第6話「誤解」

「……へー。なんか、心配して損した。幸せそうで、何よりだわ」


 目の前にルーンさんが居たのに、昨夜の出来事を思い返して反芻していた私は慌ててティーカップを取りお茶の飲んだ。


 いけないいけない。初めてのキスだからって、おかしくなり過ぎだわ。


 今日はシリルは仕事へと出かけていて、ルーンさんは自分が言い出した看板の件の責任を感じて私の様子を見にきてくれたらしい。


「あのっ……ルーンさん。結婚するんだからいずれキスをするって、どういうことだと思います?」


「……いや、そういう意味だろ? むしろ、その他にどういう意味だと思ったんだ?」


 微妙な表情になっているルーンさんは、私のよくわからない質問の意図をはかりかねているようだ。


 私だって異性にこんなことを聞くのは恥ずかしいけど、この彼しか私とシリルの結婚の事情を知らないので、これはもう仕方ない。ジャスティナに話す訳には、いかないのだもの。


「えっと……そうです。昨日夜会で、シリルにキスされたんですけど……」


「……うん。そりゃ、するんじゃない? あんたたち、夫婦なんだし。人前ですんのは、気分を害する人も多いし、気をつけた方が良いと思うけど……まあ、新婚だから許されるのかね。けど、夜会に行けるとか、良く足腰立ったね。昨日から、フィオナはここに住み出したんだろ?」


「……? 夜会には、行けます。あの……言葉が足りませんでした。その時にシリルに夫婦なんだから、いずれキスをするって言われたんですけど……」


「いや、それはそうじゃないの? キスくらい何度もしてるだろ。夫婦なんだし」


 あ。ルーンさんが何を言いたいのかわからないと言っている意味がわかった。彼は私たちが同じベッドで夜を過ごしたと、そう思っているんだ。


「いえ。その……私たち、まだ夜を過ごしてないんです……けど、夜会でベアトリスさんに言われてキスをすることになって、その後に夫婦なんだからいずれするから良いよねって、言われたんです」


「ベアトリスが? あいつ。本当に、見境なしな行動になってるな……それは、良いか。うん。それで?」


 話を先へと促したルーンさんは、真剣な眼差しだ。私の緊張が、彼にも移ったのかもしれない。


「……あのっ……いずれするのに、今キスをしないのは、何故だと思いますか? 私たち、すでに夫婦ですよね?」


「多分……理由は、結婚式じゃね?」


 私はルーンさんがこともなげに言った言葉を聞いて、口を押さえた。そうか。結婚式での誓いのキスのことを、忘れてた。


「あ。確かにそうですね」


 彼の言葉に納得した私が頷くと、ルーンさんは軽く息をついてから微笑んだ。


「そうそう。良かったじゃん。すごく大事にされててさ。同じ家に住んでて我慢するって、なかなか出来ないよ」


 確かに、そうよね。


 肉体関係のない白い結婚にしておけば、お互いに何事もなかったかのように別れられるから……お飾りの妻として、大事にされているんだわ。私だって、他の貴族に嫁ぐことが出来るし。


「ええ。本当に……私には、もったいないくらいの方です」


「いやいや、そんなことないよ。シリルだって、あんな顔してるけど寝相悪いしさ。それに、勇者だなんだって、後付けの役職だから。俺らも国民の夢を壊さないように振る舞うようにって、報酬もらう前に言われてるからね。王様から」


「……そうなんですか?」


 私はルーンさんに言われて、驚いた。


 確かに勇者ご一行は、私たちにとって夢物語に出てくるような存在だけど……そんな彼らには、冒険を終えた後も役目があるなんて。


「まーね。ベアトリスなんて、そんなのマル無視の暴走して、最悪の結果になってるけど……あいつ居ないと、国を守る結界維持出来ないしさー……王様は俺に泣きつくし、最悪だよ。魔塔所属も、研究費用無料になるくらいしかメリットないし……呼び出されるのうんざりだし。もう出ようかな」


