第13話
咲希の様子がおかしい。
ここのところはずっとそうだったが、今日は一段とおかしい。
「……柚葉? なんでそんな見てくるの。え、顔に食べかすついている?」
やっと私の視線に気づいた間抜けが勝手に慌てふためく。そこまで動揺するのも珍しい。抜けているのは間ではなく、もはや魂だ。
「あんた、箸が全然進んでいないじゃない」
「え? あー……せやな」
せやな? 今、そう言った? しかも真顔で。そんな子ではない。たしかに私の前では文学少女なんてものを演じるのを禁じているが、かと言って急に西の言葉が飛び出すような子ではなかった。いや、そんなのはただの気まぐれ、ほんのユーモアだといつもなら処理していただろうが、今日は違う。
昨日と今日とで何が違う? 今日は金曜日。週末。そうではない、考えるべきは昨日のことだ。昨日、何があった? ここ一週間のこの時間、すなわち昼休みの話題を思い出していけば、自ずとあの子に至る。月曜日、咲希が結局、話さないのを選んだあの子の話。
宮沢円香――――長身で、顔立ちにヅカ系入っているカッコイイ女の子。友達数人と行動していることが多い。が、近頃は部活が休みの放課後には一人で図書室を訪れているらしい。咲希の証言を鵜呑みにするなら、読書家。
彼女との間に何があったのか。
「あのさ、柚葉はさぁ……」
いよいよ箸を置いて、咲希が伏し目がちに話し始めた。察しが付く。これは厄介事だ。面倒なやつだ。けれど……しかたない、他ならぬ咲希からの相談であるなら甘んじて受け入れてあげる。
吉屋咲希とは中学二年生と三年生も同じクラスだった。だが、その二年間でまともに話した覚えがない。毛色が異なるグループにそれぞれが所属していたからだ。最終的に剣道部全体の副部長、女子側で言えば部長になった彼女はその髪色のせいで目立つことはあっても、素行不良で目立ちはしない生徒だった。成績は平均より少し上だと聞いた。
私が第一志望の高校に不合格となり、またしても出来のいい弟との差が開いたことで苛立ちを募らせつつ、泣きそうになるのを堪えて、登校した高校初日。
自己紹介の際に、咲希は私の顔を見て「げ」という表情をしていた。まるでそこに知った顔があったのが予想外という表情だ。そして昼休み、彼女は「星見さん」と記憶にある声より高く小さな声で私を呼ぶと、教室から連れ出した。
そこで「嫌よ。一人で行きなさい」と言っていたら私たちは友達にならなかったのだろうか。咲希なら食い下がってきたと思う。だから、こんなふうに表現するのも変だが、彼女とはいつか友達になっていたはずだ。
咲希が私に頼んできたのは、高校では文学少女デビューするから余計なことは言わないでほしいというものだった。彼女は強気だった。剣道部らしい眼光、スタンスで私に相談ではなく要求という形で突きつけてきた。
私はそのタイミングで「嫌よ。あんたの指図になんて従わないわ」と言ったのだった。
鳩が豆鉄砲を食ったよう。まさにそのときの咲希がそうだった。失笑したのを覚えている。おそらく彼女からしてみれば、星見柚葉という女の子は大人しく、弱気な、従順そうにでも見えていたのだろう。その当てが外れると、一転して咲希は弱腰になって交渉してきた。
正直なところ、その時の私はいいおもちゃが自分からのこのこやってきてくれた、ぐらいに考えていた。
滑り止めの私立高校で大学受験のために勉強を頑張る気にはまだまだなれずにいた私にとって、必要だったのはストレス発散のための道具であり、なるべく自分に都合のいい友人関係だった。だから、初日にいきなり弱味を握らせてくれた咲希は恰好の獲物だった。
そのはずだったのだけれど。
私はとりあえず、剣道少女がどうして文学少女なんかに憧れを持ち、クラスチェンジしたがっているのか説明を求めた。咲希は説明したがらなかったが、ちょっと脅すとスマホを取り出して、とあるアプリゲームの話をし始めた。
彼女が春休みの間に出会ったという運命の相手は二次元の女の子で、その彼女が文学少女であったために、咲希自身もそう在りたいのだと。うってかわって、きらきらとした目をして楽しそうに話す彼女を、私は笑い飛ばせずにいた。
