第23話

 どちらのチームにも私より背の低い女の子はいなかった。

 チームの中では相対的に低身長の選手も目測で160センチはあるように見える。そして相手チームには180センチ近くあるんじゃないかと思える子もいるのだった。あそこまで長身だと、苦労も多いだろうな。前に円香から聞いた話だと、プロともなると女子選手でも180センチを超える人がごろごろいて、中には190センチ台もいるのだとか。そこまでだと街を歩けばかなり目立つに違いない。


 練習試合は私たち側の高校の体育館で行われる。両方の高校で一軍チームから三軍チームを前もって作って、そのチームごとで対戦していくらしい。バスケでは選手の交代人数・回数に制限はないが、今回は原則的に全クォーターすなわち一ゲームとおして出場させるつもりだと顧問から通達があったそうだ。一ゲームに耐えうる体力作りができているかを見る目的があるのだろう。

 もとより選手層が厚いと言い難いチームであるゆえ、公式戦でも頻繁な交代でエース選手の足を休ませるといった作戦はとれないと円香が話していた。

 一ゲームにかかる時間がハーフタイム込みで一時間余り。まずはお互いの一軍メンバーでのゲームを他の部員と関係者で観戦、それから今度は二コートを使って二軍・三軍メンバーの対戦を同時に行う段取りだ。午前九時半集合でウォームアップを初めて、完了後に試合開始という流れで予定では正午過ぎには解散とのことだった。

 

 私が体育館に到着したのは午前十時ぴったりで、両チームの選手が顧問とミーティングを行っていた。とても話しかけられる雰囲気ではない。

 バスケ部の身内は一階、つまり選手たちの様子が間近で目にできる場所にいたが、その輪に加わることはせずに私は二階の狭い通路、立ち見のギャラリーにいることにした。私の他にも何組かがその通路部分にいて、同じく制服を着ている。

 体育館にも空調設備が設置されているが真夏の熱気を振り払えるレベルではない。「熱中症対策してきてね」と事前に円香が言っていたのは正しい。


 実のところ、今日に至るまで円香がバスケのルールや試合の見どころを好き勝手に話し聞かせてくれたのではない。そうではなくて、私から聞きだしたのだった。ルールのよくわかっていないスポーツの観戦なんてつまらないから。私の初歩的な質問にも円香は「調べなよ」とは言わずに「それはね……」と真摯に応じてくれた。

 その対話を経て、円香がバスケットボールが好きなのだとよくわかった。一人で静かに本を読むのと同じぐらい、彼女はコートの中でチームメンバーと協力してボールを制するのを愛しているのだと。


 ミーティングが終わり、人だかりがばらけるのが上から見えた。そしてふと顔をあげた円香と目が合う。立ち止まった彼女と確かに目が合ったのだ。直線距離でも十数メートルあるのに、彼女はまっすぐにその視線を私に向けた。

 お互いの表情がくっきりとわかるか怪しい距離。私は勢いでサムズアップする。すると彼女が返してくる。そして彼女はその場を離れた。たった数秒のやりとり。友達というよりまるでライバルみたい。


 そうして試合が始まる。円香は一軍チームの唯一の一年生だ。彼女が着ているユニフォームには26番が付されている。曰く、特に意味はないとのことだった。三年生から順に若い番号をつけているのだと。有名選手と番号が同じかどうかを前に訊いた時は「どうだろう。たとえそうでも、私は私だから」と言っていた。私としても著名なバスケットボール選手の番号なんてろくに知らない。これが日本人女子選手に限定すればなおさらだ。円香は円香。そのとおりだ。


 円香のポジションはPFパワーフォワード。インサイドでのプレイを中心とするポジションで、ゴール下での攻防に大きく関わってくる。


「目まぐるしい……」


 参考にと思ってバスケをしている動画を何回か視聴したし、中学生のときに授業でバスケはあった。ただ、直にこうして目の当たりにすると同じ高校生同士のバスケと言ってもその動きは自分にはできないものばかりだと思い知る。

 キュッ、キュキュキュっとシューズが床を擦る音がほとんど絶え間なくする。さらに選手同士の呼びかけに加え、控え選手や保護者の声援も聞こえる。

 観戦者たる私が無理にゲームの流れを掴む必要はない。円香の言葉を思い出す。昨日、別れ際に彼女は「ボールを目で追うのしんどくなったら、私だけ見ていていればいいからね」とはにかんだ。

