第27話「焼き菓子(Side Ciryl)」

「何これ? ……消し炭?」


「……焼き菓子に、なるはずの……ものだった……」


 俺の邸を完全に自宅のように扱っているルーンは、お菓子作りがうまくいかずに落ち込み、ガックリと項垂れた俺の背中越しに、黒い鉄板に載ったものをまじまじと見ていた。


「おいおい。どうしたんだよ。急に。新婚の妻の影響で、お菓子作りに目覚めたのか?」


 俺の妻フィオナはお菓子作りが趣味で、一番にそれを食べているのは、何故か俺でなくルーンだ。


 正直、納得はいっていない。


「お前が! お前が言ったんだ! 結婚したばかりのフィオナと、もっと仲を深めるにはどうしたら良いかって聞いたら、フィオナの楽しんでいる趣味を体験して理解してみれば良いって言ったんだ!」


 喜ぶ顔が見たくてやったのに、上手くいかなかったことが悔しく、何も悪くないルーンを睨み、当たるようになってしまった。


 それを悪いとは思いつつも、長い時間を過ごしたルーンは気にしていない。


 俺たちはそういった信頼感だけは厚い。何故かというと、共に大いなる困難に立ち向かい、上手くいかない時に互いに当たり合ったことだって数え切れないからだ。


 目の前にある消し炭となった悲劇を生み出したのは、まさかの自分の言葉が原因だったのかと、ルーンは自分の中にある記憶を探るようにして上を向いた。


「えっ……俺、そんなこと言った? ……まじで覚えてない。いつの話? けど、確かに助言自体は的は射てる。やっぱり、俺って良いこと言うなー。まるで、記憶にないけど」


 多くの知識を必要とする魔法使いを生業にしていることからわかる通り、ルーンは素晴らしく頭が良い。そして、記憶力だって驚くほどに良い。


 強い酒を水を浴びるように飲まなければ、記憶を失うことだって、あまりないはずだ。


「……この前、ライリーと一緒に久しぶりに三人で飲みに行った時だよ。ルーンは、寝落ちる前に珍しく呂律が回ってなかったから、あれは本当に酔ってたんだな」


 鉄板の上にある完全に炭化してしまった焼き菓子を、俺はため息をつきつつ、一応は皿に載せた。


 ……なんて、侘しい光景なんだ。これは、フィオナには見せられない。


 本来ならば、フィオナの好きそうな模様が描かれた皿の上には、美味しそうなきつね色の焼き菓子が載るはずだった。


 俺が軍部の仕事を引き受け、妻のフィオナは邸を女主人として取り仕切り、そして、王より賜った領地についても彼女に管理をすべて任せていた。


 優秀な彼女は、すぐにそれらをそつなくこなせるようになり、結婚したばかりの俺は、出会う人出会う人全員に、出来る妻自慢を聞かせることになってしまった。


 可愛らしく中身も素晴らしく、仕事も出来る妻は俺の自慢だ。


 そんな彼女の書類仕事の合間に食べて貰えればと、お菓子を作ったは良いものの……それを作った自分で言うのも何だが……何なんだ。これは。


 作った自分ですら食べるのも躊躇ってしまうのに、愛する妻の目には触れさせる訳にもいかない。


 ……快く材料を準備してくれ、懇切丁寧に作り方を教授してくれたシェフに、なんと言い訳しよう……出来上がったら見せて欲しいと言われていたので、後で謝りに行くか。


「あー……あの時か、てかお前らはあの後も記憶あったの? 飲み比べして、俺が最初に潰れた日だろ?」


 いつ自分がそれを言ったか、ようやく思い出せたらしい。酒には強いルーンだが、俺もライリーだって負けていない。


 というか、俺たちのような元冒険者と、酒は切って切り離せない。


 パーティを組めば大体、作戦会議は飲み屋。クエスト終わりの祝勝会も飲み屋。何なら、必要な仲間探しだって、顔馴染みの飲み屋の紹介だったりする。


 ほぼ毎日飲んでいるので、酒には身体が慣れているし、ならば弱かったとしても強くもなろうと言うものだ。


「そうそう……はーっ、これどうしようか。俺も美味しく作れるはずだった材料をこれにしてしまった罪悪感は持っている」


「……栄養はありそうだし、庭にでも撒いとけば? 普通に捨てるより、罪悪感はマシになるだろ?」


 ルーンは素っ気なく言い残すと、さっさとその場から去って行った。


 国王より俺を探しに行けと言われて断ることが出来なかったあいつは、その原因となった所属している魔塔は辞めたいと届出しているはずだ。


 だが、なんだかんだで期間を延ばされて、他で働くことも出来ず、時間が余って仕方ないらしい。


