第15話「行方」

 理由のわからないざわざわとするような胸騒ぎの理由は、すぐに知れた。


 早朝、眠っていたところに寝室の扉が叩かれたので、私は何事だろうと目をこすりながら起き上がった。


 もし、私付きの新人メイドが起こそうとしてやって来たのなら、彼女の役目で勝手に入ってくるんだけど、もしかしたら異性の執事のアーサーが危急な要件で私を呼んでいるのかもしれない。


「……はい?」


 扉を開けたら予想外に、夫のシリルだった。


「フィっ……なんて、格好を……あ。ごめん。俺が眠っているところを、起こしてまで、呼んだんだけど……そうだった」


 軍部で働く私の夫シリルは、昨夜私の眠る前まで帰宅はしなかった。仕事が遅くなり帰宅が深夜になる時などには、いつも遅くなるからと事前連絡があるので、私も気にせずに眠っていた。


 けれど、いつもなら家に帰ってきたらすぐに着替えてしまう彼は、仕事着である軍服を着たままだ。


「……シリル……? どうしたの? 何か……あったの?」


 私は夫シリルのいつもならありえない早朝の訪れに、どうしようもなく不安になった。


 なぜかというと、ある人の顔が頭をよぎったからだ。


 ささやかなお礼にと作ったお菓子は夜に取りに来ると約束していた日も、一昨日も昨日も……あれだけ入り浸っていたルーンさんは、ロッソ公爵邸に来ることはなかった。


 なんとなく気分で言った酒場での冗談も、自分のせいだから責任を取ろうとまで言ってくれる人なのに。連絡ひとつもなく。


 絶対におかしい。


「……あ。ごめん。うわ。やばい……薄着の妻の破壊力を、今まで知らなかったから……暑いもんね。ごめん。一瞬、何をしに来たとかの要件を全部忘れた。もう……フィオナが着替えるのを、おとなしく待つんだったよ……」


 シリルが顔を赤くして、もごもごしていると思ったら、妻のネグリジュ姿を初めて見たからだったらしい。


 照れた顔は可愛いけど、彼の要件が私の予想通りなら今はそんなことを言っている場合でもない。


「もうっ……! それは、良いから。シリル。何があったの……?」


 私が早く要件を言ってと急かすようにそう言うと、シリルは急に真面目な顔になり、うんと大きく頷いてから話し出した。


「フィオナ。三日前に君と会ったあとから、ルーンの姿が見えなくなった。俺も今日聞いて心当たりをほうぼう探したけど、やっぱりどこにも居ない。職場の魔塔はもうすぐ辞める契約ではあるけど、まだ契約期間は残っている。ふらりと旅に出るのは、時期がおかしい。あいつから、何か聞いてる?」


 やっぱり……ルーンさんが、行方不明になってる?


 けど、あの人は勇者ご一行にも選ばれた魔法使いで……それって、世界でも一番強い魔法使いという証拠で……そんな彼が危険な状況は、想像がつかない。


「いいえ。私はお礼のお菓子を作るからと言ったら、翌日は、王の命令でベアトリス様に会うからと……お菓子は包んでおいてくれたら夜に取りに来るって、そう言ってたんですが、ルーンさんは来ませんでした」


 お菓子は毎日作り直していたんだけど、やっぱりルーンさんは来ない。私があの日ルーンさんと話した内容を教えると、シリルは難しい表情になった。


 普通に考えればベアトリス様は旅の仲間の一人ルーンさんを何かしても、何の意味もないはずだ。


 彼女はルーンさんについては、自分の好みではないと公言しているらしいし……それもよく考えたら失礼な話だけど、ベアトリス様に好意を抱かれるのは天災に近いので、好まれない方が運が良いのかも知れない。


