第14話
霧島侑理はシス庭の中では唯一の銀髪キャラなのだが、その髪色をはじめから誇りにしていたわけではない。私からしたら「えっ。それって染めていない天然ものなんだ」という反応がまずあって、でも私自身が髪色には思うところもあったから「二次元キャラの髪色につっこむほうが野暮だ」と思い直した経緯がある。
侑理のソロ二曲目である『銀河を彩るメロディ』に関わるイベントでは、彼女のファンが握手会でその髪色を銀に染めて嬉しそうに侑理に報告し、いかに彼女に憧れているかを語るシーンがある。
後日、鏡花ちゃんと侑理が街中を歩いていると、そのファンの女の子に出くわすのだが、彼女は黒髪になっていた。親からの猛反発を受けてしかたなく染め直したのを涙目で話す女の子。
侑理はそこで握手会で思ってはいたが口にしなかったこと、すなわち憧憬を抱いてくれるのは嬉しいが、髪色を変える必要はなく、ありのままの自分で応援してほしいことを伝えた。
ファンの子はとうとう泣きはじめるも、侑理の言葉を受け入れて最後に笑顔を見せる。それでこのストーリーはめでたくハッピーエンド……とはならなかった。
その街中での出会いから数日後、ルミナスガーデンの休憩室内の窓際で物憂げな表情をしている侑理。そんな彼女のところに、優しく可愛い鏡花ちゃんがやってきて力になりたい、悩みがあるのなら聞かせてほしい、そんな妹じみた天使のようなことを言い出す。
そして侑理は、実は自分の髪色が特異なことがある種の重荷、鎖になっているのを告白するのだ。それを聞いて鏡花ちゃんは言う。
鏡花『私は好きです。侑理さんの髪』
侑理『え?』
鏡花『無責任なことってわかっています。この流れでこんなのはって。でも、好きなんです。美しい銀色。幻想的で、けれど確かにあるリアル。侑理さんにこそ相応しい髪。好きなんです、私。ずっと見つめていたいぐらい』
侑理『…………ふふっ』
鏡花『はっ!? す、すすすすすみません! 私ってば……!』
侑理『本当よ。もう、おかしな子。ファンの方々にだって、今みたいな熱烈な愛の告白ってされたことないかもしれないわ』
鏡花『あ、愛の告白!?』
侑理『あら、好きなのは髪だけかしら』
鏡花『そんなことないです!』
侑理『ありがとう、鏡花』
鏡花『ふぇっ?』
侑理『そうよね、貴女みたいな子がいるんだもの。むしろ誇りに思わないといけないわね。ごめんなさいね、情けないことを言ってしまったわ』
鏡花『わ、私でよかったら、いつでも、いくらでも侑理さんの悩みを聞きます! だって私たちは同じルミナスガーデンの仲間なんですから』
侑理『じゃあ、今日はもうちょっと甘えちゃおうかしら』
【侑理が鏡花をそっと抱きしめる】
鏡花『あっ……。お姉様……』
鏡花ちゃんが侑理をお姉様呼びする声、とろけすぎだろ。いや、それはともかく、純情可憐な文学少女である鏡花ちゃんはド直球ストレートの殺し文句で、うじうじしている侑理を励ますのだ。
ちなみにネットでは「どうせならこのシーンは、鏡花に古典から髪にまつわる引用でもしてもらって、あの博識キャラの侑理が唸るような説得力がある激励をしてほしかった」みたいなアホ丸出しの意見もあった。何もわかっていない。
いいか、あの文学少女で巧みに言葉を操り、時にはさらりと文学の引用をして、周りの空気を微妙な感じにする鏡花ちゃんが、なりふり構わずに素直な気持ちを彼女自身の言葉でぶつけていくのがいいんだろうが。鏡花ちゃんからずっと見つめていたいだなんていわれた日には脳がとろけるわ。
まぁ、そんなわけで庭師界隈の中でも、アイドル同士の色恋を妄想してやまない輩たちには大層にウケがよかったイベントだが、鏡花ちゃん推しとしては「侑理、そこ代われ」「侑理、勘違いすんじゃねぇぞ」「言っておくけど姉妹愛だからな。しかも義理」などという感想を連ねたものであった。
そんなイベントストーリーが私の頭の中に流れたのだ、雨降りの放課後に二人きりの図書室で宮沢さんから告白されたときに。
柚葉に何か一声かけて、宮沢さんが下足箱がある方向へと離れていく。今、駆けていけば引き止められる。私に気づいて逃げ出そうとしている彼女を捕まえることができる。わかっている。それなのに足は動いてくれなかった。彼女の姿が完全に消える。しんとした廊下。さっきまで気にならなかった雨音がひどく耳障りだ。
「なんであんたが雨に濡れた子犬みたいな顔しているのよ」
気がつけば柚葉がすぐ傍まで来てくれていて、ばんっと私の背中をけっこう強めに叩いた。痛いの声も出なかった。
「……訊いてもいい?」
「あの子と大した話はしていないわよ。この後お茶していかないって誘ってみたけどね。で、『ごめん、誘ってくれてありがとう』って。律儀よね。委員長タイプだわ」
「それってナンパ?」
すぱーんっと、柚葉が今度は私の臀部を引っ張ったく。前々から思っていたけれど、この子はサディストなのでは?