 うん、そうしよう。そのほうがいい。




 話には聞いていたが、ひやひやする場面が多い。

 ぶっちゃけ、相手がスリーポイントシュートを放つ瞬間なんてのは私にとってはどうでもいい。ゴール下で円香が身体を張ってボールを奪いにかかるのが見ていて「あっ」と何度も小さく叫んでしまう。既に円香以外の選手でファウル宣告が出ている。素人目からすると、あれはファウルでこれはファウルでないのかと疑問に感じる。それほどに、ハードな接触がごく普通にある。


 顔つきが違う――――。

 バスケをしている円香を初めて目にして、ゾクゾクする。

 放課後の図書室にやってきたクラスの人気者の顔ではない。レトロ調のワンピースを身に纏った私を褒めちぎった時の彼女ではない。私にその強い想いを告げてきた時の表情とはまるで違う。嘘をついていたのを明かして、私に嫌われるのを怖がっていた彼女はそこにいない。私の部屋で勉強を真面目にしつつも、こっちの顔を盗み見ては頬を赤らめる女の子ではない。いっしょに映画を観ている時に部活の疲れのせいでうとうとしちゃっていたあの眠たげな顔はそこにない。


「かっこいいじゃん」


 口にしていた。不恰好に「じゃん」ってつけていた。それが照れ隠しなのが自分でわかった。かっこいいのだ、今の宮沢円香。時と場所が違えば、年下の女の子たちから黄色い声を浴びるのが想像に易い。


 試合が半分終わって、十五分のハーフタイムに入る。31-34で相手の高校がリードしている。言わずもがなスリーポイント一本で同点、ツーポイント二本で逆転できる点差だ。円香は31点のうち、14点も取っていた。第一クォーターでの猛攻を見せ、第二クォーターからマークが厳しくなったのが私でもなんとなく察することができた。それでも円香の動きは鈍くなるどころか素早く、鋭くなってきている。この分なら後半でも活躍が期待できる。


 うずうずしていた。

 インターバルのときよりもやや長めのミーティングを終え、水分補給しつつチームメイトたちと体を休める円香を見下ろしながら私は自分がここにいるのがもどかしかった。何か的確なアドバイスできるわけではないのを理解していても、一言声をかけたいという気持ちに駆られていた。具体的になんと言えばいいかは定まっていない。でも、じっとしていられない。

 

 不意に円香が隣にいた子に何か言ってベンチを一人で離れる。お手洗い? 自然と彼女の背中を目で追っていた。そのとき、円香が私へと視線を投げかけてくる。一瞬だけ。でも確かに私へと。何もないのに、私がいる二階をわざわざ見るわけがない。

 アイコンタクトだ。私は早足で彼女のもとへと向かった。


 一階へと降りて彼女の姿を探す。


「こっち」


 私を待っていたのだろう、円香がさっと横から姿を見せて私を手招いた。そして人目のないところへ誘導する。


「熱いね、めちゃくちゃ」

「動いているともっとだよ。もう汗だく」


 いくらタオルで拭いてもそう簡単に止まらない汗。真夏の空気がさらに拍車をかける中、彼女は爽やかに言ってのけた。後半戦に向けての余裕がある。


「気温じゃなくて展開が。後半では逆転してよね」

「言われなくても。ねぇ、ちゃんと見ていてくれた?」

「14点でしょ? 外したの二本だけ」

「司令塔役の先輩のおかげだよ。確実に決められる場を作ってくれる。私たちはそれに応える。簡単じゃないけどね。ええと、それはそれとしてさ。点数記録よりも聞きたい言葉がある」

「というと?」

「そこは咲希が自分で考えてよ」


 苦笑いして額の汗を拭う円香に私は右手を顎に添え、悩む。


「うーん……」

「たとえば、夏目さんをステージに送り出すプロデューサーだったら、どんな声をかけるの?」

「いってこい、自分を信じて。みたいな? 変にプレッシャーかけはしないよ」

「そっか。じゃあ、視点を変える。咲希が大事な剣道の試合の前にかけられたら嬉しい言葉ってなんだった?」

「え? べつになにも。これまで積み重ねてきた練習の日々を信じるしかないって思っていたから。試合前は誰とも話さず精神統一することが多かったよ」

「ふふっ、咲希らしいね。――――行かなきゃ。後半もちゃんと見ていてね」


 円香が行ってしまう、そう思った私は咄嗟に身を翻した彼女の手を掴んでいた。彼女が動きを止めて、手をぱっと離す。そして彼女が私に再び向き直る。驚きと、それから期待の眼差し。