 聖女ベアトリス様の横暴を目の当たりにしたばかりの私は、ルーンさんの言葉になるほどと頷いた。


 ベアトリス様は結界に必要な聖女でもあるから、国に無くてはならない存在だからと、今まで我が儘が許され通って来た。


 だから、あそこまで強気な態度だったのだと。


「あ。ルーンさんが、この前に酒場に居たのって……」


「そうそう。俺が王様に言われてあいつを探したら、ちょうどこっちに帰って来てたシリルを見つけたんだよ。ようやく、長年の悩みの種だったベアトリスから逃げられたと思って、悠々自適な生活してたから……本当に、ショックだったみたいよ」


 ルーンさんはお茶を飲みながら、大きな窓を見た。だから、お酒も入っていたシリルは、ヤケになってあんなこと……。


「ベアトリス様って、シリルが嫌がっても……結婚したいんですかね?」


 もし、私だったら嫌われていると自覚しつつ、夫婦関係を作ることなんて、出来そうもない。


 だって、同じ家に生活していくことになるのに。


「さーね……あいつにとっては、見目の良い人形くらいの感じなんじゃない? シリルだって冒険の間は、必要あってあいつのご機嫌取るしか出来なかったし……もう関係ないんだから、はっきり嫌いだから近づくなと言えば良いのに、言わないんだよなあ」


 私もつられて窓を見ていたら、表門から馬車が入って来たのが見えた。シリルが帰って来たんだ。


「シリルは女の子を、傷つけたくないんですかね……?」


「そうかもね。けど、ベアトリスがあそこまで増長したのは、あいつのせいでもあるんだから、はっきり言いたいこと言えば良いとは思うけどね」



◇◆◇



 ルーンさんは彼も言っていた通りに、私の様子が気になっていただけだったらしい。戻ったシリルと何か話すこともなく、すぐに帰って行った。


「フィオナ。君はヴェルデ侯爵の息子を、知っている?」


 堅苦しい服から着替えたシリルに聞かれ、私は唐突な質問に驚いた。


 現ヴェルデ侯爵の息子は一人だけ。だから、それは私が憧れていたエミリオ・ヴェルデだということになる。


「ええ。エミリオ様ですか? ……何度かお話したことがある程度ですが」


「今日、城で呼び止められてね。君と結婚したことを、本人に確認したいと。だから、その通りで結婚したって言っておいたよ。彼はフィオナのこと、好きだったんじゃない?」


 シリルのエミリオ様と私の関係を探るような質問に、思わず笑ってしまった。そんな訳あるはずないのに。


「ふふっ! まさか。きっと、ジャスティナの友人が気になった程度ですわ。彼は……その、ジャスティナの信奉者の一人のようでしたので」


「……そう? まあ、良いや。今日は、何があったの?」


 シリルは私が離れていた間に、何をしていたのか気になるようだ。もしかしたら、興味もないことを尋ねてくれていると思うと胸が痛む。


「執事のアーサーと西棟の家具の配置決めをしたのと、ルーンさんが訪ねて来てくださったので、そのお相手を」


 シリルが購入したこの邸は、数え切れないほどの部屋があった。主要な部屋から執事が新しく購入した家具の配置を決めているのだけど、数が多すぎてなかなか追い付かない。


「そうか……明日は仕事が休みだから、何処かに出掛ける? 外出が苦手なら、家に居ても良いよ。君は、何が好きなのかな」


 優しくて庶民出身のシリルは妻の私のことを優先してくれるようだけど、貴族の家なら普通は逆だ。夫の趣味を理解するのが、妻の役目なのに。


 ベアトリス様が諦めてくれて、役目を終えた私がもし違う貴族と結婚するなら、彼の持つ常識には慣れない方が良い。


「……シリルは、何処に行きたいですか? 私も貴方のこと、知りたいです」


 私がそう言って微笑めば、返事を待っていた様子だったシリルはパッと顔を輝かせた。


「それはそれは、嬉しいことを言ってくれるね。では、明日の休みは、俺の行きたいところにしよう!」

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