第12話「素直」

 うなだれたジャスティナはシリルが呼んだ執事が案内をして、出て行った。普通なら玄関まで二人で送って行くところだけど、今回は彼女も望まないだろう。


 私は彼女が去って行く姿を見て、いままでがんじがらめに縛られていた何かから解き放たれるような不思議な気持ちになっていた。


 今まで私が見ていたジャスティナは、きっと私にとって都合の良い親友だった。


 けれど、ジャスティナが私に対し悪意しか持っていないとするなら、私だってそれは、すぐにわかったはずだ。


 私たち二人は幼い頃からずっと一緒に居て、お互いに美点も欠点も知り尽くした関係だった。


 ジャスティナがエミリオ様のことを言えなかったと言っていたことは、彼女に心酔していた友人の私にも責任があるかも知れない。


 私はジャスティナの良い点があれば、それをことさらに褒めた。それが親友の役割だと、そう思っていた。


 だから、彼女の欠点が見えていても、見えていないふりをした。


 ジャスティナには少し見栄っ張りなところがあって、自分に不都合な点を誤魔化してしまうところがあった。


「……あ」


 私の隣に寄り添って座っていたシリルは、唐突に聞こえた声に驚いたようで体を揺らした。もしかしたら、彼も考え事をしていたのかもしれない。


「フィオナ。どうしたの?」


「あ。あの……シリル。ジャスティナの話を考えていて、不思議なことがあったの」


「うん。良かったら、教えてくれる?」


 顔を覗き込んだシリルは私が自分に心を開き始めたと思ったのか、どこか嬉しそうだった。


 今思えば、私は結婚してから、こんな風に素直に彼と話したことはなかったかもしれない。


 こんな私なんて、シリルには好かれないだろうって最初から諦めていたからだ。


「ジャスティナには、何度か確認されたの。シリルとはいずれ別れるし好きじゃないって……そう言ったのに。あの子は、それをエミリオ様に言わなかったんだわ。どうしてだと思う……?」


 シリルは、優しく微笑んだ。私も既にその理由を知っていたんだけど、彼が聞いてもそう思うか知りたかった。


「ジャスティナ嬢は親友とまで言えるほどに、フィオナに近かったんだから、フィオナが嘘をついているとわかったんだと思うよ。口ではそう言ってるけど、君は俺と別れたくなくて、好きだと思っていることを、彼女は誰より理解してくれたんだ」


 ああ。そう。そうよね……きっとそうだわ。


 そして、彼女は自分の間違いを知って……だから、シリルと私に話をしたいと思ったのね。


 どうして。そんなことは黙っていれば、わからないままだったのに。


 もしかしたら、私も彼女を想っているように、私を大事に想ってくれていたの?


「……あのね。フィオナは俺の理想通りの女の子なんだけど、俺はフィオナと話す前から……そのことを知っていたんだ。まあ、いわば勇者の立場を利用した」


 シリルがゆっくりと話始めた内容を聞いて、意味がわからなかった私は首を傾げた。


「あの……どういうこと?」


「実は、すごいズルをしてた。フィオナと直接話したり長い時間を過ごす前から、俺はフィオナがどんな子かをわかってた。俺の聖剣が教えてくれたんだ。初めて会った時に、この子は可愛くて優しくて素直で、俺の奥さんにピッタリだよってね」


「聖剣? ……あ。勇者の剣?」


「そうそう。まあ、俺に宣託がくだった時に使っていた剣が、聖剣になったんだけどね。モンスターを前にすると、ステータスって言って……うん。どれだけ強い敵なのかとか、弱点とか。俺に教えてくれるんだよ」


 勇者ご一行の華々しい活躍を聞くことはあったけど、そんなに細かい話を知るはずもなく、私はただただ感心していた。


「すごい……そんなに、便利な剣なのね」


「ああ! 誤解しないで。そんなに便利じゃない。俺の聖剣はエンゾって名付けたんだけど、エンゾは通常ならモンスターとか、そういった直接相対した敵のステータスについて教えてくれるだけだよ。けど、俺はベアトリスにほとほと困っていた時に、あいつにいっぱい愚痴ってたから。俺は一生を過ごすならもっと可愛くて、もっと優しい子が良いって……だから、気が向いて、教えてくれたんだと思う。この女の子なら、間違いないよって」


