第24話「酒場(Side Ciryl)」

「さすがに俺も、これは同情せざるを得ない……どうする?」


「どうするって、俺が判断出来ないよな? ……まじかよ」


 こういう事態を大抵は面白がっているのに、珍しく気の毒そうな顔をしているルーンを見て、俺は頭を抱えて机の上に額を付けた。


 ざわざわとした酒場の喧噪が聞こえなくなるくらいに、ルーンの言葉への驚きが勝っていた。


 産まれた時から聖女として育てられたベアトリスは、比喩でもなんでもなくて、この世のすべてのことが自分の思い通りになると思って生きている。


 多くの国民を守る国中を守る守護結界を展開するのは幼い頃から彼女の役目だし、平たく言うと国民総動員で聖女たる彼女を甘やかした挙げ句に、えらいことになってしまった。


 この俺は魔王復活時に、神の宣告を受け勇者となった。


 それまでにもある程度の手応えが感じていたし時期的にそうなるなら、おそらく俺が勇者だろうなと自分でも思っていたので、実のところ選ばれたことに関してあまり驚きはなかった。


 剣聖も魔法使いも、順当な人選だ。


 魔王討伐が役目の勇者ご一行に選ばれるほどの高い能力を持つ人間なら、大体はそれまでに世界でも有名になっている。ライリーもルーンも名前は聞いたことがあったので、王宮に集められた時に顔合わせして名前を聞いてもこいつだったか程度。


 問題は、聖女のベアトリスだ。


 初対面のベアトリスは、これから長い旅を共にすることになる三人の顔をしげしげと見つめた後「ルーンさんは、私の好みじゃないわ。ライリーさんは、恋人にするなら良いわね。結婚するなら絶対にシリルさんだわ」と言ったので、俺たち三人はこの時全員同じことを考えたと思う。


『何言ってんだ。この女』


 それからの一年半に及ぶ魔王討伐の旅は、苦難の連続だった。主に被害担当だったのは、俺とライリー。


 誤解をおそれずに正直に言ってしまえば、回復担当の聖女がまともに仕事してくれない。だから、前衛に出るライリーと俺は文字通りに彼女のご機嫌は死活問題だった。


 わがままなベアトリスのご機嫌を損ねないように、なだめすかしてお願いして、なんとか強いモンスターを倒し終え思ったら、こんなところで寝られないと良くわからないことで泣き出す。


 そこでしかめっ面の魔法使いルーンがベアトリスだけ連れて、遠方の街の宿屋へと何度か移動魔法を繰り返して移動する。俺とライリーは、心底疲れた顔で黙って野営する。そして、次の日もベアトリス合わせで昼頃の出発になる。


 歴代で一番と言われようがルーンの魔力だって、無尽蔵な訳でもない。先を急ぐなら、あいつに全体攻撃魔法で一掃して貰った方が、俺たちは怪我も少なく先に進める。


 まあ……それがわかってたら、こんなことを言わないか。


 蝶よ花よと甘やかされ、これまではふわふわのベッドで寝ていたんだろう……けど、俺たちが魔王を倒さないと、この国どころか世界が溢れたモンスターに支配されて滅ぶんだけどな。


 それをわかってたら、そんなことを言わないよな。


 俺たち三人はどうにかして、お姫様気取りの聖女を怒鳴り付けたい衝動を必死に耐えていた。だって、ここでベアトリスの機嫌を損ねて、何日か旅が長引くだろ? それはそれだけ良くわからない苦しみが、長引くことを意味するんだ。耐えるしかなかった。


 ベアトリスのわがままっぷりは、もう筆舌に尽くしがたいほどに凄かった。


 俺だってか弱い女の子には、出来るだけ優しくしたいとは思う。俺たちは違う性を持ち、持っている力だって全然違う。体の仕組みだって違うし、気分に波があるのも仕方ないことだとも理解はしていた。


 そうだ。俺だって女の子は、大事にしなければいけない存在だと思っていた。


 もちろん。ベアトリスだってそうだ。自分のわがままを自分勝手に押し通そうとする以外は、割と可愛いところもある。


 だからって、どう考えてもそれだけで結婚は出来ない。


 魔王討伐で選ばれる勇者は、この世界の期待の星だ。


 絶対に上手くこなさねばならないことだって、理解していた。だが、こんな風に迫られて旅の仲間に悩まされた勇者ってこれまでに存在していたのかな。もし居たなら、語り合いたい。


 お互い、本当に大変でしたねと。俺の気持ちは同じ立場でないと、絶対にわかって貰えないだろう。


「待って待って待って。なんで、俺がベアトリスと結婚しないとこの国が滅ぶの?! それとこれとは、全く関係ないだろ。しかも、なんで甘やかすの? これが認められたら、もうなんでもありだろ」


「それ。俺じゃなくて、王に言えよ。俺だって別に好きでお前捜しに来てねえし」


 魔王討伐報告だけ済ませて姿を隠した俺を探しに来たルーンも、本当に不本意な様子だった。


 強い酒でも飲まねば、もうやってられない。何杯か同じ酒を頼んだら酒場を歩くウェイトレスのお姉ちゃんは、景気よく大きな酒瓶を笑顔で置いて行った。この私を何回も往復させやがって、自分で注げよってことだろう。


「もう、最悪だ……どうやって、言い逃れしよう……」


「……今夜中に結婚相手見つかったら、俺がなんとかしてやっても良いけど」


 ルーンは同情と哀愁が入り交じった視線で、俺を見た。


 こいつだって、ベアトリスがどれだけわがままで傍若無人だったかを良く知っている。なんだかんだ言いつつ、だいぶ被害だって受けていた。だから、俺の気持ちをある程度察してくれたのだろう。


「その言葉に、二言はないな?」


「ああ。俺はちゃんと約束は守る……看板でも持って、募集して来いよ。物好きな女だって、居るかもしれないし……」


「……世界救ったんだから、俺を救ってくれる人も居るかもしれない」


 だいぶ酔いが回っていた俺は、ルーンが差し出した看板を取り外へと出た。雨が降っていて視界も悪い。どう考えてもこんなところで、誰か結婚してくれと叫んでも来てくれる訳もない。


 だが、この先に自分を待っている展開を思えば、楽観視など出来やしない。とてつもなく馬鹿なことでもしたい気分だった。


 どうにかこの難局を避けきったとしても、ベアトリスは諦めない。


 多分、幼い頃から欲しいものはすべて手に入れて来たからだ。自分の欲を我慢することを知らないのは、ベアトリスのせいなのか周囲の誰かのせいなのかは知らない。もうどうでも良い。


「最悪だ……」


 そして、やけになった俺は今までの人生の中でも、一番馬鹿なことをした。


 ふと、酒場の前に綺麗な女の子が立っているのが見えた。切望するあまりに見えたまぼろしなのかもしれない。ここはあんな上等な服を着た女の子が居る場所では、絶対にない。


「あのっ……」


 彼女が声を発したのを見て、俺は慌てて短い階段を降りた。


「はいっ? え。何々! もしかして、貴族のお嬢様!? なんでこんなところに……どうぞどうぞ、こちらへ。雨に濡れますので」


 柔らかな手を握った時に、俺は確信した。これは、まぼろしでも夢でもない。この女の子は、現実だ。


『シリル。この子はフィオナ。優しくて素直な性格で、お前が求めている女性だ』


 ふと頭の中に、聖剣のエンゾの声が響いた。いつもエンゾは倒すべきモンスターの情報なんかを教えてはくれるけど、そこまで協力的でもない。


 エンゾにだってわからない情報はあるし、知っている情報を一方的に話したらそれで終わりだ。俺の呼びかけに答えたことだって……。


「……あの……もしかして。困ってます? 私……」


 恥ずかしそうに、俺を見上げる潤んだ目。もしかして、さっきまで泣いていた? 状況的に考えれば、失恋か? だから、こんな良くわからない俺の募集に答えてくれた?


 馬鹿だ。こんな可愛い子振るなんて、相手の男は何もわかっていない。そうだよ。もし、俺なら二つ返事で。


「めっちゃくちゃ!! 困っています!! どうか、俺を人助けだと思って助けてください!!」

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