第19話
バスに揺られること、五分。
駅を出発して早くも三つ目の停留所を通過していた。
「あの、吉屋さん」
隣に座る宮沢さんが囁き声で呼びかけてくる。私は窓の外の景色、雨空のせいで暗い町並みから目を彼女に移す。距離感近いな、けっこう。放課後の図書室でカウンターの内側で隣同士だったときやカフェで隣同士だったときよりも。
「予習してきたから」
「はい?」
「……シスターズガーデン」
やや不満げなトーンで返してくる。それで昨日の自分の発言に思い至った。話を聞くに、宮沢さんは昨日のうちにインストールして、遊んでみたようだ。
「それで誰が気に入りました? 鏡花ちゃんだなんて言わないでしょうね」
「今のところ、誰か特定の一人を推すって感じではないかな。みんな可愛いし」
「いわゆる箱推しですね。そうは言っても、惹かれた子はいたんじゃないですか。あるいは引いた子と言うべきか。衣装付きの好きなSSRを選べましたよね」
シス庭に限らずソシャゲによくある特典だと聞いている。
新規プレイヤーが、過去に実装された最高レアリティカードを候補の中から選択して取得可能というあれだ。シス庭の場合は簡単なチュートリアルミッションをいくつかこなした後でチケットアイテムが配布される。たしか二枚だ。推しが決まったなら二枚とも同一キャラのSSRを取得するのもよし、気になる二人がいれば一枚ずつ使うのもあり。いわゆる推しカプに使う庭師も多いと聞く。鏡花ちゃん一筋の私にはない感覚だ。
「それだったら一枚は、霧島侑理さんのを選んだよ。夜空に星屑を散りばめたようなドレスの。イラストも3Dグラもよかった。躍らせ甲斐があるって言えばいいかな」
「へぇ、いいですね。現実だとああいうの踊りにくいんでしょうけれど、やっぱり装飾がしっかり作られているほうが映えますからね」
「なるほど……?」
「たとえば水着衣装って肌の露出があるだけで作りこみとしては浅いから、個人的にはそんなに好きじゃないんですよね。鏡花ちゃんの場合、専用衣装としての水着はなくて共通衣装しかないですし。かと言って鏡花ちゃんらしい水着ってなんだよ、ってなりますからね。今年の八月にでも実装されたら引きますが」
「ふふっ、引きはするんだ」
「推しですから。それで二枚目は誰を選択したんですか?」
「あー……えーっと……」
「名前、忘れたんですか。いいですよ、私も鏡花ちゃん以外だといまだにうろ覚えの子いますからね」
「ううん、ちゃんと覚えている。
「へぇ」
真凛ちゃんは中学二年生にしては背が高めのダンスが得意なアイドルだ。鏡花ちゃんとの接点は多くないが、鏡花ちゃんを含む四人の文化部系女子ユニットでのイベントの際に、真凛ちゃんからダンスを教わる描写があったとは記憶している。
青く長い髪をポニーテールにしており、凛々しい顔立ちをしているしっかり者。丁寧な口調だが、声質としては鋭く固め。それがそのままキャラ設定に活かされており、敬語のままで年上のアイドルやプロデューサーを叱咤することもしばしば。ちなみに侑理ともう一人とでユニットを組んだ経験があり、そのクールかつ情熱的な曲は人気曲によく挙げられている。
それにしても、真凛ちゃんっていうと設定上、部活は――――。
「ち、ちがうからね」
「何も言っていませんが」
「十七人全員のプロフィールを斜め読みしてみて、真凛ちゃんの特技に『剣道』ってあったから、それで吉屋さんを思い出して選んだわけではないから」
「だから、何も言っていないですって」
「でも……思い出しはしたし、意識しなかったと言えば嘘になるから」
聞いていない。べらべら、ひとりでに話しやがって。なんでそこでまたちょっと照れているんだよ。
「私、真凛ちゃんとまったく似ていません」
「それはわかってるよ」
うん。まぁ、そうだよね。私は私で何をわざわざ否定しているんだ。
「吉屋さんが剣道していた頃の話、聞かせてもらってもいい?」
「え、今のでシス庭の話は終わりってことですか」
「終わりというか、そんなにまだ詳しく話せそうにないよ」
「だからこそ話題がありますよ! 今から始めたプレイヤーからしたら、どのイベスト(※イベントストーリー)から解放したらいいのか、どれが読み物としてお勧めで、そのキャラを知るのに役立つのか、などなど……知っておくべきことが!」
