第7話 静岡農協②
「ち、結構いいお茶だぜ。おっさんも少し出せよ」
「俺は報酬はすべて金に変える主義でな」
山城はギャンブル中毒のため、飲む・打つ・買う以外に使う金や物資は持ち合わせないのである。しぶしぶ阿含が乾燥した茶葉の入ったビニールを取り出して中森に渡す。
「あんたらが入れるよりよっぽど上手く入れてやるから。そうだ阿含、あんた今丸腰だろ。いくら市内は安全って言ってもね」
気を良くした中森が受付の下から黒い鞘に入った薄い短刀を取り出した。刃渡りは四十センチ程度。ちょうど阿含がなくした忍者刀と同じくらいの大きさだった。
「マチェットじゃん。何、くれるの?」
中森の返事も聞かず阿含はマチェットを手に取ると、重さを確かめるように左右の手で持ち替えた後、革の鞘から刀身を抜き出した。
「結構いいね、重さもちょうどだし」
「気に入ったようだね。それじゃ、お姉さんはお茶を入れてこようか」
どっこらしょ、と中森が給湯室に向かうのに目もくれず、阿含は新しい武器をためつすがめつ確認した。
「割と手入れもしっかりされてるな」
「おい、それ見覚えがあるぞ」
山城が口を挟む。
「え、まじで」
阿含はグリップに付けられた地球儀のアクセサリを見た。
「あ、ホントだ。確か拡張職員の、ちょっと前に死んだ外国人で、名前は……」
「ドマ、よ。ミャンマー人のドマ」
迷彩服を着た若い女が阿含と山城の後ろから声をかけた。ショートカットの髪を茶色に染めている。
「ああそうだった。そんな名前だった。結構いいやつだったな。愛想が良くて」
山城が言った。
「長尾たまき、業務完了です」
女が受付の前にいる阿含の横に立ち、そう言った。
「おお、たまきちゃん。お疲れ様。あんたも茶ぁ飲んでいくかい?」
給湯室から中森の声がする。長尾はチラリと横目で阿含を見て答えた。
「はい。いただきます」
「おい、それ俺の茶だって」
「別にいいでしょ。どうせあんたお茶入れるの下手だし」
「ちっ、ドケチ女」
「銃買う金ケチって鹵獲品使いまわしてるやつに言われたくないね」
「そうだぞ、阿含。姐さんの言うとおりだ。武器の乱れは心の乱れだ。そうですよね、姐さん」
長尾の後から若い男が一人姿を現した。革のジャケットをはおり、両手をポケットに入れて前傾姿勢で歩いてくる。
「あー、誰だっけあんた」
阿含が面倒くさそうに男を見る。
「この静岡農協の次期エース、田村宮崎さんだ。阿含、お前古株らしいが俺より年下なんだろ。あんま調子くれんじゃねえぞ」
宮崎という名前は、今の日本では珍しくない。厄災の後の混乱期に、生まれた子供の名前を地名にするのが流行したからだ。今までの価値が全て崩れ去り、すがるものがない中で残っている土地の名前を子供の名前とした人々がいた。そのことを考えると、阿含はいつも鳥肌が立つような気分になる。
「中森のばあさん、茶菓子持ってきてくれるかな」
阿含は長尾に言った。
「さあ。でも、誰かさんがボコられて可哀想だから、なにか甘いもの持ってきてくれるんじゃない?」
「ちっ、誰から聞いたんだよそれ」
「トアさん。さっき入り口ですれ違ったから。すっごく嬉しそうにしてたよ。明日には静岡市中に広まってるんじゃない?」
「くそ、最悪だ」
「おいっ」
田村が語気を荒げて言った。
「俺言ったよな。無視してんじゃねえぞって」
「あー、そんなこと言ったか?」
阿含が田村に向き直る。あからさまに長尾と態度が違う扱いに、田村のいらだちが高まる。
「だいたいテメエそこら辺の雑魚にボコられたんじゃねえか、実はエースって言っても大したことないんじゃねえの」
田村はポケットから手を出して阿含に近づいた。
「宮崎、やめな」
「姐さん、見ててくださいよ。俺がコイツに年功序列ってやつを教えてやり―─」
ゴッ
駆け寄った阿含の左拳が田村の頬を捉えた。思わぬ衝撃に田村は尻餅をつく。
「よそ見するとは余裕じゃん、お兄さん」
阿含が田村を見下ろす。
「て、てめえ、卑怯だぞ」
田村は右手で頬を押さえながら、逆の手で阿含を指差した。
「まだ始めていなかったのに」
「そうかもね。そしてまだ終わってない」
阿含は鞘に入ったままのマチェットを田村の手に絡めると、素早く後ろに回りながら腕をひねり上げた。
「ぎいいい」
田村が声を上げる。
「うわ、痛そうだな」
山城が言った。
田村は右手で必死に床をタップし、降参の意思を示す。
阿含は笑って力を緩めると、田村を開放した。
「年功序列はお前を守ってくれないみたいだけど、今どんな気持ち? 雑魚に負けた俺にさえ勝てないお前はなんだ? 稚魚か? 魚卵か?」
阿含がカウンターの前に戻る。
「まあ、さっきボコられた腹いせだろうな」
山城が長尾に言った。
長尾は神妙な顔で田村を見ている。
阿含が二人を見て言う。
「うっせ、新人教育ってやつだよ。女の前でええカッコシイしてるから、現実ってやつを教えてやってんの。こんな雑魚でも一応拡張職員同士ってことになるし」
「阿含、てめえ!!」
阿含の無防備な背中を見て、田村は床に膝をついたまま革ジャンの中のホルスターに吊られている拳銃に手を伸ばした。
「宮崎!」
長尾が声を上げる。
阿含は振り向くと同時に、強烈な右の前蹴りを田村の胸に打ち込んだ。衝撃で田村は後ろ向きに倒れる。後頭部がタイル張りの床に当たり、鈍い音が響いた。
天井が目に映ったと思った田村は、すぐに自分の目にマチェットの抜身の切っ先が突きつけられているのを感じる。
「動くな」
銃を抜かせないようにホルスターごと田村の胸を踏みつけて阿含は言った。左手で鞘を持ち、右手でピタリとマチェットを構えている。その様子に、先程までのゆるさは微塵も感じられない。
「おやおや、ちょっと席を外したらとんだ修羅場だね」
中森がお盆に人数分の湯呑と切った栗羊羹を載せて戻ってきた。
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