第31話 静岡農協拡張職員⑤
顔を蹴った反動で後ろに下がった阿含は、空中で身体をひねると片膝立ちで地面に着地。そのすぐ目の前に刀が迫る。マチェットを縦に構えて、受けた。
金属がぶつかる硬い音がして、阿含のマチェットは半分ほどの部分で折れた。
間一髪、上条の刀は阿含の鼻先をかすめるように通り過ぎた。
目潰しを受けたことによる焦りがあったのだろう。刀を横薙ぎした上条の身体は、右に開ききった。
阿含は一歩踏み込み、折れたマチェットで上条の腕に切りつけた。上から下へ、下から上へ。その動きは上条の目に映っており、クロックアップされた脳は情報として受け取っていた。だが、身体が完全に右に向いており、動くことが出来ない。
上条は左腕に鋭く熱い線が走るのを感じた。熱はすぐに激痛に変わった。骨まで達する斬撃を受けたのだ。マチェットが折れていなければ腕が切断されていたかもしれない。
「おあああ!」
上条は右に開いてしまった身体を戻すのではなく、そのまま更に右を向いた。阿含に背を向けるほどに。
上条の背中の鉄腕が拳を作り、阿含を横さまから殴りつける。
阿含は雑草のまばらに生えた地面に倒れたが、すぐさま転がって距離をとった。
出血したまま激しく動いたせいで立ちくらみがひどい。手持ちの中で最も強い鎮痛剤を打ってきたので直接的に痛みを意識することはないが、壁で遮られた場所でスピーカーが流す重低音のように、痛みが鈍い波として左腕と今殴られた右脇腹で反響しているのが感じられる。
折れているのか、折れていないのか、手で触って確かめたい願望がこみ上げたが、意識してこらえた。五メートルは離れているとは言え、達人の腕前を持つ相手に隙を見せるわけには行かない。
上条を見る。
鉄腕が背中側から左腕の付け根を掴み、止血している。右足から出血していることもあり、その大柄な身体はほとんど赤く染まっている。しかし、満身創痍でありながら残った右手は刀を離さず、目には強い光が宿り敵である阿含を睨みつけている。
阿含は言った。
「三本腕。最後に改めて、聞きたいことがある」
「……何だ」
億劫そうに上条が答えた。
「なぜ、静岡に戻ってきた」
「……」
「あんたは強い。部下の指揮も……連中があんな間抜けじゃなきゃ上手くいったろう。それだけの腕があるんだ、盗賊でも傭兵でもどこでだって上手くやれただろ。正体がバレたら県軍に瞬殺されるから、前政権ナンバーツーの上条の名前は使えない。そう分かっているのになぜ、静岡に戻ってきたんだ」
「十年前の俺は、川口氏の元で民衆を導き日本統一を果たし、人々が誇りに思うような強い国を取り戻す、そんな夢を見ていた。……夢は覚めた。尊敬できる仲間たちは殺され、かつての理想を追うことはもはやできなくなった。最後の首相という新しいカードを手に入れたが、今の県軍を相手に再起はもはや不可能だろう」
「じゃあなぜ」
「夢を見たからだ。真に己の全てをかけて成し遂げたい夢を。たとえ破れても、なおそれにすがらざるを得ない、そんな夢を」
上条は血だらけの身体でありながら、背筋を正して刀を構えた。
「貴様にはそんな夢はないだろう。農協に言われるがまま人を殺すだけのつまらない男よ」
「夢ならあるさ、うちの依頼人の夢が。危なっかしくて見ててヒヤヒヤするが、全身全霊でそれに打ち込んでいる。だからあいつがこの日本にいる間は、俺が支えてやる。それが農協の意義ってもんだろ」
阿含は気を引き締めた。次の打ち合いで決着がつく。上条もそれを悟っている。正直なところ逃げ出したいが、この状況で背中を向ける勇気はない。
リゼならなんて言うだろう。
『進むなら前に』
彼女ならきっとそう言う。
左足を前に出し、身体を半身にして上条の剣先に晒す面積を最小にした。
折れたマチェットの重さを確かめるように、阿含は柄を軽く握り直す。
時間にして二秒か三秒か、二人は構えたまま見合う。
今回も、阿含から動いた。右手に持ったマチェットを、上条の顔を狙って投擲した。
不意の動きであったが、上条は動じず刀を右に払う。
金属音とともにマチェットは正確に打ち払らわれ、数メートル先の地面に刺さった。
上条が視線を阿含に戻す。その時には阿含は上条の、あごのすぐ下にいた。
マチェットを投げると同時に小柄な身体を丸めるようにして近づいた阿含は、走りながら右足のブーツの底に仕込まれたダガーを取り出してた。
鋭い刃が上条の喉に迫る。目の端に映ったその情報をクロックアップされた脳が処理する。
腕の止血に使われているせいで、背中の鉄腕を前にまわすことが出来ない。左手で防げ。左手で――
阿含はダガーを上条の喉に突き刺し、手首をひねって刃先を回転させた。
腱を切られた上条の左腕が虚しく空を切る。喉から吹き出した血は阿含の頭に降り注いだ。阿含が身を引くと、上条は地面に崩れ落ちた。彼の代名詞といえる鉄腕が左腕を離し、ぎこちなく阿含に手のひらを向けたが、固まって動かなくなった。
阿含も膝をついた。荒く息をする。
上条の傷口からとめどなく血が溢れ、地面に血溜まりを作った。
二人が対峙した時間は五分に満たないが、緊張と疲労が阿含を極度に消耗させた。
倒した。何とか。
このままうずくまっていたいが……。
轟音とともに阿含の後ろの建物が吹き飛んだ。
阿含は頭を守るようにその場に伏せる。
戦車の砲撃だ。頭目である三本腕と連絡が取れなくなり、死んだと判断したのだろう。
阿含はフラフラと立ち上がり、荒く息をした。右腕で顔の血を拭う。しゃんとしろ。あれを何とかしないと、みんな殺されちまう。
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