「ほら、行くわよ。こういう時は……そうね、たとえば南国フルーツ系のドリンク飲んで、爽快感のあるBGMを聞きながら、笑えないジョークに無理して笑うぐらいがちょうどいいのよ」
「それは柚葉の持論? そんなふうにしている柚葉は想像できない」
「今度はその雨模様の顔、平手打ちするわよ」
「それは嫌だな」
通学用の自転車を駐輪場に置いたままにするのは、いろいろと面倒なのだが偶にだったらいいだろう。明日は早く家を出発しないとな。
学校を出た私たちはゆるゆると、雨の中を傘を差して歩き、特におしゃべりもしないまま駅近くの大通りにある、中高生がよく集まっているカフェに入った。果たして店内には同じ制服を着た生徒がちらほらといる。勉強している子はいない。期末テストまであと二週間もあるから、ではないんだろうな。ここはそういうのに向いていないカフェだと思う。陽気な音楽は、私に宮沢さんとのことを柚葉に打ち明けさせるのを躊躇わせていた。
向かいに座った柚葉がトロピカルフルーツのフレーバーをブレンドしたアイスティーをストローを使って飲んでいる。私は何も考えずに同じものを注文して、それはストローなしで私の前に置かれてあった。
「キュウジュウナナ」
やけに色っぽい溜息をしてから、柚葉が私に呪文を唱えた。
「は?」
「97よ。何の数字だと思う?」
「なにそれ……そういう面倒くさいの、柚葉らしくない」
「たまにはいいでしょ」
「今年に入って、柚葉が観た映画の数?」
「まだそんなには観ていないわ。三月の末あたりから、毎日欠かさず寝る前にスマホで一本観ているけどね。おかげで午後十時にベッドに入っても、日付を跨ぐことも多いわ。寝落ちしたことも少なくない。これ、前に話したっけ」
「うん。聞いた気がする。ぜったい、視力落ちるよって」
「ああ、そんなこと言っていたわね。はい、じゃあ次」
「柚葉の胸のサイズ?」
「運がいいわね。友達でなかったら、これをぶっかけている」
「助かった。ええと、私への好感度?」
「はい、次」
「中間テストの英語の点数」
「それは98よ。最初の最初だったもの、満点が取れなくて悔しかったわ」
「私、七十点台後半だったんだけれど……。んー、あれだ、二桁の自然数で最大の素数。あっているでしょ」
「誤りでなくてもこの場に適切ではないわ」
「そういうことばっかだよね。これ、いつまで続ける気?」
柚葉が飲み物を啜る。
昔、親からストローを噛む癖を注意されたのを思い出す。母親からだった。父は「出会った頃の君も噛んでいたなぁ」としみじみ言っていた。あれ、言っていたよね? ドラマのワンシーンじゃないよね、これ。うん。ああ、大丈夫だ。それでお母さんが「噛むわよ」ってお父さんに睨みを利かせたんだ。覚えている。
そんな夢想に耽りそうになるところに、柚葉がストローから唇を離して言う。
「97日だったのよ」
「何が?」
「ママがパパの不倫を見逃していた日数」
目が点になった心地がした。そんな目でしばらく柚葉と見つめ合っていた。憎いぐらいに彼女は無表情だった。先に目を背けたのは私だった。
「これ以上、詳しく話すつもりないわよ」
「い、いきなりとんでもない爆弾落としておいて?」
「そうよ。私は話したいときに話したいだけ話す。世の中、まるっきり全部がわかることって少ないのよ、咲希。それはフィクションでもそう。映画だって小説だって。出来のいいミステリ小説にしたって謎はちょっと残るものであるし、残したほうがいいこともある。そう思わない?」
「柚葉は私と違って、本物のミステリアス女子だね」
鼻で笑う柚葉に私は肩の力が抜ける思いがしていた。
「さぁ、話しなさいよ。あんたの現在進行形の悩み事、今ので多少は話しやすくなったんじゃない?」
「そうかもしれない。ううん、きっとそう」
