第5話
翌日、金曜日のお昼休みに服のことで柚葉に相談してみると、露骨に面倒くさそうな顔をされてしまった。
「文学少女っぽい私服なんて知らないわよ。ネットで画像検索してみればいいじゃない。そうでなければ、例のなんとかかんとかって子の衣装を参考にすれば?」
「一つも覚えていないじゃん!
最後の『か』は合っているか。いや、ちがう。そうじゃない。
「そう、その二次元の女」
「もっと優しい言い方できない? 柚葉だって漫画やアニメは好きなのに」
「咲希みたいなハマり方はしていないわ」
「わ、私だってガチ恋しているわけじゃないし。憧れ……なんだと思う」
「うわ、今の咲希の顔をクラスの男子が見たら発情するわよ」
怒り半分、羞恥半分で私は柚葉を小突いてやろうと手を動かしたが、ひらりと躱されてしまった。そして彼女は彩りのあるきんぴらごぼうを食べるのを再開する。今日はまた一段と菜食の比率が高い弁当だ。ここ二カ月、肉系の揚げ物が彼女の弁当に入っていた記憶がない。焼き鮭ならあったような。
「個人的な見解としては、その子がソシャゲのキャラであって、Vtuberでなかったのが幸いだと思うわ」
「その心は?」
「詳しくないけれど、ああいうのって高頻度で配信があるのでしょう? そして投げ銭システムがあるから、咲希がお金を作っては貢ぐを繰り返すのが想像つくもの」
「うっ。ないとは言い切れない」
「距離感やキャラの掘り下げって部分でもVtuberのほうが近くて深そうだから、その分、夢中になると後が怖いわ。かと言って生身のアイドルだったらそれはそれで沼なのよね、きっと」
達観した物言いの柚葉に私はぐうの音も出なかった。当事者になるまで、つまりはあの春の日までは私自身がアイドルオタクとは縁遠く、むしろ軽く嫌悪感さえ抱いていたのだ。それが今では二次元アイドルに魅了されている。
「貯めてきたお年玉、ソシャゲ課金でもうほとんどないんでしょう? 三か月はもったほうなのかしらね」
「でも、鏡花ちゃんの新しいSSRが実装されたの、私が始めてからまだ一回だけなんだよね。気がついたら月額上限の三万円課金しちゃっていた。まぁ、引けたからよかったかな。それ以外にもお得な有償パックだったり……」
「損しかしていないでしょ」
冷ややかな反応だった。今の、クラスの男子にしたら黙っちゃうだろうな。
「いやいや、課金なら何でも損ってのはおかしいって」
「それで宮沢さんとのデートに話を戻すと、その二次元文学少女系アイドルの服装は参考にできるのかしら」
「デ、デートって。くすぐったい表現しないで。ええと、鏡花ちゃんはさ、デフォルトの私服が学校の制服なんだよ」
「私服を買うお金がない設定なの?」
「ちがうよ!? セリフやイラストから考察されている実家は裕福だし、アイドル活動で潤っているし、他にも何人か制服がデフォのアイドルがいるから!」
「必死にならないで。じゃあ、日曜日は制服で行けば?」
「うちの制服、しかも夏服なんてどこにも文学少女要素なくない?」
夏目鏡花は文学少女であるから、制服がデフォでも揺るがないわけで。ただの現役高校生の私が着ていても文学の香りはそこに漂わない。
「だったら、分厚いハードカバー本を何冊かブックバンドでまとめたのを小脇に抱えておきなさいよ。嫌でも『あ、こいつ本好きだ』ってわかるわ」
「重くて邪魔じゃん」
「歩きスマホの代わりにペーパーバックでも読みながら歩いたら?」
「危ないよ」
「でかでかと『文学少女』ってプリントされたシャツ着ていきなさいよ」
「持っていないし、そんな文学少女いてたまるか!」
柚葉が可笑しそうに笑う。こんにゃろう。
――――私が夏目鏡花に出逢ったのは三月半ばのことだ。
彼女は、高校受験に失敗した私が偶然あるいは運命的にインストールした、アイドルプロデュース&ライブというジャンル名を掲げる基本無料のアプリゲーム『シスターズガーデン-Brilliant Diva-』(略称は『SG』や『シス庭』)のキャラクターの一人だ。
内気な性格で人と話すのが苦手だけれど、やるときにはやる勝負強さがある女の子。年齢は17歳、身長157センチで体重43キログラム。スリーサイズはB79・W57・H80。黒髪セミロングのストレートヘア。誕生日は11月4日で血液型はA。趣味は読書で日本海外問わず純文学から大衆小説まで幅広く。
なかでも夏目漱石が好き。それから大人向けの恋愛小説にも興味がちょっぴりある様子。イラストによっては眼鏡をかけたり、三つ編みおさげになったりも。ファーストソロシングルは『森に隠すは恋の言の葉』で、学校中の人気者である男の子に恋焦がれる大勢の女の子の一人、その心情を切なく歌った曲だ。
彼女こそ、私が文学少女を目指している理由だった。
「ところで、バレエを観に行くっていうのは?」
私は柚葉からアドバイスを授かるのを諦めて、話題を彼女のことに移した。日曜日の服装については手持ちの服でどうにかそれっぽいコーデを作ってみるか、土曜日すなわち明日にでも買いに行こう。資金は心もとないけれど。一着あればいいんじゃないかな。鏡花ちゃんがカードで着ている衣装を参考にすればいっか。意外とSSRよりもSRやRのイラストにヒントがあるかも。
「そのままの意味よ。バレーボールの打ち間違いではなく」
「柚葉自身はバレエを習っているか、いたかしたの?」