 暇つぶしか何なのか、日中は俺の邸の何処かには居る。大変な苦行を共にこなしたルーンだから、俺もうるさく言うつもりはないが、あいつが今何をやっているかは謎だ。


 そもそも、俺は魔法使いのルーンが、魔塔で何をやっていたかも知らない。まぁ……知る必要もないが。


「はーっ……そうだな。フィオナは、庭園が気に入っているしな」


 俺はクッキーの載った皿を持ち、庭へと出ることにした。


 フィオナの口に入るはずだったものが、庭に咲く花の栄養になるとは……妻フィオナも生きて動く花と言って差し支えないほどに可愛いが、それはそれで違うことは、立派な妻バカである俺も理解はしている。


「……シリル? 何をしているの?」


 俺が庭へと歩いていたら、背後から不思議そうな妻の声がした。仕事に行っているはずの俺が、邸の中に居ることを知れば驚いてしまうのも無理はない。


 そして、手に持っていた焼け焦げた何が何だか訳のわからないものを、反射的に見下ろした。


 ……フィオナには、これを見せる訳にはいかない。


「フィオナ。ごめん!」


 俺は皿を両手に掴み、振り向くことなく前へ走った。そして、庭園へと辿り着いた。さっさとこれを処理して戻り、置いてきてしまったフィオナへ言い訳しなければ……。


 出来るだけ細かくしようと、俺はクッキーを手で砕き、砂のような状態になった焦げた焼き菓子を土へと落とした。


 失敗は成功の母だと言うが、フィオナに俺の手作りのお菓子を食べてもらえる日は遠そうだ……。


 黙々と土へと戻っていく焼き菓子だったもの……お前たちは土から栄養を貰って、小麦粉になって俺のところまでやって来たのに、また土へと還るのか。すまない。


「っシリル? 何してるの?」


「フィッ……フィオナ! 何でもないんだ!」


 しんみりと考え事をしながら処理をしていた俺は、フィオナに追いつかれてしまったらしい。


「……嘘。さっき、背中に隠したものは何?」


「何でもない」


 俺たち二人はしばし見つめ合い、そして、フィオナは不思議そうに首を傾げた。


「手に土……? いいえ。もしかして、粉? シリル、もしかして、お菓子を作って、失敗して処理をしているの?」


 俺の妻は優秀過ぎて、この状況を見ただけで、何があったかを悟ってしまったらしい。


 驚かせたかったが、こうなれば仕方ない。俺は大人しく、頷くことにした。


「うん……ごめん。失敗してしまった」


 美味しそうなお菓子を目の前にして「嬉しい。私のために作ってくれたの?」と喜んでくれるフィオナが見たいがために、俺はお菓子作りに失敗した……。


「どうして謝るの? もしかして……私のために、お菓子を作ってくれようとしたってこと?」


 自己主張をあまりしないフィオナは、あまり口数は多くない。可愛らしい外見も相まって、大人しく見られる。


 だけど、俺は知っているんだ。


 ……思慮深い彼女は目の前に居る相手を良く見て、その人のために何をすれば良いかを考えてから、動こうとしているって。


「うん。けど、失敗して……フィオナの趣味を、体験したかったんだ。君のことを知りたくて」


 フィオナがそのまま胸に飛び込んで来たので、後ろ手に持っていた皿を落として両手を前に出し……抱きしめようとして、手が粉まみれであることに気がついた。


「シリル! 嬉しい……私のことを、わかってくれようと思って、してくれたのね」


「そうだけど……待って。俺の手が汚れているから、フィオナの服が汚れるから……」


 そういう理由で、愛する彼女に抱きしめられているのに抱きしめ返せない。


「良いの! これは、邸用のデイドレスで、洗濯も出来るものなのよ。汚れても着替えれば良いから、良いわ」


「……そうなの?」


 正直に言ってしまうと、俺には貴族女性のドレスの違いがあまりわからない。デイドレスのフィオナ、可愛い。イブニングドレスのフィオナ、可愛い。ネグリジェのフィオナ、可愛過ぎて……。


 にこにこととても嬉しそうな妻を見下ろし、俺は本当に結婚して良かったなあと思う。いつものことなんだけど。


「シリル。これから、私と一緒に作りましょう。そうしたら、すぐに上手く出来るわ。だって、シリルだもの」


 俺の妻は俺が喜ぶ言い回しを、心得ていると思う。


「そ、そう? フィオナが言うなら、そうしようかな……」


 そして、二人で仲良く作ったクッキーを、どこからか甘い匂いに誘われてやって来た魔法使いと一緒に食べたロッソ邸では、三人でお茶するいつもの光景になった。

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