第9話 ヒロイン登場①

 静岡県南西部に位置する浜松駅に阿含と山城は来ていた。阿含はアメリカ製のアサルトライフルSCARを、山城は宣言通りドラグノフ式スナイパーライフルをそれぞれ用意している。

「次の便で来ねえと、結構待ちぼうけになっちまうんじゃね」

 阿含が緊張感なくサンドイッチを食べながら言った。

 浜松駅のホームは荒れ果て、あちこちに深い亀裂が入り、視覚障害者用の点字ブロックがいくつか剥がれたままになっている。山城はガムを噛みながら頷いた。

「そうだな。まあ、関西国際空港からここまでガイドに案内してもらってるらしいし、大丈夫だろ」

 鉄道マンたちの厄災前と変わらぬ情熱と執念によって、いくつかの路線はかろうじて機能している。ライフラインである発電所や電波の基地局と並び、鉄道は原則として襲撃不可対象として各地の県民、武装勢力、独裁者たちに認識されており、概ねの安全も確保された輸送手段として広く利用されている。

 もっとも地震や水害、老朽化により断線した箇所や、話の通じない薬中のギャングやカルト教団が巣くい、運行が不可能と判断された区画も多い。そのため、土地勘がないまま陸路を旅する者は、ガイドと言われる移動のスペシャリストを雇うことが一般的である。ガイドたちは自らをジャパントラベルハイエストインターナショナル、JTH・Iジャスィと自称しているが、そちらの呼び名は残念ながら余り普及していない。

 ボロボロに傷つきながらもなお白と青のコントラストが美しい新幹線の車両が、けたたましいブレーキ音を上げながら浜松駅の埃っぽいホームで止まった。

「ひどい音だ」

『ようこそ! 静岡農協』と書いたダンボール紙を適当に掲げながら阿含が言った。山城が応える。

「そう言ってやるなよ。メンテナンスもままならないから、動く電車をローテーションで使ってるって話だぜ」

 ガスマスクを付けた三人組が車両から降りてきた。背の順に小中大と並んで歩いており、大は随分な大荷物を抱えていた。大と小のガスマスクはあちこちが擦り切れたジャケットを着ているのに対し、中の身長のガスマスクはだいぶ埃っぽくなっているが、一人だけ高そうなロングコートを来ている。

 小のガスマスクが阿含と山城に近づいてきた。

「もしすみません、JTH・Iの西川と申します。静岡農協の方ですか」

 山城が答える。

「そうですよっと。えーっと、護衛対象パッケージはその人?」

 中のガスマスクを示す。

「はい」

「こりゃどうも。それで、どうして皆さんマスクしてんの?」

「途中放射能のホットスポットがあったもので、念の為にマスクの着用をお願いしました。それと、合言葉の確認を。……夏山の 茂みふきわけ もる月は」

 山城が阿含を見る。

「なんだっけ」

 阿含がため息をついた。

「風のひまこそ 曇りなりけれ」

 静岡の戦国武将今川義元の句だ。ガイドの合言葉はご当地武将の短歌が使われることが多い。そんなんじゃバレバレじゃないか、との意見もたまに出るらしい。

「おっさん、合言葉忘れると撃たれても文句言えねえぞ。向こうめっちゃ緊張してるじゃん」

「……いえ、大丈夫です」

 ガイドの西川は息を吐いてから振り返り言った。

「ジャウハリーさん、静岡県浜松市までガイドを行い、静岡農協へ引き渡しを完了しました。こちらにサインをお願いします」

「はい、ありがとうございます」

 ロングコートの護衛対象が西川の端末にタッチペンを使って流暢な筆記体でサインを行った。

 背の高い方のガイドがいくつかの荷物をホームに置いた。

「では、我々はこれで失礼します」

 ガイドたちは無駄のない動きで新幹線へ引き返した。けたたましい汽笛がなり、新幹線の扉が閉まり、なめらかとは言えない動きで新幹線は動き出した。

 山城が言う。

「それじゃあジャウ…その、こっちは放射線大丈夫だから、もうマスクとってもらっていいよ」

 護衛対象は頷いてガスマスクを外した。

「おやまあ」

 山城が言った。

 阿含はぽかんとした顔をしている。

 異国のダークブロンドの美女がそこにいた。

 ミルクチョコレートのようなシミのない褐色肌に鼻筋の通った彫りの深い顔立、ウェーブした髪は肩甲骨のあたりにまで伸びている。おおよそ二人が日本で見たことのないタイプの美人であった。ピアスや指輪はしていないが、左手になめらかな金属でできた白いブレスレットをしている。