私は自分の分のドリンクを一口飲んだ。
甘酸っぱい。夏って感じだ。雨にはない香りがした。
「……宮沢さんから告白されたの。私に恋しているんだって」
「そう。どう返事したの?」
間髪入れずに柚葉がそう言ってくるから、私は拍子抜け、いや、戸惑った。
「もっと驚きなさいよ」
「遠慮しておく。あんまりびっくりしたら、あんたがそれを私に言ってしまったのを悔やんだり、悪く感じたりするだろうから」
「今日の柚葉、優しすぎて気味が悪い」
「で、なんて返事したわけ?」
「……私はそういう目で見ていないって」
二次元の女の子に強く憧れて、それまでとは違う自分になるために趣味を、生活を変えた。そのことは現実の女の子に友情では収まりのつかない好意を向けるのとは重ならなくて。平行線。ううん、ひょっとしたら、完璧な平行ってことはなくて、ずっと先で交わって、点をつくり、それでまた離れていくさだめなのかな。そんな詩人めいたことは鏡花ちゃんに言わせておけばいい。
「咲希って告白されて付き合ったり、フッたりはこれまでなかったの?」
「ない。幼稚園の時はノーカンでいいでしょ」
「こういうのって言葉尻を捕らえてもしかたないけど『見ていない』なの? 『見れない』じゃなくて」
意外だとも妥当だとも評価を下さずに柚葉は次の質問を投げかけてくる。話したいだけ話す、か。みんなそうだったらこの世界はおしまいだ。
「どっちみち、宮沢さんが希望を持つような口調じゃなかった……と自分では思う。ねぇ、柚葉。教えて、大真面目に。フッた時ってこんなふうに、気が滅入っちゃうものなの? 相手が……友達だからかな。たった半月、それでも悪い仲じゃなかった。けれど、私の頬や髪、手に触れている時にあの子が考えていたのが、その、つまり……そういうことなんだったら」
「気持ち悪い?」
私は反射的に首を横にぶんぶんと振っていた。馬鹿みたいに。気持ち悪いだなんて、そんなのはなかった。なかったんだ。
「いっそさ、最初から言ってくれればよかったのに」
柚葉というより、その向こう側、店の壁にかかった抽象画に墨汁でも塗り付けるように私は言っていた。
「一目惚れして放課後の図書室に探しに来たって彼女が言ったの?」
「……言っていない」
「ねぇ、試しに付き合ってみたら」
「自分が受け入れない提案を相手にするのは卑怯で醜い、前にそんなことを言っていなかった?」
「世界観の相違ね」
「どういう意味よ」
価値観ではなくて?
「私だったらああいう子に告白されたら付き合ってみる」
「へ?」
「そこに恋人同士らしい行為が伴うかは知らない。けど、男避けには役に立ちそう。それで、しばらく経って、何も感じなかったら別れる、いいえ、何も感じなければそのまま。でも、そういうときって別れはあっちから言い出すんでしょうね。ね? こういうのでもいいんじゃない」
「――――柚葉のお父さんの不倫相手は男の人だったの?」
会話のドッヂボールがはじまる。
そのはずだった。逆撫でするつもりの発言。柚葉が飲み物をかけてきようものなら、私が先にかけてやるぐらいの気持ちでしたのだった。
しかし、私の友達は今日は本当にぐずぐずに優しかった。
「確かめていないけど女の人だと思う。悪かったわね、試しに付き合えばなんて言って。失言だった。吉屋咲希っていう女の子は私と比べたら擦れていなくて、いい子だって忘れちゃっていた。これ、皮肉じゃないわよ。褒めてもいないけど」
「じゃあ、なにさ」
柚葉は黙る。答えを探している、そんな表情。私も忘れていたんだろうか。目の前にいるのが同い年の女の子だってこと。それに、宮沢さんも。
世界観の相違か。
なるほど。わからないが、わかろうと努めよう。
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