第32話 静岡農協拡張職員⑥
砲弾が木っ端微塵にし、廃材の山となった民家から長い鉄のパイプを拾った。錆びているが、充分に頑丈そうだ。
ディーゼルエンジンが回転する重たい音を鳴らしながら、戦車はブロック塀をなぎ倒しつつ、校庭から道路に出ていた。
「ボスー、ボスー、死んじまったのかよー。チクショー」
天井の鉄蓋を開けて、盗賊の一人が頭を出している。手にハンディースピーカーを持ち、辺りに呼びかける。
「おーい、誰か、誰かいないのか。敵はやったのか、誰かー」
長尾たまきは走りながら戦車の左後ろをとった。
鉄蓋から顔を出している相手の完全に死角だ。アサルトライフルを構える。
不意に盗賊が頭を引っ込め、慌ただしく鉄蓋を閉めた。
赤外線カメラか。
砲塔が旋回を開始して長尾を狙う。まずい、戦車の砲弾が相手じゃ、近くで爆発しただけでも身体の原形が残るか怪しい。
踵を返して斜めに逃げ、転がるようにして建物の陰に隠れた。
「こちら阿含。三本腕は殺した」
長尾のインカムに阿含の声が入る。
「阿含、気をつけて。連中、思ったより戦車を乗りこなしてる」
念の為に通りを走って距離を取りながら長尾がインカムに話しかける。
上条の指導が優れていたからか、ろくな脳みそを持っていないであろう盗賊が乗っても一応機能する10式戦車がすごいのか。
「対戦車地雷もロケットランチャーもないけど、本当に大丈夫なの?」
「任せろ、一応考えがある。前にたまきが言っていたアレをやる」
「アレって、アレ? いやー、難しいんじゃない。上手くいかないと思うけど」
「大丈夫だ。みんな、合図をしたら大砲が向いていない者は一斉に戦車の……何だっけ上の方」
「砲塔」
「そうそれ。そこを狙って撃ってくれ。あとは俺がやる。……今だ!」
農協メンバーが四方から戦車に銃弾を浴びせた。
様々な種類の銃声が村内に鳴り渡る。戦車の砲塔に九ミリや五.五六ミリ、七.六二ミリの弾丸が当たり、バチバチと音を立てている。戦車は停止している。戸惑っているようだ。
戦車の右斜め前方にいた阿含は、右手に尖った鉄の棒を持ち身を低くして戦車に突進した。狙うは戦車の足元、履帯だ。
戦車の駆動部は阿含の頭よりも少し高さがある。履帯はサイドスカートと言われる鉄の板が垂れ幕状になり上部を覆っているが、下半分はむき出しになっている。阿含は下部転輪という複数の鉄の車輪のような部品と履帯の間に鉄パイプを突っ込んだ。
これで履帯が外れれば、戦車は走行不可能になる。
戦車の砲塔が旋回し、慌てて身をかがめた阿含の頭の上を主砲が勢いよく通り過ぎた。明らかに阿含を意識した動きだ。阿含は急いで戦車から距離を取る。
戦車のディーゼルエンジンが低い唸り声をあげて、戦車はバックを始めた。
戦車の側面の上部転輪と下部転輪がキュラキュラと回転し、阿含が突き刺した鉄パイプに食い込み、折った。履帯はパイプにそってわずかにぼこりと膨らんだが、走行にまったく影響を受けていない。
おいおいまじかよ。履帯丈夫じゃん。阿含はそう思って顔を上げた。
想定よりもずっと早い動きで戦車は五メートルほどバックし、阿含を正面に捉えた。
主砲はしっかりと阿含を向いている。連戦で疲れ果て、血と土でドロドロに汚れた阿含は無感動に言った。
「やべーな、最期の言葉を考えてない」
誰かの右腕が阿含の首に回された。細い腕、艷やかな褐色の肌。きれいに手入れされた爪。
「大丈夫ですよ」
リゼは阿含の顔のすぐ左に自分の顔を近づけ、ささやくように言った。
「私が何とかします」
リゼは左手を戦車に向けた。手首の白いリングが軽く揺れる。
「全システムダウン」
リゼが言った。
大きな変化は起きなかった。戦車が爆発することもなかったし、派手な電子音が鳴り響くこともなかった。ただ、戦車は静かになった。主砲を撃つことも、履帯で二人を踏み潰すこともなく、沈黙している。
静岡市のジャンクショップ『レイジードッグ』店員の立花茜がリゼを呼び出した理由が、HBのハッキング拡張機能の追加だった。
「あたしは現場に行けないからね。阿含の生存率を一%でも上げられるなら、何でも協力するよ。だからリゼ……さんも、阿含を、お願い」
そんな乙女の期待に応えるため、必死にマニュアルを読み込んだのだ。
