第35話 怪人②
阿含が体勢を崩しながらも放った蹴りを大塩は左手でつかみ、投げ飛ばしたのだ。マチャットの刃を持ったまま大塩が立ち上がって阿含を見下ろしている。
「阿含さん!」
リゼが叫ぶ。
くそ、情けないところを見せちまった。阿含は手を背中に回すと、外で長尾に借りた拳銃を取り出した。P220、SIG社の軍用自動拳銃だ。
リゼがグループトークをオンにした。
「皆さん、緊急事態です。今すぐ─―」
「待った」
緊張感のない声で大塩が言った。マチェットを阿含の足元に放ると、敵意のない現れなのか両手を上げている。
「君たちとやり合うつもりはないよ。あの上条を倒した相手だ。僕もただでは済まないかもしれない。それに、この和室はお気に入りでね。銃弾で穴だらけにされたくない」
どうすればいいですか、リゼが視線で阿含に問いかける。
……自分を投げ飛ばしたときに、壁にぶつけてダメージを負わせることも、追い打ちで頭を踏み抜いたりすることも出来たはずだ。あるいはこの部屋のどこかに武器を隠し持ってそれで攻撃することも。
長尾の通信が入る。
「リゼさん、大丈夫ですか。もし返事ができないようであれば」
「大丈夫だ」
阿含が通信に割り込む。拳銃の引き金から指を離し、銃口を下げる。
「俺がちょっとヘマをやって、リゼが早とちりしただけだ」
マチェットを拾い、立ち上がりながらさり気なくリゼを後ろに下がらせた。
「それは、信じていいの?」
敵に言わされている可能性を疑っているんだな。
「つつじ、もくせい、サンコウチョウ」
静岡農協の符丁だ。それぞれ県の花、木、鳥を表している。
意味は、“誠にかけて”。
「……分かった。十分に気をつけて」
阿含とリゼは畳二枚分ほどのところにいる大塩を見た。大塩は余裕のある顔で二人を見返す。顔こそ大塩老人のままであったが、今や身長は阿含よりも高く、痩せて細っていた体格は肉の詰まった鍛えた体になっている。
「たくさん聞きたい事があるって顔だね」
リゼが答える。
「はい。状況が許すなら質問攻めにしたいところです」
「ふむ。僕も君たちに興味が湧いたよ。こうしよう、お互いに一つずつ質問をしていくんだ。質問されたことに対しては誠実に答える。まずは君たちからどうぞ」
リゼが再度阿含を見た。怪我の様子を心配しているような表情だ。
左手はほとんど感覚がないし、薬のせいなのか投げられたショックか、頭がズキズキと痛むが、阿含は無理やり笑顔を作った。
「俺なら大丈夫だ。受け身も取ったし、外で銃で撃たれた傷も、血は止まってる。とくダネが目の前にいるんだ。心置きなくインタビューしてやんな」
「分かりました。……では、本物の大塩健太郎はどうなりました」
「五年前に死んだよ。正確に言えば殺した」
男は答えた。
「なぜ、と続くんだろうけど、その質問には後で答えよう。それじゃあ僕の質問。外には今、何人の農協の職員がいるんだい」
阿含は精一杯さり気ない風を装いながら、拳銃を確認した。いつでも構えて発砲できる。
「お答えできません」
リゼはきっぱりと言った。
「ふむ、僕が機嫌を損ねて話を止めてしまうとは思わない?それじゃこうしよう。何が起こっても君の命は保証する。何なら静岡市までエスコートを付けてもいい」
「ここに来るまでの道中は、到底私一人で越えることの出来るものではありませんでした。たとえ世紀の大スクープを逃すことになったとしても、友達を売ることは出来ません」
阿含は口の端でニヤリと笑った。
薄暗い和室に乾いた拍手の音が響く。
大塩だ。
「すばらしい。出会ったばかりの異国の人々に対しその熱い友情。ここ最近は薄情な盗賊たちとずっと一緒にいたせいかな、とても感動したよ」
リゼも阿含も大塩の意図がわからず動けずにいた。
「ちなみに外にいる農協の拡張職員は四人だろう。男三人に女一人」
リゼはあたふたと視線をそらした。
「……や、それは、ええと」
「そうだ」
リゼに代わり阿含が答えた。
「うん、当たってよかった。上条くんには内緒だったけど、村内にはいくつか監視カメラを設置していてね。栄子に外の様子をチェックさせていたんだ。最近は何かと物騒だからね」
盗賊たちによる裏切りを警戒していたのだろうか。確かに、彼らのリーダーである三本腕を除いて、ただの盗賊が元首相という肩書に対して敬意以外の価値を見出す可能性は少なくなさそうだ。
こいつをふん
「ま、今のは会話の取っ掛かりみたいなものだよ。君たちがどれだけ誠実な人かを試したんだ。僕は人と会話するのが好きでね。その人の、心の仮面が剥がれる瞬間がたまらないのさ」
「それでは私からの質問をさせていただきます」
リゼは相手の話に乗らずに言った。
「私の方は、質問に答えていただいても、いただかなくても、あなたを傷つけることなくこの屋敷を出ることをお約束いたします」
小銭を稼ぐ案は却下だな。
「大塩首相になりすまして三本腕グループに保護されていらっしゃったようですが、あなたのお名前、あるいは正体はなんでしょうか」
「名前はないよ。前にいた場所では……四号と、そう呼ばれていたからね」
「四号、か」
阿含がボソリと言った。
四号と名乗った男は阿含を見たが、構わず話し続けた。
「僕は考古学者でね。厄災の前後に、日本で何があったかを調べているんだ。大塩に成り代わったのもそのフィールドワークの一環でね。さっきも言ったが、僕は大塩を殺した。彼に成り代わるためだけど、それだけじゃない、これのためさ」
四号は左耳の付け根あたりを右手で抑えると、ゴキゴキと首を鳴らした。
ずるり。
先程まで老人の、大塩健太郎であった顔が、剥がれた。
「ひっ」
リゼが小さい悲鳴を上げる。
四号の手元では今剥がしたばかりの大塩の顔の皮がピラピラと動いている。
四号の本当の顔、と言って良いのだろうか。眼窩はひどく落ちくぼみ、薄い唇は充血して見える。赤黒い斑が薄っすらと顔全体に広がっており、かつてそこにあった皮膚が剥がされたことを痛々しく物語っていた。
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