「えっと……か、かっこよかった。すごく。もっとかっこいい円香が観たい。100点でも200点でも入れてきて」


 私の無謀な要求に円香が涼しげに笑った。


「うん。今ので元気百倍。頑張ってくる!」


 顔を新品に入れ替えた国民的キャラクターのような口ぶりだ。小走りで去って行く円香の大きな背中を見送った。




 後半戦が始まる。前半までは私のすぐ近くで私たちの高校のチームが得点するのが見えたがコートチェンジによって相手ゴールに代わる。いかに相手の攻撃を守るのかも大事で見守る価値があるが、私は反対側の通路に移動することにした。幸い、向こう側の通路にも人はほとんどいない。

 私が目にしたいのは、円香がシュートを決めるところなのだ。


 第三クォーターが終わって、インターバル。42-49と点差が広がってしまっている。動きは悪くない。そのはずなのに、肝心のシュートが決まらない。

 味方チームのジャンプシュートが外れる度に「ああっ……」と声が漏らしている私がいる。スタミナが限界近くなのか、徐々に円香も相手のチームメイトに押し負ける場面が増えている。


 第四クォーター、すなわち最終ピリオドが始まって一分すると私たちの高校側が戦術を変更したのがわかった。それは円香だけを見ていてもよくわかる。

 ほとんどがゴール付近のローポストと呼ばれるエリアを動き回っていた彼女がフリースローラインあたりのハイポストからミドルシュートを果敢に打ち込んでいく。しかもそれが入る。ここにきてレイアップよりも入りにくいシュートを決めていく円香に思わず見蕩れる。

 だが、五分を過ぎたところで点差は六点あるまま。相手の攻守はどちらも緩んでいない。


「えっ、そこから!?」


 円香がスリーポイント地点からシュートを放つ――――ように一瞬見えたがそれは味方へのパスとなる。相手側の激しいブロックがあったのでもないのに、やめたということは入れる自信がなかったから? かなり焦っている?

 

「あっ!」


 円香はパスを出すと私がいるほう、つまりゴール下へと猛突進を始めた。そこへ味方からバウンドパスが敵の間を縫って送られる。けれど、その軌道はスピンがかかっているのか、エンドラインへと向かってしまう。たしかにその軌道上には敵がいない、しかしそこからではシュートなんて……。

 

 円香がボールを軽く弾くように拾う、その場所からでのシュートは不可能に思えた。容赦なく敵もボールを奪いにきている。

 誰かにすぐにパスをするべきなのでは、そう私が考えた矢先に、円香がゴール前へと踏み出す。ツーステップ目で、跳び上がると、くるっと身を半回転させてゴールと敵側の両方に背を向けた。そうやってボールをとらせないようにし、そのままボールを腕というより手首で後ろ向きにリリースした。

 ボールはリングにガッとあたり、そしてゴール!


「よしっ!」


 グッと拳を握りしめて私はそう口にしていた。プレイが止まったのはほんのわずかな時間、すぐに相手のスローインから再開する。六点差を四点差に縮めた円香の巧みなシュートを契機に味方チームが勢いづく。

 

 そしてついに残り時間四十秒、64-64で点差はゼロとなり、振り出しに戻った。残りの一秒、一秒が選手たちにとって必死の時間だ。


 残り十五秒。点差は相変わらずゼロ。

 選手たちは私のほうへは全然やってこない。つまり、味方が責められっぱなしの状況だ。シュートを打たれ続けている。円香個人の得点記録は前半から6点だけ伸ばして20点だった。第四クォーターではまだ一度しか得点できていない。


「あっ!?」


 残り七秒になったその時、円香とボールを持っていた相手チームの一人が空中で接触し、円香が弾かれて一旦、プレイが止まった。遠目からでも円香の着地がうまくいかなかったのがわかった。ぶつかった相手は円香よりも縦も横もある選手でこれまでの試合で相手側の得点源になっていた選手だ。

 

 そしてファウルの宣告。

 それは円香に対してだった。

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