とはいえ超初心者ハッカーのリゼの腕では、例えHBの強力な演算サポートがあっても、例え相手が半世紀近く前のソフトだったとしても、解析に一時間近くかかるところであった。だが、今回兄のパドルが10式戦車の予備ライセンスを回してくてたおかげで、極短期間でのハッキングが可能となった。
リゼはHBを操作して農協の襲撃メンバー全体チャットにつないだ。
「皆さん、もう出てきて平気です。戦車は完全に停止しました。ただハッチは手動で開けられますので、盗賊の方が出てくるかもしれません。注意してください――って阿含さんお顔が血だらけじゃないですか。大丈夫ですか」
「顔のは全部敵の返り血だよ。それとリゼ……」
阿含はリゼと見つめ合ったまま言った。背中に彼女の体温を感じる。
「顔が近いんだけど」
「あ、ごめんなさい」
リゼは慌てて阿含から離れた。
「こーら阿含、リゼちゃんに命救われてるんだぞ。言うことあるだろ」
山城が手にスナイパーライフルを持ち、自分のと阿含の背嚢を担いで歩いてきた。
「ああ。……ありがとうリゼ。助かった」
「い、いえ。こちらこそ。私の依頼でしたし」
リゼが照れて顔をそむける。
山城がいつもと変わらない様子で阿含に話しかける。
「腕は大丈夫か。散弾?」
「散弾。痛み止めが切れてきてめっちゃ痛いけど、とりあえず血は止まってるっぽい。軽く手当して、静岡帰ったら医者に見せるよ」
「そうか」
「うわーボロボロじゃない。そんな強かったの、上条は?」
長尾が近づいてきた。
「こんな雑魚盗賊団のボスとは思えないほどだったぜ。鉄腕なくてもやばかったと思う。達人って感じ。日本刀でマチェット折ってきたし」
「へー、ドマのをねえ」
「それであっちの刀、傷一つなかったから結構業物かも。死体の横に置きっぱなしにしてるから、後でもらって帰ったら」
「いいの!?」
長尾はミリオタだが家に刀のコレクションを飾るのも好きであった。
「今回たまきと宮崎は後方支援を頼んでたのに、結局最前線に出張ってもらったからな。その埋め合わせってことで」
「そんな気にすることないのに。迫撃砲は途中でやられちゃったし。でもくれるなら遠慮なく。宮崎には私から言っておくから」
自分だけ埋め合わせをもらったことを黙っておくつもりだな。阿含は思った。田村の長尾への心酔具合からしていらぬ気遣いだろうが。
「ムーさんと宮崎さんはどうされたんですか?」
リゼが長尾に尋ねる。
「一応周囲の警戒。もし隠れてる敵がいたらまずいからね」
「なるほど」
「さてと」
長尾が戦車を見上げた。10式戦車だ。あとで運転してみたいなあ。農協の備品に出来るかな。無理かなあ。燃料高いだろうし。
「戦車の中にいる盗賊さんは、投降してくるでしょうか」
リゼの声で長尾は我に返った。
「どうだろうねえ……。でも、リゼさんは別にすることあるんでしょ。元首相へのインタビュー。ここは私達に任せて行っておいで」
長尾は山城とアイコンタクトを取る。
「そうだな。阿含、リゼちゃんをエスコートできるか。武器の回収や後始末はこっちでやっておくから」
「あー、インタビューの間に腕の手当とかしながら待ってるだけだろ。余裕余裕」
リゼが自分のかばんを漁ってタオルを取り出した。水筒の水でしめらせて阿含に渡す。
「そんな格好じゃ首相がびっくりしちゃいますよ。ほら、これでお顔を拭いてください。そしたらそのジャケットも脱いで」
阿含は言われるがまま顔を拭うと、リゼに手伝ってもらいながらジャケットを脱いだ。
「痛でで。引っかかってる引っかかってる。もっと優しくしてくれ」
リゼは阿含の悲鳴を無視してジャケットを脱がせた。
「それではすみません、行ってきます」
リゼは長尾と山城に頭を下げて大塩元首相が囚われているという屋敷へ向かった。
長尾は山城に小声で耳打ちする。
「あの二人ってデキてるんですか」
山城は意味ありげに笑うだけで答えない。
「……戦車の方、手榴弾でやりますか?」
「んー、いや、うちで運用するのは無理だけど、多分県軍に売り飛ばすんじゃないかな。中身は無傷で手に入れたい。うまくすれば依頼人の懐も傷まないだろ」
「分かりました」
二人は戦車に向き直った。長尾はアサルトライフルのセーフティを解除し、山城はスナイパーライフルを背負い拳銃を構えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます