第6話 静岡農協①
厄災によって日本の国土はボロボロになった。もちろん静岡県も例外ではなく、国道の複数の箇所が地割れにより走行不能であり、ほとんどの道路が一度も整備されないまま、陥没し、風化し、落石や倒木がそのままになっている。
トアはそんな道路事情を意に介さず、国道県道市道と彼女の頭の中に入っている地図にそって、トップスピードのまま縦横無尽に走り続けた。右かと思えば左。アクセルとブレーキ同時踏み。本人によればかつて一度も大きな事故は起こしたことがないらしいが、阿含は全く信じていない。
山城は後部座席のドアの上についているアシストグリップを握りしめる。
……これだけのスピードを出せたから、先程の小競り合いに間に合うことができたんだな。ジムニーが車体を傾けるたびに、遠心力で体が投げ出されそうになる。しこたま殴られた体がギシギシと痛む。今日の夜は体中のアザがひどく痛んで寝られないかもしれない。だがまあ、そこそこの金は手に入ったのだ。明日は朝から雀荘に行って、いや商売道具が無いままはまずい。やはり武器を揃えて……。
阿含は助手席で両手を合わせ、こみ上げる吐き気を抑えながらうつむいていた。今回の仕事で、今が一番、つらい。
頂上を黒く染めた富士山の、その裾野が広がる様までよく見える静岡県静岡市。かつて七十万人の人口を誇った政令指定都市も、今は二万人ほどが暮らすのみである。それでも静岡県の人口の二分の一以上であり、その多くは市南部の静岡駅とその目抜き通りに集中している。
道路のアスファルトは道の端から裂け目が入り、木の根が露出している。いくつかのビルは崩れ、見た目が無事なものも赤いスプレーで「危険 崩壊 立入禁止」と書かれているものが目立つ。ビルには蔦が這い、長年手入れされていないことがひと目で分かる状態であった。
一際大きく、どっしりと構えた白い建物の前で車は停まった。四枚のベニヤ板をつなげて作られた看板が掲げられており、赤地に白文字で『静岡市 農協』と書かれている。
「それじゃ私、車停めてきますんで」
「ありがとう」
山城は礼を言いながら、阿含はよろよろと無言で助手席から降りた。そのまま建物の白い門に手をついてふらつく体を落ち着かせる。ヒビの入った門には『静岡市役所』の文字が堂々たる書体で刻印されていたが、年月の流れが煤(ルビ・すす)と埃でもってその刻印から威厳を取り払ってしまっていた。
開きっぱなしの自動ドアをくぐると、机や椅子、ロッカーなどでバリケードが作られている。一箇所だけ取り付けられてた木の扉を開けて阿含と山城は中に入って行った。かつては廊下や執務室を煌々と照らしていた蛍光灯も今はポツポツと不規則に取り付けられているのみで、薄暗い。二人はそれぞれの背嚢を背負い直しながら、受付がある二階へ向かった。
「おお、おかえり。随分ぐったりしてるじゃん」
顔に深いシワの刻まれた白いスーツの女が受付で二人を迎えた。茶髪のロングヘアーはよく手入れされているのか艶めいている。静岡農協の部長、中森だ。
「最後のひどい運転のせいだよ、ばあさん」
阿含はドサリと背嚢を床に投げ出すと、チャックを開けて中を探り始めた。
「聞いてるぞ。ボコられてるところをトアに助けられたってな」
中森は愉快そうに笑った。
「日頃自分たちは静岡農協のエースだって触れ回ってるのに、ボコられた上に受付嬢に助けられるって、随分かっこいいやつらもいたもんで」
「誰しも不意を突かれれば脆いもんさ」
山城が言った。
「きっちりやり返してやったよ、くそが」
阿含が顔を上げずに言う。
「おやおや、随分と機嫌が悪いみたいだね」
「農協の連中は守りに入ると弱えって言われた」
「まあ、それは当たってるかもしれないねえ」
ひっひっひと中森は笑いながら言った。
「想定外のことに対処できて一人前とはいえ、それができるようにあんたら鍛えてたらあたしが婆さんになっちまうよ」
「連中の端末を奪った。うまくすりゃ盗賊共との取引場所が見つかるかもしれん。それと、阿含、見つかったか?」
「ああ、これだ。結構奥の方に行っちゃってた」
阿含は立ち上がると背嚢から取り出したものを受付のテーブルの上に置いた。
「大阪土産だ。ペナントとか言うんだろ。向こうじゃ結構あちこちで売ってたぜ」
横長の三角形の布に通天閣の絵が刺繍されている。
「これこれ、ありがとうね。いい絵柄だねえ。後でトアに飾らせるよ」
厄災によって日本の主要な建物は崩れ、壊れ、手入れされないまま野ざらしとなっている。昔を偲ぶ意味でも、産業が機能しない中すぐに作れる土産物にちょうどよいという意味でも、各都市のペナント人気は復興した。あちこちにコレクターがおり、阿含が聞いた噂では、手に入りにくい地方のペナントは拡張職員の収入など鼻息で飛ぶくらいの高値がつくという。
「茶でも入れてやろうかね。阿含、あんた茶葉持ってるんだろ」
拡張職員への業務委託料から静岡市の目抜き通りに並ぶ屋台での支払い、捕虜や外国人の身代金に至るまで、多くのシチュエーションでは端末を使用して電子マネーで取引が行われる。一方で端末の充電容量を節約したい時や、磁気嵐で端末が使用できない時のため、ちょっとした物々交換に特産品を使うことがある。静岡の特産品は、もちろん茶葉である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます