第7話「不安」

「良いね。すごく可愛い。これも注文しよう……追加のお金が掛かっても良いから、急ぎで出来る?」


 彼の選んだドレスを着た私が試着室を出ると、シリルは嬉しそうに笑顔になった。注文を受けた店員はどんどん机の上に積み重なっていく注文用紙に、喜びを隠せない様子だ。


 もう……数え切れないくらいの枚数のドレスを、注文している。


「……あの。本当に良いんですか?」


 昨日、私はシリルが行きたいところに行きたいと言ったはずなんだけど、なぜか私のドレスや装飾品を選ぶ流れになってしまった。


 この流れは私には、ぜんぜん理解出来ていない。


 だって、彼は厄介な聖女ベアトリス様が諦めれば私と離婚するつもりだろうし……そんな私に、こうやってドレスや宝石を買っても仕方ないのに。


「良いよ! 俺は可愛い妻が欲しがるものくらい、何でも買えるよ。そうそう。本来なら貴族は婚約期間中には、婚約者の購入したドレスで夜会に出るんだよね? 急いで結婚したかった俺のせいで、そういう経験をフィオナにさせてあげられなかったお詫びに、好きなだけドレスを買って良いよ」


 シリルは色々と不都合な状況になってしまった私にお詫びとして、ドレスを購入してくれている……のかしら?


 そう思えば、こんな人気店でたくさんの高級ドレスを発注するのも確かにわかる気がするわ……。それに、生地や仕立てが良過ぎて、このお店で頼むなら私の実家のノワール伯爵家だと、年に何枚かが限界だもの。


「ありがとうございます。すごく、大事にします……」


 そういえば、離婚した妻は元の夫に買ってもらったドレスや装飾品はどうするのかしら……? 返却? 汚さないように、一層気を遣わなくては。


 今まで私は結婚までも遠い状況だったから、そんなことを気にしたこともなかったから、離婚した際の財産についてお母様に確認しておかないと……。


「うんうん。フィオナは、本当に可愛いなあ……俺は君と結婚出来て、本当に運が良かったよ」


 満足そうに頷いたシリルに、私はどうしても我慢出来なくなって言った。こんなにしてもらうだけなのは、やっぱり気が引けてしまう。


「あのっ……私。シリルのおかげで、今日はたくさん満足することが出来ました。シリルは、何かしたいことはないですか?」


 シリルは私の言葉が思ってもないことだったのか、目をパチパチとしてぽかんとしてから明るく微笑んだ。


「え? ……うん。そうだね。じゃあ、俺もフィオナに付き合ってもらおうかな」



◇◆◇



 シリルが「自分が行きたい場所」として連れて来てくれたのは、王都から離れた場所にあるとても広い草原だった。


「わあっ……」


 時折吹く強い風に揺れている草は、まるで緑の海のようだった。さざなみのように、無作為に揺れる緑。そこにそろそろかげり出した、夕焼けのオレンジ色が混じる。


「……この風景、綺麗だよね。俺は冒険者になりたくて、幼い頃に良くここで訓練してたんだ」


「すっごく綺麗です! そうですね。シリルは……生まれた時から、勇者様ではないから……」


 勇者ご一行は生まれた時に宣託がなされる聖女以外は、魔王復活の時に選ばれる。彼はその時に世界の中で一番強かったから、選ばれたのだろう。


「うん。そうなんだ。実は俺は幼い頃、背があまり伸びなくて、チビだといつも周囲から馬鹿にされててね」


「え……嘘……」


 私は自分では見上げるほどに背が高いシリルの整った顔を、見上げた。


 もちろん、今は成人している彼にだって、子どもの頃があるってわかっているけど……それでも、信じられないのだ。


 今ではこんなにも立派な勇者が、周囲から馬鹿にされることがあったなんて。


「ははは。嘘じゃないよ。俺は負けん気だけは強かったから、とにかく強くなろうとした。馬鹿にしたやつを軽く超えたとしても、まだまだ自分は上に上がれるんじゃないかと思えば、いくらでも頑張れた」