「幼い頃に。でもすぐやめた。楽しめればそれでいいって雰囲気の教室じゃなかったのよね。日曜に行くのは、ママの仕事のお客さんとの付き合い絡みで。相手の娘さんが出演なさるらしいわ。それでぜひって」
しれっと彼女は弁当を食べ終えて片づけをしながら答える。
「娘さんって、えっと子供じゃなくて大人のプロ?」
「まあね」
「えっと……」
お客さんとの付き合い。柚葉がそう口にしたとき、喜んでいるふうには聞こえなかった。柚葉自身が進んで行きたがっているわけではないのだろう。母親の仕事、その取引先との関係を友好かつ円滑にするため同行する。ある意味で社交上の道具として。
柚葉が着飾れば、いいところのお嬢様に見えるのは想像に易い。そんな彼女を私はシス庭のお嬢様キャラに重ねそうになり、やめた。あれはフィクションで、目の前の彼女は生きた人間。わかっている。
「余計なことを訊かないで。咲希は宮沢さんとのデートに集中しなさいよ」
何か訊くか迷っていると柚葉が釘を刺してきた。そのままスマホを取りだす彼女。教室に帰る時間になるまでそうやって私にかまわず、スマホをいじって過ごすのか。まぁ、いいけれど。
私は残っている自分の弁当の品々を口に運んでは噛んで飲み込むを繰り返す。そして食後にマグボトルに入った麦茶を飲んでいると「こんなでいいんじゃない」と柚葉がスマホを見せてきた。私はボトルから口を離して画面を凝視する。
「これって?」
「レトロ調のワンピース。文学少女のイメージに合うでしょ」
「柚葉、正直に答えて。私にこういうの似合うと思う?」
「普通」
「えっ。あ、えっと、具体的にさ」
「知らないわよ。ちょうど咲希たちが行く駅ビルにこういうの売っているお店あるらしいわね。今日の放課後か明日にでも見に行ったら?」
「……柚葉って優しいのか薄情なのか時々わからない」
「いつでも優しいでしょ」
「それはない」
べしっと叩かれた。こいつ、剣道で鍛えられた私の動体視力をもってしても避けられない速さで繰り出してきやがった。
日曜日、なんと宮沢さんが話していた予報どおりに雨が降っていない空模様だった。心なしか空に犇めく雲の色も薄い。
柚葉が教えてくれた店で、私は土曜日に税抜き3980円で買った新しいワンピースを身に纏い、安物のポーチを肩から提げて家を出発した。
ワンピースは古めかしいお嬢様学校の制服めいたデザインだ。寒色系と暖色系のどちらかで迷っていたところに店員に声をかけられ、咄嗟に暖色系を選んだ。白い襟つき、胸元には小さなリボン。レジで「これを買わなければ十連ガシャできるよね」と頭によぎったのは内緒だ。
午前十時半過ぎ、私は駅構内の待ち合わせ場所に宮沢さんより早く到着した。家のある方角からして、彼女は別の電車に乗っているから、どちらかが先に着くのは必然だ。事前に打ち合わせていたとおり、到着の連絡を彼女にする。一分しないうちに『土砂降りじゃなくてよかった♪』と送られてきた。絵文字や顔文字、スタンプはなくシンプルな八分音符が添えられたその文面に『そうだね』とだけ返す。
数分後、宮沢さんが改札を出てきたのが遠目からわかった。そして彼女もまたすぐに私に気づいてくれる。
「可愛い!」
傍に来るなり、挨拶もなしに言い放つ宮沢さんに圧倒されてしまう。
「まるで文学少女みたいだね!」
「その直喩表現は称賛と受け取っても?」
「もちろん! わぁ、新鮮だなぁ。どういう私服なんだろうって想像していたけれど、本物を見たらどうでもよくなっちゃった。似合っているよ」
にこにことする宮沢さん。素肌感が強いが、メイクしているな。たぶん。すっぴんの私が異端ってわけではないはずだ。
「あ、ありがとうございます」
「照れている吉屋さんも可愛い」
「う、うるさいですね。そういう宮沢さんはギプスとれたんですね」
「そこは服装を褒めてくれないと!」
薄いグレーのデニムパンツに上は白ニット。汚れも色褪せもないホワイトベースのスニーカー。小さめのレザーポシェットはオレンジ色で目立つ。もっと露出度が高かったり、何が書いてあるか読めない英字が殴り書きしてあるシャツを好んで着たりするのかと思っていた。
総合的にはカジュアル(便利な言葉だ)だった。スポーティではないと思う。
「身長があると何着ても映えますね」
「はい、ワンアウト」
「なんでですか!」
「ギプスはね、昨日病院で外してもらったの。この分だったら予定どおり七月に入る頃には完治するよ」
「はしゃいで悪化させないでくださいよ」
「それは吉屋さんしだいかな」
「では、大丈夫ですね。私はあなたを興奮させませんから」
「あとはベレー帽なんかもいいと思うんだよね。そのコーデ。予算があるなら、今日探してみない?」
スルーかい。なんでもう若干、興奮気味なんだよ、この子。
「金銭的余裕がありませんので、謹んでお断りします」
「うーん、それは残念。さ、カフェに行こっか」
そうしてふたりで歩き始めた矢先だった。私は前方に見知った顔を二つも見つけて「げ」と呟いてしまった。そして一人がこちらに気づくと「あっ、咲希ちゃん」と言いやがった。サッとポーチで顔を隠すも、そんな無駄な足掻きをする私に二人は近づいてくる。
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