 でも、本来の目的を達成するのに必要な私やシリルには、手を出してはいけないと王に厳命されていると聞くけど……まさか。


 私が思ったことは、既にシリルも考えていたらしい。深刻な顔になって、眉を寄せた。


「ベアトリスは、ルーンは自分のところには来ていないと言っているんだ。用事があるから王に頼んで呼んで、待っていたけどその日ルーンは来なかったと。あいつは魔法使いらしくきまぐれなところはあるけど、ちゃんと約束は守るから……心配だな」


 長い時間を共に過ごした友人であるシリルも、ルーンさんは約束を守ると言った。そうよ。彼が伝言もなしに、約束を破るなんてやっぱりおかしいんだ。


「あの、シリル。ルーンさんは、聖女ベアトリス様には……自分は手こずるかも知れないと、前に言っていたことがあります。そうなんですか?」


 確か自分には勝てない人が居るのかと聞いた時に、彼はこう答えたはずだ。「ベアトリスの対処は、面倒そうだけど」と。


 私の質問にシリルは、浮かない顔をして頷いた。


「フィオナも、ベアトリスは……聖女として、国の守護結界を張っていることを知っているよね? あいつ以外ならあんなにも広い範囲を守ることは結構な負担なんだけど、能力の相性でそういう結界術や、通常なら治せない怪我も瞬時に治せる治療術に優れているんだ」


「はい……それで、魔王討伐時も大変だったと……」


 確か勇者シリルはわがままな彼女のご機嫌を取りつつ、魔王討伐という最終目的を果たしたはずだから、治療術やサポート系の魔術などを得意としていることは知っていた。


「うん。だからさ……もし、ルーンがベアトリスの結界に封印されたら、あいつは魔法使えなくなるかもしれない。ベアトリスの結界って結構便利が良くて、なんなら自分の条件に合うように閉じ込めるための結界を作ったら、いくらルーンでも内側から出てくるのは難しいかもしれない」


「そんな……」


 それは手こずるどころの騒ぎでもなくて、手も足も出なくなってしまうのではないだろうか……私が驚いて絶句したと見ると、シリルは苦笑して首を横に振った。


「けど、あのルーンの魔力は尋常じゃない。歴代でも一番の数値だって聞くし。もし、ベアトリスが結界を張られる前に勘づけば、絶対に中に入ることはないだろうし……ベアトリスは、三日前から確かに神殿からは出ていない。だから、どうしても……おかしいんだ」


「……ルーンさん。そんな……」


 私は心の中にわき上がるような暗い不安のあまり胸の前で、手を組んだ。


 ルーンさんがいきなり居なくなるなんて、普通なら考えられないならば、私たちの予想外な普通ではない何かが起きているということだから……。


「うん……ごめん。こんな深刻な話をしている時に、本当に悪いんだけど……」


「? シリル。どうしたの?」


 さっきまで大真面目な顔をして話していたシリルは、目のあたりをおおって言いにくそうにして言った。


「その格好すると、胸が……うん。胸の谷間が見える。フィオナって、着痩せするタイプだったんだね。あ。俺の前だと、良いんだよ! 俺は、夫だからね。君のそういうところを見れる権利を持っているのは、俺一人だけだからね。けど、結婚式用のドレスが出来る前には、あんまりそういう格好をしない方が良いかも知れない……うん。我ながら、理性が心もとないから。ごめん」


 私は彼にそう言われて下を見ると、確かに薄いネグリジュを押し上げるように胸の形がくっきり出ていたので、慌てて前をかき合わせた。


「ごめんなさい。シリル」


 これは恥ずかしいところを見られてしまったと謝った私に、シリルは慌てた様子で言った。


「あっ……謝らないで! フィオナは、何も悪くないんだよ。むしろこちらからすると、見せてくれてありがとうなんだけど。結婚を焦ったのも俺が、悪いよね……婚約期間なしで一緒に住み出したのも、何もかも俺が悪いんだ。けど、時期的に本当に、目の毒でしかないから……俺の前で薄着する時は、気をつけてね」

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