そのアイドル系のソシャゲについては話半分で聞いて、咲希のことを見ていた。そうすると、自分が抱いていた負の感情が馬鹿らしく思えてきて、その昼休みが終わる頃にはすっかり毒気が抜かれていた。聞けば、剣道を始めたきっかけというのも、彼女の祖父が好きだった、剣客が主人公のドラマにあるのだという。彼女がぱちんと指を鳴らして口にした「文学少女道」なる言葉に、私はまた笑ったが、気持ちのいい笑いだった。
最初の態度のせいで、咲希は四月の間は私を警戒していて、だからこそ昼休みには毎回、私を空き教室まで誘って同じ時間を過ごすようになった。彼女は私の容姿や弁当を褒めつつ、弱点を探っている様子を隠せていなかった。
そんな彼女をからかっているうちに愛着がわいてきて、こんな関係も悪くないかと思えるようになってきた。そうして彼女に、例のソシャゲについて私の前でべらべらと話さないこと、文学少女を目指すのはいいが私の前では取り繕わないことを「お願い」した。
代わりに私は、咲希が元・剣道部であり文学少女にほど遠い内面を持つのを誰にも言わないこと、それから昼休みにいっしょにいてあげるという条件を提示した。後者について、咲希は不満げな顔をした。
「それって、柚葉にとって私といるのは我慢しないといけない時間ってこと? ショックだな。最初はあんな感じだったけれど、ここ最近は普通に友達していたのに」
「……そうまっすぐ言われると、困るわ」
「こうしない? 美味しそうな弁当のおかずを一品、毎日私に献上するって」
「調子に乗るな」
ばしっと頭を叩くと、咲希はどことなく嬉しそうな顔をしていて、その日以降、私たちの関係は今みたいになったのだ。
五月になり、六月に入っても続いていた昼休みの二人の時間。ふと思うことがある。もしも咲希に他に親しい友達ができたなら、そっちを優先するのだろうか。それとも咲希が我慢をして私に昼休みに時間を使ってくれる? いやいや、現実的なところだと、二人であったのが三人ないし四人、あるいはもっと多くに増えるだけだ。しかしそうなると、咲希は文学少女っぽい言動のまま昼休みも過ごすことになる?
わからない。ただ……できれば二人きりのほうがリラックスできる気がするって思った。そう彼女も思ってくれているかは知らない。
いくら待てども、続きの言葉が出てこない。そんな咲希の背中を押すことにする。
「なによ。いいわよ、話してみなさいよ。前にも言ったとおり、どうしてもっていうなら話は聞く。友達でしょ」
「でも……」
らしくない顔。瞳に曇り。
私は露骨に大きな溜息を一つついて、強めの口調を使う。
「でもじゃない。あんた、自分の弁当見てみなさいよ。めちゃくちゃ残っているじゃないの。あんたの母親、残すとぶちギレるんじゃなかった? こっそり捨てるなんて言語道断でしょ」
「これは、放課後に食べるから」
「午後の授業、お腹空いてグーグー鳴るわよ。どこに教室でお腹の音を鳴らす文学少女がいるのよ」
「待って。あまりに読書に集中し過ぎて寝食を忘れるのはありなのでは」
「怒るわよ?」
「わかった、わかったから。こうしよう。今日の放課後、付き合って。その時まで覚悟決めるから。ね? 暇でしょ、柚葉」
「図書室ってこと?」
「ううん、今日は司書さんに任せておく。一日ぐらい、いや、いつもいなくてもそんな変わりないからね」
そんなわけで私たちは四月ぶりに、放課後にどこか寄り道をする約束をしたのだった。
午後の授業、教室で私は宮沢さんを眺めていた。咲希の席は私よりも後ろだから、その様子が教室内でもいつもと違うのかまではわからない。
咲希は授業で積極的に手を挙げていくタイプではないし、そもそもの話、一部の授業を除いてこのクラスにそういう積極性のある子はいない。
休み時間に賑やかになる男子も女子も、授業中は銅像みたいだ。教師は教師で、あまり気に留めていない。熱血教師にカテゴライズされる人は例外的存在で、私たちの授業担当には一人しかいない。学校中でだって、そう何人もいないと思う。
そんなことより、宮沢さんだ。
日頃の無関心がたたって、こういう時に彼女の変化に気づけない。裏を返せば、普段は特に気に留めていない私でもわかるような大きな変化は彼女にない。
もしかして、と思案する。
咲希が見るからにそぞろになっている件と宮沢さんは関係ないのでは?