「可愛い……?」


「うん? そうだよ。フィオナは、可愛い」


 にこにこして笑うシリルは、無理をして嘘を言っている感じでも何でもない。自然体。


 けど、私はどうしても確かめたくなった。


 もしかしたら、今までのいくじなしだった私なら、黙ったままで彼の気持ちを確かめることは出来なかった。


 けれど、シリルの言葉を私は信じられるとそう思えたから。


「シリルから、見て……私って、魅力的に見える?」


 おそるおそる尋ねた私に、シリルはようやくこれまでの謎が解けたと言わんばかりに両腕を持って私に顔を近づけた。


「……見えているよ! そうか。フィオナはそれが、ずっと不安だったんだね。これからは俺が、よくわからない理由で今まで言われなかった分、何度でも望む通り言うよ。かわいいかわいいかわいい……」


「ま、待って。そんなに一気に、たくさん言わないで。恥ずかしい……」


 私が慌てて離れようとしたら、シリルは今まで一線を引いていた妻が素直になったことに喜んでか、にこにこ笑顔になっていた。


「けど、なぜベアトリスの件が片付いたら、離婚することになるの? ベアトリスに関しては、まだまだ安心出来たとは言えないけど、俺はフィオナと離婚したいなんて言ったことは、一度もないだろう?」


「え……けど、あの……」


「フィオナ。もうここまで来たら、胸の内を教えて! 気になって眠れなくなるから。ね?」


 シリルは冗談っぽく言って、私がなぜ彼が離婚したいと思っているか誤解した理由を話すようにうながした。


「あのっ……だって、あの、夜に……」


 私の顔は多分真っ赤になっていると思う。だって、そんなこと明け透けに言えないもの。けど、彼はそれで察してくれたのか、私の顔の前にもう言わなくて良いと手を上げた。


 私の話を聞いて、シリルはよくわからないと言わんばかりだった。


「え……確か、俺は式の話をした時に言ったけど……結婚式に着るドレスのことがあるから、子どもを作るのは結婚式の後にしようって。フィオナもわかりましたって言ってたよ? 俺のせいで慌てて結婚証明書は提出したけど、結婚式のドレスは着てみたいと思っていたのがあるだろうと思って、俺なりに気を利かせたつもりだったんだけど」


「え……?」


 私はぽかんとした表情になっていたと思う。だって、そんな……それなら。私が悩んでいたことは、全部誤解だったってこと?


「ああ。ごめん。俺もこれを言うのに恥ずかしかったから小声になって、聞き返されるかなってその時に思ったけど……フィオナはわかりましたって答えたから、何度も聞くことでもないしなって」


 恥ずかしそうに謝ってくれたシリルに、悪いことをしたと思った。


 だって、私はその時自分のことで精一杯になって、シリルのことを考えられていたかというと違うもの。


「ううん。私がちゃんと確認しなかったのが悪かったの。だって、シリルはいつも私のこと大事にしてくれてて……おかしいなって思っていたのは、確かだから」


「ああ。フィオナは可愛いなあ……気が利かなくて、ごめん。そっか。フィオナは俺が手を出さないのが、不満だったのか……」


 そう言って彼は真面目な顔になって、私の顎を持って、親指をくちびるに当てた。


「……シリル? どうしたの?」


 その時にいきなり扉が開いて、私は彼を忘れていたことを、ようやく思い出した。


「……おい。そろそろ、功労者の俺に説明してくんない? 流石にあれで聞きに行ったら、どうなったのかは気になるだろ」


 ずかずかと無遠慮に部屋に入って来たルーンさんはさっきジャスティナが座っていたソファへと座り、長い足を組んだ。


「ごっ……ごめんなさい! ルーンさん……せっかく、言ってくれてたのに」


 きっと私からの説明を外で待ってて、いよいよ待ち切れなくなったに違いない。


「え? ルーン、フィオナに何て言ったの?」


「んー。泣いている人妻に離婚そそのかして、あいつと居るのがつらいなら俺と逃げようって言った」


「は? 死にたいのか?」


 私を抱きしめて剣呑な雰囲気になったシリルに、ルーンさんは不敵に笑って言った。


「やってみろよ。出来るならな……で? 傷ついた人妻連れて、国外逃亡かとそわそわして長時間待っていた俺に、どんな凝った事情を説明してくれんの?」

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