第14話 山の怪④

 祖仁屋は驚いた顔をしたが、かすかに微笑んで首を振った。

「あんた今も殺しをやめてないな。農協で懸賞金掛かってたぜ」

 祖仁屋は動かずにいる。阿含はマグカップを戻しながらリゼの耳元に口を近づけた。

「合図で伏せろ」

 リゼは突然のことで動けないでいたが、その言葉で我に返り、かすかに頷いた。

「……人食い、と言われる覚えはないのですがね」

 祖仁屋がゆっくりと話し出す。テーブルを挟んで二人とは反対側に立った。

「ただ、山で穫れるもので自給自足しているだけなんですよ。人間はまあ、警戒心が薄いし、毒も持っていないし、楽な獲物ではありますがね」

 殺人。いや、食人の告白だ。男の雰囲気が変わったわけではない。先程までと同じ、作務衣を着てニコニコした小柄な老人のままである。そのことが逆にリゼを恐怖させた。

「……私もずいぶん長く生きてきました。その中で後悔していることが一つだけあります。どうしてあの時妻を罰してしまったのか、とね。一人も生かさず殺しておけば世間にバレずにやっていける、そう家族に言い聞かせて生活していたものでね。うっかり獲物を逃してしまった妻を怒りに任せて殺してしまったのですが」

 初老の男は肩をすくめた。

「世の中がこんなめちゃめちゃになってしまうのなら、何も殺して食べることはなかったなあ、と」

 一瞬、静寂が訪れた。小屋の外の音が聞こえるような。

「リゼ、伏せろ!」

「今だ、撃て」

 激しい銃声が小屋の中で鳴り響いた。

 リゼは悲鳴を上げそうになったが、歯を食いしばって我慢して、ひたすら床に顔をつけて息を殺した。

「もう、起きて大丈夫だ」

 阿含の言葉を受けてリゼが恐る恐る顔を上げる。たった十秒で小屋はめちゃくちゃになった。椅子はひっくり返り、窓ガラスは割れ、キッチンへ続く扉や壁は阿含のアサルトライフルの弾丸で穴だらけだ。

「むう……」

 祖仁屋が右腕を押さえてうめいた。腕からは血がドロドロと流れ出る。彼の肩には阿含が投げつけたマチェットが深々と刺さり、足元には祖仁屋が懐から取り出そうとした拳銃が落ちていた。

 リゼが床に伏せた一瞬で、阿含は祖仁屋に向かってマチェットを投擲し、同時に振りかぶってキッチン側の壁から扉までを薙ぐようにアサルトライフルを斉射したのだ。

 阿含は壁際に立ち、銃口を穴だらけのキッチンに向けている。壁に開けられた穴から、キッチンが見えた。少なくとも二人の人間が血を流し倒れている。

 祖仁屋が息を荒くしながら言った。

「あいつらは、子どもたちは、どっちも死んだか」

 阿含が銃口を祖仁屋に向けた。

「まあね」

「……すばらしい反射神経です。そんなに腕がいいのに、なぜ家の中に、わざわざ入った

のですか」

「ちょっと前に、開けた場所で失敗してね。だだっ広いところは危ないと思った」

 ふうふうと男は荒く息を吐いて壁に背をついた。傷は深く、阿含は銃を持っている。逃げても無駄と悟っているのだろう。

「き、聞きたいことがあるんですが」

 リゼがテーブルに手をついて起き上がる。

「奥様を厄災前に殺したと言っていましたよね。外で会ったお子さんたちは皆お若く見えたのですが」

「ああ、娘を孕ませたのですよ。言ったでしょう。山にあるものは何でも使う、と。いかがですかな、阿含さんとリゼさん」

 深く食い込んだマチェットを腕から抜いた祖仁屋は傷口を手で抑えながら途切れがちに言った。

「今殺した二人の代わりに、この山で暮らされるというのは」

「え……」

 突然の話にリゼは言葉を失う。

「山での暮らしは素晴らしいですよ。自然との一体感。野蛮な文明社会と決別し、生きとし生ける物に感謝をしながら日々を送ることができます。他人が作ったモノサシに左右されず」

 ターンッッ──

 祖仁屋が話を続けようと息を吸った時に、小屋の外からやや間延びした銃声が響いた。

 リゼがビクリと身をすくめる。

「そのつまらない口上は」

 阿含が口を開いた。

「助けが来るまでの時間稼ぎか。斧を持った男が入ろうとしたから、撃ち殺したそうだ」

 祖仁屋はキョトンとした顔で口をつぐんだが、阿含の左耳のインカムを見るとすぐにニヤリと笑った。

「いえ、本心ですよ。それに、あれは娘です。大柄なので間違えたんでしょう」

「一応聞いておくが、言い残すことはあれば」

「山に生きる素晴らしさを理解しないあなたに、言い残すことなどありません」

 阿含が引き金を絞ると、轟音とともにSCARの銃口から弾丸が飛び出し、祖仁屋の体は後ろに吹き飛んだ。

 阿含は油断せず、玄関への扉に向かって銃を構え続ける。五秒ほどそうしていたが、何もないと判断し、銃をおろした。テーブルの脇を通って仰向けになった祖仁屋の死体に近づくと、軽く蹴って本当に死んでいることを確認した。

 続いて阿含は、祖仁屋の手から落ちたマチェットを拾うと、少し手間取ったが握られた祖仁屋の右手を開かせた。

「あの、何をされているんですか」

「ああ、ちょっとね。結構硬いな」

 阿含はかがみ込んだ姿勢のまま、マチェットをゴシゴシと左右に動かした。立ち上がるとテーブルの上に血まみれのものを置く。それは、祖仁屋の人差し指だった。

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