第33話 旧日本国国家元首インタビュー
リゼと阿含は村の北東にある、立派な造りの日本家屋の前に来た。
阿含は背嚢を背負い、血でゴワゴワになったジャケットを腰巻きにし、白いTシャツの上に防弾ベストを着ただけの姿になっている。自分の右腕の匂いをかぎながらリゼに言った。
「なんか俺臭わね。汗とか」
「正直に言ってすごく血の臭いがします。汗も、まあしますね。私もシャワー浴びてないし、汗臭いですよ。インタビューの前に体拭くだけでもしておけばよかったですね」
「リゼは平気じゃね。何かいい匂いするし。外国の匂い」
「え、そ、そうですかね」
リゼは表情を正して家の門に向き直った。
「ごめんくださーい」
「はーい」
高齢の女性の声で返事があると、家の中からパタパタと足音が近づいてきた。引き戸がガラリと開けられ、着物を着た上品な老婆が家から出てきた。
最近の日本ではありえない無警戒さだな。阿含は思った。
「あらこんにちは」
「私はリゼ・ジャウハリーといいます。イギリスのジャーナリストです。こちらは農協の阿含さん。突然の訪問申し訳ございません。本日は大塩健太郎様にインタビューをさせていただければと思って参りました」
「そうですか。遠いところをご苦労さまです」
老婆は家の中を振り返った。
「健太郎様、外国からお客様がお見えですって。……さあどうぞ、お入りください」
阿含は目を細めた。芝居じみてる。リゼは形式的にああ言うしかなかっただろうが、この老婆の反応はなんだ。ついさっきまで迫撃砲や戦車の砲弾が飛び交っていたんだぞ。ひょっとしたら、この屋敷も一筋縄ではいかないかもしれない。
二人は玄関で靴を脱いだ。阿含は片腕でブーツを脱いだため、ひどく苦戦した。
家の中に入り、廊下を歩く。家の中はところどころに小さな電球がポツンとあるだけで全体に薄暗い。
物珍しげに周囲を見渡していたリゼは、不意に圧迫感を感じた。目に見えない布を被せられたような、重たい空気。緊張しているのだろうか。
老婆が引き戸を開けると、部屋の中央に囲炉裏の置かれた和室に通された。大人五人ほどが楽に寝られるであろう広さだ。
「どうぞおくつろぎください。すぐに大塩が参りますので」
上座の座布団に座るよう促すと、老婆は一礼して部屋を出た。
日本風の古民家に初めて入ったためか、リゼは小さく口を開けて部屋の中をきょろきょろと見わたした。
部屋の隅には箪笥(ルビ・タンス)が置かれ、ガラスケースに入った日本人形や将棋盤などが並べられている。壁には五円玉に紐を通して作った亀や、額に入れられた風景画が飾られていた。
阿含は背嚢を畳の上に起き、中から救急セットを取り出した。
「健太郎様、私が運びますよ」
廊下から声がする。
「いいよいいよ。栄子さんは休んでなさい。俺が持ってくから」
引き戸が足で開けられ、半ズボンにアロハを着た老人が入ってきた。手にはお茶とお菓子の乗ったお盆を持っている。
「おまたせしたね。日本国最後の首相、大塩健太郎に御用だとか」
老人は言う。
「おや、今度は女性のお客さんか。堀の深い顔と大きな目、浅黒い肌。君は午前中に来たパドルくんの……」
「妹でございます」
リゼが挨拶と自己紹介をしている間に、阿含は消毒薬の入ったボトルを取り出すと、少量を布に染み込ませ、左腕の消毒を始める。アルコールのニオイが鼻につくが、老人がこちらを気にする様子はない。
特に武器を取り上げられることもなかった。考えすぎか?
「タバコ、いいかね」
老人が囲炉裏に置かれたパイプを手に言った。
「どうぞ」
リゼが返事をする。
「君たちがここにいるということは、三本腕……上条くんはやられてしまったのかね」
マッチを擦りながら老人が言う。リゼが阿含をちらりと見る。
「ええ。あー、死にました」
阿含が答える。もっと何か言ったほうがいいだろうか。立派に戦いました、とか。いや、もし大塩と上条が親しかった場合、逆上させてしまうかもしれない。下手なことを言わず黙っていたほうがいいだろう。
「そうかい」
大塩はパイプのすすを囲炉裏に落とした。
「君たちは上条くんの、あるいは前静岡県知事の夢を知っているかね」
「まずは武力で静岡県周辺を統治し、しかるのち最後の首相を旗印にかつての日本国を復興する、と資料で読みましたが」
「そう、それだ。まあ現実的には難しかっただろうがね」
北海道にはロシアが、沖縄・鹿児島に対しては中国が、駐屯軍を引き上げたもののまだ影響力を強く持っている。アメリカが見捨てた東京はいまだ日本有数の人口を抱えているが、暴動と虐殺、武力による政権交代が繰り返され、世界でもっとも危険な場所のランキングトップ五をここ数十年外れていない。麻薬にレイプ、連続殺人鬼、武装した奴隷商人が主催する人狩りゲーム。暗いニュースが聞きたければ一日で一生分聞くことが出来る。
また、ガソリンが潤沢にない日本では大部隊の移動はほとんどが徒歩に限られる。しかし、日本の風土は地殻変動、磁気嵐とそれに起因する異常気象によって、亜熱帯のジャングル、砂漠、半永久凍土など異様な分布になっている。そして放射能だ。
たとえ静岡中の人間が兵士になって上条のもとに付いたとしても、軍事政権の乱立する日本を統一することは不可能に近い。
「もともとは川口知事の夢だったらしいがね。彼が失脚して上条くんが跡を継いだ、ということだろう。夢というのは大事なものだよ。俺にも俺の夢がある。人に話すようなことでは、ないがね」
大塩はパイプを吹かして言った。
「さて、外国のお嬢さん。俺に会うために混沌としたこの国に来て、恐ろしい門番を打ち倒したのだ。どんな質問にも答えよう。何を聞きたい?」
リゼが答える。
「日本が滅びたあの日、何が起こったかを」
そして老人は己の知る限りを語った。
いかにして、日本が滅びたのかを。
いかにして、彼が日本を売り払ったのかを。
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