蒼と茂っている。辺りは見通しが悪く、ところどころでは日が差し込まず、日中だと言うのに薄暗い。
「一旦道路まで戻って、山城さんと合流しましょうか」
「え、このまま追うけど」
「そんな、危ないですよ」
「新人ならここで即撤退もありだけど、俺は農協のエースだからな。依頼は必ず成し遂げる。そしてイノシシ肉を取り返す」
罠の見回りは安い仕事だが、見回りした際に獲物がかかっていれば、おすそ分けとして農協職員に肉を分けてくれるのが習わしになっていた。
現在の静岡市における主要な動物性タンパク質は魚である。ヤギ、イノシシ、うずらなど缶詰肉以外の動物肉は、若者たちの間で非常に人気があった。
「それと」
端末で山城にメッセージを送った後に、阿含がリゼを見ながら言った。
「もうちょっと身をかがめた方がいい」
阿含は肩に吊っていたアサルトライフルを構えた。臨戦態勢だ。
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