第14話「予感」

「ああ……なんて、可愛いんだ。俺の妻は天使なのかな? 白い羽根は、どこかに置き忘れて来たの?」


 軍で戦闘顧問として働いているシリルの休日だったので、私たちは結婚式用のドレスを見に来ていた。


 結婚式に前向きになった私を喜んでくれたシリルは、とりあえずどんなデザインが気になるのか見に行こうと、王都でも最高級店に連れて来てくれたんだけど、あれもこれも何枚も試着してすっかり疲れてしまった。


 なぜなら、結婚式用のドレスはデイドレスとか晩餐会や夜会用のイブニングドレスとか……そういった日常使いのドレスとは、工程が全く異なるものだからだ。


 レース編みのヴェールに、長い長い丈のドレス。


 試着して気に入った形を参考に、このメゾンの最高責任者が私の雰囲気に合うようなデザインを、後日邸にまで来て提案してくれるらしい。


 シリルは実際に着て見てみないとわからないからと、私を有名なメゾンに連れてきてくれたんだけど、本来ならデザインから進めてしまうことも多いらしい。


 結婚式は一生に一度だから私の納得のいくものにしたいと言ってくれて、本当に彼が優しくて嬉しい。こういうところも好きだから。


 優しいのは良いんだけど……困ったことに、人前ではありえないくらいに視線と言葉が甘過ぎる。


 こういう場所で働く店員さんやお針子さんたちは慣れたものだろうけど、どこに行っても注目の的になる姿の良い夫に慣れない私には本当に恥ずかしいし居心地が悪過ぎる。


「もう。シリル……そうして、褒めてくれるのは、嬉しいけど。恥ずかしい。あんまりおおげさに言わないでほしい……」


「ごめん。つい、思っていたことを、そのまま口に出してしまった。どうする? さっき見たドレスも、気に入っていたようだけど」


 ごめんとは謝ってくれるけど、シリルはぜんぜん悪いと思ってなさそう。この前、お互いの誤解が解けて、彼との距離は目に見えて縮まった。


 男性に免疫のない私には……本当に、近過ぎるくらいに。


「これ……すごく好き。可愛いもの。シリルはどう思う?」


 派手よりな今の流行とは違うかもしれないけど、古典的で精緻(せいち)な紋様を描くレースで出来たヴェールときらめく宝石が控えめに飾られたドレスは素敵。


 私の好みや体の線にも、ピッタリだった。


 嫌な顔せずに長時間試着に付き合ってくれていたシリルは、ついに気に入るものが見つかったかとパッと顔を輝かせた。


「フィオナ。とっても可愛いよ。天使に仲間と間違えられて連れ帰ってしまわれないかは、心配だけど。これが気に入ったの? わかった。マダム。これを基にデザインしたものを、注文しようと思うんだけど……」


 すぐ近くにいた責任者のマダムは、私たちの希望を書くためのメモを持って頷いた。


「かしこまりました。こちらだと……そうですね。奥様に合うデザインをお出ししてから、十月ほどお時間を頂きます」


 結婚適齢期の貴族は、お互いに気に入って家同士の条件が合って婚約すれば、公示して一年ほどで結婚することになる。


 だから、結婚式用の高価で豪華なドレスとなると、そのくらいの長い制作期間が必要になるのだ。


「……十月」


 シリルは期間を聞いて笑顔のままで固まったので、私は慌ててしまった。彼は庶民出身なのだし、もしかしたらもっと早くに出来ると思っていたのかもしれない。


「シリル。ごっ……ごめんなさいっ……私、もっとすぐに出来るドレスでも、大丈夫だから。今から基本になるデザインを、違うものに変えるわ」


「いやっ! 何を言ってるんだ。俺はフィオナを世界で一番幸せな妻にするんだ。そのためになら、どんなに時間や費用が掛かっても構わない。うん。マダム。大丈夫だ。それで進めてくれないか」


 はっとしたシリルはキリッと真面目な顔になってそう言ってくれたので、私はほっと息をついた。本当に私の夫は、優しい……好き。


「……あの、ロッソ公爵夫妻は既に結婚証明書を提出されて、同居されていると聞いておりますが」


 最高責任者のマダムは厳しい顔をして、重々しくそう言った。


 体面を重んじる貴族ではそういった流れは珍しいので、貴族と付き合いのある彼女のこと、私たちの噂を早々に聞いていたのかもしれない。


「ああ。そうだよ?」


 明るく社交的なシリルは軽く答えたので、彼女はより難しい顔になった。


「式までに奥様の体のラインが変わると、困ります。痩せすぎても太りすぎてもいけません……もちろん。ご懐妊(かいにん)となると、おめでたいことですが、愛する奥様の希望通りとはいかなくなります。それだけは、先にご忠告しておきます」