宮沢さんが咲希と話すようになったのも突然だった。それと同じく、たとえば昨日放課後に、咲希に片思いをしていた男子が図書室を訪れて告白したとか。そこに第三者が到来して、修羅場と化したとか。そういう、ある意味でドラマチックな展開だってあり得ないとは言えない。
月曜日に、咲希は宮沢さんとの間に何かあった素振りをして、言わないことを選択した。でも、今日の昼休みには彼女の名前は出していない。
やめよう。
放課後になればわかることだ。考えすぎるな。私は誰かに振り回されたくはない。そうよ、本当はママたちにだって……。
放課後となり、司書に事情を話すべく図書室に向かった咲希が帰ってくるのを私は昇降口近くで待っていた。
スマホをいじりながら、配信サイトで次はどの映画を視聴するか検討する。手当たり次第に観ているわけではない。それに昔に家族で観たものをもう一度というのも気が乗らない。かつては人の評判なんて気にせず、興味を持ったものを順に観ていた時期もあったはずだが、どうにも「はずれ」と感じることが多くなってきて、事前のネタバレなしでの評価チェックが習慣になった。
映画館に観に行くことはない。私にとっての映画はテレビ画面に始まり、今はもっと小さな画面に収まっている。大勢の知らない人たちに囲まれて落ち着けはしないだろう。音も匂いも何もかも気が散ってしまう。
「星見さん?」
知っている声が私を呼んだ。スマホから顔を上げる。そこにいたのは宮沢さんだった。荷物を持っている。部活の途中ではなく帰るところみたいだ。
「どうも。顔色、悪いわね」
私はそう言うと、もたれかかっていた壁から離れた。
「……まあ、うん。他の人にも言われた。それで帰ることにしたの。怪我が治るまでは、いてもいなくてもそんな変わらないってのは自分でもわかっているんだよね。あと一週間はかかりそう。って、ごめん。こんなの訊いていないよね」
「あら、ネガティブね。今日はそういう日なのかしら」
「えっと……。誰か待っているの?」
「吉屋咲希」
「そうなんだ」
彼女は驚かなかった。それを予期して私に声をかけた、そう思った。
「ねぇ、宮沢さん。今日の咲希がおかしいのって、あなたと何か関係がある?」
私の質問に彼女はかぶりを振って、それから「あのね」と言ったかと思うと後が続かなかった。どいつもこいつも、と私は内心で悪態をついていたが、しかし迂闊にそうした攻撃的な振る舞いをすべきではないとわかっていて、だから肩をすくめてこう言った。
「この後、咲希とどこか寄ってお茶でもしようって話になっているの。珍しくね。どう? 宮沢さんも来る?」
「えっ。いや、でも……いいの? 吉屋さん、それを許してくれるかな」
「どうでしょうね。何か相談事があるみたいだったから。許してくれないかも」
「だったら――――」
「あなたはないの? 話したいこと」
「……わからない」
少しうつむいても、猫背になっても、それでも彼女は大きかった。好きでそんな長身になったのではないのだろう。私の胸だってそうだ。体も心もどうにもならない、自分のものでそうなのだから、他人のはもっとだ。
そんな月並みで、くだらない哲学もどきを披露する気にはなれなかった。
宮沢さんの後方、廊下の向こうから、咲希が近づいてくるのが見えた。私はスマホをしまうと「来たわよ」と彼女に言った。振り返る彼女。足を止める咲希。
「やっぱり、面倒ね」
私の呟きは誰にも届かなかった。
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