「そうなんですね。けど、勇者様になるくらいに上り詰めてて、本当にすごいです。尊敬します。私には、そんなことはとても出来ないから……」


 私はすぐ近くに居る親友の美点を羨むばかりで、自分は血の滲むような努力を重ねたかと言われるとそうではない。


 いつも、自分には何もない仕方ないと嘆くばかりで……本当に嫌。


「……フィオナは、出来ないことがあっても良い。俺が出来るのなら、それは俺がすれば良い。夫婦って、そういうことだろ?」


「……ええ」


 私はシリルがどういう気持ちでそれを言ったのか、わからなかった。何も出来ない私でも、彼が何でも出来るから良いという意味だろうか。


 近い将来に別れてしまう妻に対していう言葉では、ない気がした。


 私はシリルが、思った通りの反応を返せなかったのかもしれない。彼は不思議そうな表情をした後で、にっこり微笑んだ。


「……そうだ。フィオナに、俺が勇者だという証拠を見せてあげるよ。勇者だ勇者だと周囲が言っていたとしても、もしかしたら良く似ている偽物かもしれないだろ?」


 空気を和ませようとしてかおどけたように言ったので、私は思わず笑って言った。


「ふふふっ! そうですね。もしかしたら、良く似た偽物なのかも」


「そう。だから、これが証拠だよ」


 彼は何気なく空に右腕を伸ばして、そしてその場所に現れたものに、私は息を呑んだ。


 広い空に描かれるようにして、大きな白い竜が現れたからだ。それは、生身ではなく実体を持たない、風を形作る魔法のようだった。


「……すごい」


 何を今更と誰かに言われてしまいそうなんだけど、その時に私は人好きのする柔らかな印象を持つシリルが、本当に世界最強の勇者なんだとそう実感した。


 だって、絶対的な強者のまとう、圧倒的な空気。それを、目の前の光景から肌にビリビリと感じていた。


 シリルは……彼以上に強い者がないと言われる、勇者なんだ。


「乗ることも出来るよ? フィオナは、高いところは平気?」


 シリルはこともなげに言ったので、私はとんでもないと慌てて両手を突き出した。


「えっ……遠慮します!」


「そう? 残念」


 微笑んだシリルが軽く手を振ると、夕焼け空に浮かんでいた空気で出来た竜はあっという間に姿を消した。


「ごめんなさいっ……せっかく、言ってくれたのに」


 彼の好意を無にしてしまったのではないかと、不安になった私が謝ったらシリルは微笑んで首を横に振った。


「良いよ良いよ。誰だって苦手なものはあるよ……フィオナが、早くそれを俺に教えてくれたら良いと思う。だって、すぐ近くに居るというのに、なぜかいつも見えない線を引かれているような気がするんだ……違う?」


 シリルの青い目はまっすぐで、私はそんな彼を前に恥ずかしくなった。心を開いて言いたいことを言ってくれと、そう言っているのは理解出来たけど……。


 そんな私は、すぐに嫌われてしまうのではない?


「……ごめんなさい」


 シリルは、良い人だってわかってるのに……私の情けない思いを、どう言えばわかってもらえるの?


 それなら……やっぱり近くに居るジャスティナの方が良かったって、彼は言い出さない?


「いや、こっちもごめんね。謝ることはないよ。俺たちはまだ出会って間もないし……すぐに信用をしてくれなんて、虫の良い話だった。ゆっくりわかり合っていこう」


 シリルは、とても良い仮の夫だ。それは、私だってわかっていた。


 けれど、近い将来彼に捨てられることがわかっていながら、心を開くのは難しい。


 だって、私はピンチにあった彼を救うための相手に、ちょうど良かっただけで、気に入られて求婚された訳でも……何でもないんだもの。


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