第15話 山の怪⑤
「え、な、何やってるんですか」
リゼの言葉に答えず人差し指を落とした腕を祖仁屋の胸のあたりに動かし、端末を取り出すと写真を撮った。
「阿含さん!」
リゼが大声を出す。阿含はリゼの方を振り返った。
「祖仁屋さんは、理解できない方でした。ただ、その、死者の体を弄ぶようなことは」
「ああ、違えよ。こいつは、賞金をもらうのに必要なんだ」
「指、指が、ですか」
「指と、写真データだ。賞金首を殺したら、その証拠に利き腕の人差し指を持ってくること。確かにそいつのだって分かるように、死体の顔と手をセットにした写真を撮影すること」
「写真はわかりますけど、どうして指を……」
「相手とグルだと死んだふりの写真だけ撮って実は生きてました、ができちゃうからじゃね。最初の頃はまじで首持ってこさせてたんだけど、結構重いらしいからな。色々試して指に落ち着いたらしい。まあ、人差し指なくすと銃撃てなくなるしな」
「そう、だったんですね。ごめんなさい、よく知らずに批判してしまって」
「……別に。知らなきゃそういうこともあるんじゃね。それよか写真も撮ったし、ぼちぼち出発しよう」
「はい」
阿含は祖仁屋の着ていた作務衣をマチェットで切り取り、指をくるんで上着のポケットに入れた。しゃがみ込み、作務衣の裾でマチェットを拭くと柄に戻し、一瞬ためらってから祖仁屋の目を閉じた。
小屋の玄関を出ると、先程阿含が言ったように、斧を持った死体がうつ伏せになっていた。大柄で、髪も短かったが……女、ね。
「おい、さっき会ったやつ。いるんだろ」
阿含が大きな声を出した。同時に玄関にいるリゼに向かって手のひらを向け、その場で待つよう指示する。
「あ、俺、その」
ナタを持った男がおどおどした様子で姿を現した。その後ろには先ほどの若い女もいる。
「お前の親父は死んだ」
「父さん、し、死んだ。俺、やらないと」
阿含は首を横に振る。
「もう、嫌なことはしなくていいんだ」
「で、でも、俺馬鹿だから分かんないけど、姉貴達みたいに上手くできないけど、ちゃんとやらないと、いけないから。そうしないと、ぶたれるから」
喋っているうちに興奮したのか、胸の前でナタを固く握りしめた男はどんどん早口になり、力を入れすぎて指の関節が白くなっていた。
後ろで見ていたリゼにとって意外であったが、阿含は銃を構えようとはしなかった。
「落ち着け、親父も姉貴達ももういない。お前は自由なんだ。だから、武器をおろせ」
一緒にいた若い女が不安そうに男を見上げる。
「父さんを、殺した。父さんが、全部教えてくれた。この山での生き方。獲物のとり方。その父さんを、殺した」
男がナタを顔の前まで持ち上げる。
「その獲物には、人間も含まれていたんだろ」
「この家、父さんの家だった。父さん、俺達に良くして、くれた」
「そんなことないですよ」
リゼが玄関から出てきた。
「祖仁屋さんがあなた達に良くしてくれたことなんてありません。だって」
彼女は言葉を切る。
「実の子どもたちに、名前すらつけていないじゃないですか」
男と若い女はピシリと固まった。
阿含はちらりとリゼの方を見たが、それについて触れないほうがいいと判断し、男にもう一度要求を伝えた。
「武器を、下ろしてくれるか」
男はノロノロとナタを下ろした。
「それじゃあ、俺達は行くよ。……じゃあな」
男の前を、大回りで避けながら阿含は歩き出した。そのすぐ脇にリゼも一緒にいる。
背後で男が泣き出した。しゃくりあげるような、声に詰まるような、そんな泣き声だった。
二百メートルほど歩き、山小屋が木で隠されて見えなくなったところで、阿含がインカムに話しかける。
「おっさん、もう大丈夫だろ。合流しようぜ」
「山城さんもあそこにいたのですか?」
リゼが言った。
「ああ、山小屋の近くの木に登って、玄関をチェックしてもらってた。ほら、斧持った女が撃たれたろ」
「そうだったんですね。……え、じゃああのナタの人と話していたときも」
「ま、ヤバくなったら撃ってもらう手はずになってたよ。そのために玄関前で立ち止まってアイツらが来るの待ったわけだし」
「……私、銃を構えないで話し合う姿、すごく感動したんですけど」
「まあ、そのほうが向こうも話しやすかっただろうし。それにほら、結果だけ見れば殺さずに済んでラッキーだったじゃん」
「それは……本当にそのとおりです。恐ろしい、方でしたね。祖仁屋豆吉は」
「食人鬼か。厄災前からいたってのがなによりすごいな。昔の日本もやばいところだったんだな」
想像もつかないけど。阿含は言った。
リゼは自分自身を抱きしめるように腕を掴んだ。
「それに、命を狙われるのも、目の前で人が死ぬのも初めてで。今になって、震えが」
「これが今の日本の日常ってわけじゃないけど、農協の仕事してると危ないことは頻繁に起こるし、やっぱり市内にいたほうがいいんじゃない」
「……いえ、これからもご一緒させてください。一夜にして紛争地域になってしまった日本は、その後の情報遮断と相まって世界でも未だ関心が高い国です。率直に言ってニュース記事の閲覧数が桁違いです。多分今回の祖仁屋豆吉の事件を配信すれば、私の日本取材費ペイできちゃうレベルだと思います」
おっとヨダレが。そう言ってリゼは口元を拭った。
何かシリアスな事言うのかなあ、と思っていた阿含は言葉を探して「ならよかったよ」
とだけ言った。
「おーす、二人共お疲れちゃん」
山城がスナイパーライフルを担いで森の中から出てきた。阿含に向かって背中を向ける。
「虫とかついてない?大丈夫?」
「まあ、多分」
「OK。リゼちゃん最初の取材で中々の大仕事だったね」
「もうヘトヘトです。早く宿に帰って原稿まとめたいです」
「うーん、それはもうちょっと先になるかな」
「えっ」
リゼが顔を上げて二人を見る。
阿含が呆れた顔をする。
「まだ罠の確認が終わってないだろ。この山でもう一つと、次の山がある」
「……」
リゼはまた左手の白いブレスレットを触って音声メモを起動した。
「勤勉さ、誠実さが失われたと言われて久しい日本であるが、今だバカが付くほど真面目であり、契約と報酬にかける熱量は並々ならぬものがあり」
阿含が言う。
「なんか録音し始めたぞ」
「最初と随分印象が違う子だねえ」
三人はその後罠を四つ調べたが、結局イノシシは掛かっていなかった。
島田村についた後はお返しとばかりにリゼが村内の観光をしたがり、疲れてぶーたれる阿含を連れて大塩首相の屋敷跡などを見て回った。
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