「改めまして、リゼ・ジャウハリーと申します。父はエジプト人ですが、母が日本人だったので日本語大丈夫です。よろしくおねがいします」

 リゼが右手を差し出す。

 武器を握ったことなど一度もなさそうな、黒く、細い指だ。

 山城が握手をする。

「どうも、ジャウ……リゼさん。山城と言います。こっちは阿含」

 阿含はまだ固まっている。

「おい阿含」

「あ、おう」

 言われてようやく阿含も握手をした。

「そういやあれだな。依頼書の性別欄飛ばされてたな。名前もファミリーネームしか書いてなかったし」

「はい。現在の日本で女性のジャーナリストは珍しいので、悪目立ちしてはいけないかと思って」

「なるほど」

 阿含が言った。

「それじゃ、ミズ……ジャ……」

「リゼで結構ですよ。先程のガイドの方も私の名字を呼びにくそうにしてましたし」

 阿含は山城とともにホームに置かれたリゼの荷物を拾いながら言った。

「そりゃどうも。この後の予定だけど、とりあえずバスで静岡市まで行って、ホテルを案内するから」

「バスがあるんですね。助かります」

「バスがあると言うか、危ないからバスしかないと言うか」

 バスは鉄道の進行状況に合わせて日に二、三本が浜松駅から静岡市内まで走っている。前を護衛用の車が走っており、バス本体も鉄板で補強されている。かつてはハイヤーなども走っていたが、鉄道利用者は野盗にとって最も美味しい獲物であり襲撃が相次いだため、現在はほとんど使われていない。

「あ、そうだ。これ、『お近づきの印』です」

 リゼはそう言ってきれいな黄色の小袋を二人に渡した。

「これは?」

 山城がそう問いかける横で、阿含は無造作に袋を開けて中身を取り出した。

「タバコだ」

 阿含が言った。大阪で何度か見かけた、高い銘柄のタバコの箱だった。

「はい。厄災後の日本では吸う人が多いと母が言っていたので」

 阿含が山城をちらりと見た。

「あー、ありがとう」

 山城はそう言うと、背嚢の外ポケットに袋のまましまった。阿含もジャケットに無造作にねじ込む。

「あの……ひょっとして、ご迷惑でした? イギリスで調べたときは、日本人の喫煙率があがったので、通貨代わりにもなるって。今まで渡していた人たちは、皆さん喜んでいただいていたのですが」

「俺たちは基本的に業務中にタバコ吸わないんだ」

 山城が言った。

「ほら阿含、理由を教えてやれよ」

「……そこのおっさんがタバコのニオイ嫌いだからってのは置いといて。ニオイが服に付くんで覆面しても身バレしやすいとか、森の中で何日も待ち伏せしている時にどうしても吸いたくなったりすると、煙で位置バレするリスクがあるとかおっさんがうっせえからな。だからタバコはあんまりやらない」

「すごい職業意識ですね。農協の方は皆そうなんですか?」

「みんなってわけじゃない。おっさんと俺と、あとはまあ何人かだけ」

 阿含の言葉に山城が頷く。

「命がけになることも多いし、ストレスが溜まる仕事だからね。どうしても依存するものに頼る人が多いよ。酒、タバコ、ドラッグ。俺はカフェインガムずっと食べてるし」

 あんたは何よりギャンブル依存症だろと阿含は思ったが口にしなかった。

「阿含さんは何かやられてるんですか?」

「別に。オフの日にマリファナをたまにやるくらい」

「あれ臭えんだよな」

 山城が言った。

「コイツは結構特殊で、仕事が趣味みたいなとこあるから」

「好きじゃねえよ。他にやることがないだけで」

「あの、すみません。私タバコ吸わない人がいるってこと考えていなくて。何か別のものを後で探します」

「大丈夫だよミズリゼ」

 山城が言った。

「俺たちは吸わないけど、物々交換で他の人にあげたりできるし、ちょっとした頼みごとのお礼に渡したりするし」

「であればいいのですが」

「阿含もそれでいいよな」

「俺は……」

 山城とリゼが阿含を見る。

「俺は、休みの日に家で吸うよ。その、せっかく高いタバコだし」

 一瞬の沈黙の後、山城が笑い出した。

「まあリゼちゃん美人だからな、無下にするのも悪いわな」

「うっせーよ。それよかとっとと行こうぜ。バスが出ちまう」

 阿含が空を見ると、秋晴れのためかいつもよりずっと広く見えた。

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