第30話「プリン」
「さっ……これで、後は冷やすだけね」
私は久しぶりに作ったプリンを型に流し込み蒸して、この粗熱が取れれば魔法の力で食品が冷やせる氷室に入れようかと思った。
以前からの懸念事項だったカラメルソースも上手く行ったし、ほど良い粘度になったから蒸した後も見た感じかなり良さそうだ。
私はエプロンを外すと、午後のお茶でもして冷えるまでの時を待とうと思った。
近くに居たメイドレイチェルに陽の当たるテラスでお茶の準備をするように言いつけると、外に出て新鮮な空気を吸った。
私が豪華なロッソ公爵邸で暮らすようになって、そろそろひと月が経とうとしていた。
これまでは色々あって本当に慌ただしかったものだけど、そろそろ使用人たちも落ち着いていて、彼らを取り纏める役目をしている女主人たる私も日々の暮らしが問題なく回り始めたと感じていた。
シリルは軍での仕事が本格的になり、最近は新しい陣形を考案したりと参謀のような役割を果たしているらしい。懇意にしているという将軍にもこの前にお会いしたけれど、軍人とは思えないくらいに温厚そうで優しい方だった。
けれど、シリルの話によると将軍は部下たちからとても恐れられていて、規律にとても厳しく怒った時には誰にも手が付けられなくなるそうだ。
とてもそんな風には見えなかったけれど、数万という兵士の頂点に君臨する将軍であるのだから、そうして怖いと思われる必要性だってあるだろうし、それも仕方ないことなのかもしれない。
「フィオナ!」
不意に仕事中のはずの夫の声を聞き、私は驚きながら振り返った。
「シリル! 今日はどうしたの? ……何かあった?」
いつもシリルが帰宅しているのは、夕方から深夜に掛けてだ。だから、私はこんな昼間に帰って来た彼に何かあったのかもしれないと思った。
「ううん。ごめん。何もないよ。実は先方の都合で予定していた会議がなくなってしまっていてね。丁度書類仕事も片付いていて暇だし、家へ帰って来たんだ。たまには、そういう日があっても良いよ」
微笑んだシリルはテラスにあるテーブルに座っていた私の近くへ座り、メイドに自分の分も用意するようにと素早く頼んでいた。
シリルの金髪が陽の光を弾いて、私は眩しくて目を細めた。ううん。それだけではなく、目映いくらいに姿が良い人なんだけど……私の夫であることが、今になっても信じられないくらいに。
「まあ。そうなの? ちょうど私も今、お菓子作りが一段落ついて休憩しようと思っていたところなの」
そんなところにこうして帰って来るなんて、世界を救って人類有数なくらいに善行を積んでいる勇者シリルはタイミングだって良いようだ。
作法通りメイドたちがお茶の準備を調えるのを待って、シリルは話し出した。
「へえ。良いね。今日は何を作ったの?」
男性だけど甘い物が好きなシリルは、機嫌良くそう言った。
「プリンを作ったわ。今まで成功したことがあまりなかったけれど、今回は上手く行きそうなの」
固すぎたり逆に柔らかすぎてしまったり……そんな失敗作を経ての、今回のプリンだ。自信だってあるし彼が食べてくれれば、美味しいと言って貰える自信があった。
「すごいね。あれって専門のお店でもないのに、フィオナは手作りで作れるの? 俺の妻は本当に、なんでも出来て自慢だよ」
シリルはお茶を飲みつつそう言い私はそんな風に彼に褒められるたびに照れつつも、とても嬉しかった。
こんな風に手放しで褒めてくれるシリルは、それが彼の本心であると、その姿を見て居れば理解することが出来るからだ。
素直で朗らかでとても優しいし、人としての器がとても大きくて……そして、世界にただ一人しか居ない世界を救った勇者様。
「……それは、言わないでね。シリル。理由は前にも言ったと思うけれど」
貴族はこういった使用人たちの仕事とされるものを趣味とすることは、あまり良い顔はされない。何故かというと気品高く人を使うような立場にあるのに、使用人の仕事を取ってしまうのかと言われてしまうからだ。
お菓子作りは楽しいし私はやりたい。けれど、夫シリルの貴族としての評判を落としたい訳でもなかった。
「もちろんだよ。貴族はお菓子作りを、趣味にしてはいけないんだろう? 俺だってちゃんとそれは理解しているって、フィオナ」
この前についうっかりそれを上司に言い掛けたことのあるシリルは、今度は大丈夫と言わんばかりに苦笑した。
「ふふ。大丈夫だと思うけど……私の話を同僚さんにも、たくさんしているんでしょう? シリル」
なんとシリルは私と結婚したことが自慢らしく、会う人会う人に私の話をして回っているらしい。嬉しいけれど、なんだか照れくさい。
「うん。俺の妻は本当に可愛くて最高で、仕事も出来るってね。あ。お菓子作りのことは、もちろん言ってないよ……美味しいお菓子を自分で好きな時に作れるなんて最高の趣味だと思うけど、それは俺が思って居るだけで、伝統ある貴族の常識とは違うもんな」
納得はいかないまでも貴族として自覚を持っているシリルは、生まれついての庶民から少しずつ貴族シリル・ロッソへと生まれ変わっているようだ。
「ええ。面倒なことも多いと思うけれど、そういうものだから……あら」
私はメイドレイチェルが目配せをしていることに気がついて、彼女にこちらへ来るように手招きをした。
「奥様。実は氷室の調子が悪いみたいでして……修理の依頼はしているんですが、今日は難しいかもしれません。晩の食材については、既に調理を開始しているそうなので、問題はなさそうです。ですが、プリンはいかが致しましょうか?」
「あら……そうなの」
氷室は魔導具と呼ばれて、魔力を供給されて動いている道具だ。だから、魔力切れになる前には間に合うように定期的に点検を行っているのだけど、元々備え付けの氷室だったので、出来ていなかったのかもしれない。
私の次の言葉を待っている様子のレイチェルに、どうしようかと思った。
氷室は魔導具屋に来て貰えばすぐに修理出来るだろうけれど、急に来て貰うことは向こうだって都合があるだろうし難しいとは思って居た。
……あ。
「そうだわ。ルーンさんにお願いしましょう」
夫の友人、救世パーティの一員の魔法使いルーンさんならば、魔導具に魔力を吹き込むなんてすぐに出来てしまうだろう。
それに、彼は所属している魔塔を抜けようと考えていて、このところ友人シリルのロッソ邸へ入り浸りなのだ。
「……待って。フィオナ。どうして、俺には聞かないの?」
珍しく不満そうな声を出したシリルに、私は驚いてしまった。夫はいつも上機嫌で朗らかで……こんな拗ねたような表情をすることなんて、あまり見たことはなかった。
「シリル?」
「魔導具の魔力切れなら、別にルーンでなくても俺が修理出来るよ。ルーンは確かに専門だけど、俺だって魔法が使えない訳ではないからね」
「ごめんなさい。シリル。貴方を無視した訳ではないんだけど……」
見る間に機嫌を悪くして言ったシリルに、私はとても驚いて弁解した。
怒ってしまった? どうして……?
シリルははーっと大きく息をついて、両手で頭をかき混ぜて言った。
「ごめん。夫の前に頼られようとしたあいつがムカついた。別にフィオナもルーンも悪くないよ。俺の心が狭いからだから気にしないで」
「ううん。大丈夫。気にしないで……それに、シリルの心から狭かったら、世界中の人の心が狭いと思うわ」
すぐに謝ってくれた夫にほっとして私が微笑めば、シリルは小声でぼそっと「あと、九ヶ月」と呟いた。
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