「……胸に刻みます」



◇◆◇



「しかし……十月間か。フィオナ。ドレスが出来たら、すぐに結婚式をしよう」


 帰り道の馬車の中で、シリルは私に言った。


「え? けど、社交期だと、皆さまに迷惑になるかもしれないし……一月か二月待った方が、良いのではないかしら?」


 この国の貴族の常識でいくと社交期のハイシーズンに結婚式をすることは、あまりない。


 もしかしたら、庶民出身のシリルはそれを知らないのかしらと思った私は、彼に教えるつもりでそう言った。


「良いんだ。時期に文句を言うやつは、来なくて良い……俺はそうしたいんだけど、駄目なの? フィオナ」


 こちらを見る目は切なげで、うるうるとしている。いつも凛々しく颯爽としているシリルがそんな表情をするなんて思わなくて、私はびっくりした。


「っ……いいえ。シリル。シリルがそうしたいなら、私は大丈夫よ」


 私は元気がない時に彼がいつもそうしてくれるようにして、彼の手を握った。シリルは大きな手で私の手を握り返すと、はあっと切なげに大きくため息をついた。


「ありがとう……ああ。十月間か」


「シリル。もっと早くに結婚式をしたいなら、私は構わないわ。マダムの言う通りに、レースのヴェールを別のものにすればきっと期間も短く出来るはずよ」


 私の選んだドレスのヴェールは特別製で、異国の有名な職人に依頼し長さなども私合わせで、計算して作って貰えるらしい。


 一目見ても美しくて、付けた感じも気に入っているのは確かだけど、大事な夫のシリルを悲しませてまであのヴェールを着けたい訳でもないのだし。


「……良いんだ。俺は我慢出来る。フィオナを愛しているから。我慢する。大丈夫。愛しているから、十月間なんて軽く我慢出来るんだ」


 自分に言い聞かせるように繰り返したシリルは、私が思っていたよりもだいぶ頑固みたいで、何度言ってもあれで良いと言うばかりだった。


 夫のシリルは、こうして常に私のことを最優先にしてくれる。だから、彼の悩みの種である聖女ベアトリス様とのことを、私と結婚することでなんとかすることが出来て本当に良かった。


 ちなみに聖女ベアトリス様は、私とシリルには絶対に近づくな連絡を取るなと厳命されているらしく、それを破れば神殿に住む彼女は当分の間外出禁止となってしまうらしい。


 可愛らしい罰のようにも思えるけど、神殿が嫌で早く出たいと思っている彼女にはこの罰は効くだろうと言うのはルーンさん談。


 それに、ヴィオレ伯爵が聖女ベアトリス様の横暴(おうぼう)をごり押ししようにも、私のお父様であるノワール伯爵が絶対に許さないだろうとのこと。


 私のお父様のノワール伯爵。実家では完全に昼行灯だから、何も知らなかったんだけど……政治では切れ者で有名で、聖女の生家だからと無理強いしてくるヴィオレ伯爵に真っ向から立ち向かっていて、それぞれに仲間が居て……という、激しい派閥争いになっているみたい。


 だから、シリルは私が結婚相手でないと逃げきれなかったのは、確かなことなのかも。


 お父様だって娘の結婚相手でなければ、関係ないからとベアトリス様の結婚相手については放っておく可能性もあるし。


 国民としては守護結界の元である彼女が居てくれないと本当に困ってしまうので、どうにか穏便にシリルを諦めてくれたら良いけど……。


 予定通りに夕食を外で済ませてきた私たちは、かなり遅くなってからロッソ公爵邸へと帰り着いた。


 本当は昨夜取りに来ると言っていたので代理で執事に渡すように頼んでおいた昨日ルーンさんのために作ったお菓子は、まだ取りに来ていないようだった。


 まだ、ベアトリス様との用事が終わっていないか、何か他に用事が出来ているのかもしれないけど……約束はきっちり守ってくれるルーンさんらしくなくて、私は心に引っかかってしまった。


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