「でも吉屋さんは夏目さん以外についてもそこまで語れるの?」
「いえ、無理です」
乗客の誰かが降車ボタンを押して音が鳴る。私は頭の中でシス庭で使われている効果音を鳴らした。プロデューサーとアイドルとのコミュニケーションがうまくいかなかったときの音だ。
「えっと、そういうのは攻略サイトを見るね」
「……はい。ところでリズムゲームはどうでした? 最初はエキスパートのフルコンボって難しいと思いますが」
シス庭のリズムゲーム部分はどの楽曲にも四段階の難易度、易しいほうからスタンダード、アドバンスド、ハード、エキスパートが設けられ、それぞれに細かく1から16のいずれからの楽曲レベルが設定されている。なお、最高難易度にあたるエキスパートはハードのクリア後に解放される。リズムゲームに慣れていないと曲の途中でライブ失敗となってしまうほどの難易度。とりわけ、鏡花ちゃんの二番目のソロ曲である『マドレーヌ秘想劇』はエキスパートでも楽曲レベルは14なのだが、難易度詐称と謗られるぐらいに、難しい譜面となっている。事実、私は五十回近く挑戦して、やっとフルコンボできたのだった。
「可もなく不可もなしかな。しばらくはハードを簡単にフルコンできるように頑張ろうかなって思っている。昨日は二度もミスって三度目のトライでやっとできたから」
私は最初に手を付けた曲のハードのフルコンボに、五回かかったのは言わないでおこう。
「宮沢さんって音感あるほうでしたか。あ、でも音痴って言っていたような」
「ああいうゲームにも音感って必要なの?」
「うーん、リズム感覚や反射神経? 言い方はそれぞれですが、音と指の動きを結びつける才能があったら高難易度の譜面でもお茶の子はいさいかなって」
「それを言うなら、お茶の子さいさい。はいさいって沖縄方言では」
「あれ、そうでしたか。じゃあ、さいさいってなんですか」
「えっ。……調べてみる」
宮沢さんがスマホを取り出してウェブ検索をかける。止める理由もないので眺めておく。
「囃子詞の一種だって」
「はやしことば?」
「えっと、歌謡曲のなかで語調を整えるのに入れる意味のない言葉らしいよ」
「ポップソングの『Ah』や『Uh』の部分もそうなんですか。ああいうの聞く度に、あーうーってなんだよって思うんですよね。『Yeah』でも『Oh』でも同じ」
「シス庭の曲にもたくさんあるんじゃない?」
「うっ。そ、それはそれです」
「私もこうやって吉屋さんとすぐ近くで話し続けていると、いつそうやって言葉に詰まっちゃうかわからないよ。変に緊張しちゃうっていうか、その……」
「それ、敢えて口にする必要ありますか」
「ある」
「そ、その心は」
「今日の私はなるべく自分に素直でありたいから。嫌だったら言って。それも覚悟の上だよ」
そう言った宮沢さんが私の手にその左手で重ねてくる。左手で触れられたのって初めてだなと思いつつ、それを邪険に扱えずにいた。
「私の手なんて触って楽しいですか」
「わからない。でも触れたかったから」
素直すぎる。
もっと気の利いたこと言ってみなさいよ。いやいや、言われても困るか。
「音感の話だけどね」
このまま話すのか。
「小学校三年生から中学校に上がるまではピアノをやっていたの」
「ピアノ?」
私はあの日の書店でのやりとりを思い出す。あの時も手だった。彼女の手を私はバスケットボールだけではなくピアノをうまく弾くこともできるのではないかと評価したのだ。彼女は嬉しがるどころか、棘を指に刺されて血を流したような表情をしていたのを思い出す。
「そう、ピアノ。そんなうまくなかった。でも楽しかった。振り返ってみれば、楽しかった時間のほうがずっとずっと多い」
「それは意外ですね。中学生のときに私の周りにいた、ピアノを習っていた子は口を揃えて、まずはレッスンがキツいって。どうして習っていたのって尋ねたら、親が勝手にって。そう考えると、宮沢さんは……精神的に向上心のある人なんでしょうか」
「そんな大層な人格者じゃないよ。ただ、環境がよかっただけ。趣味でやる分にはちょうどいい教室だった」
「友達も通っていたんですか? というよりそこで友達を作ったんです?」
「同い年で仲のいい子はいなかったよ。年上で……憧れていた人がいた」
「ああ、わかります」
私がそう返すと、重ねていた彼女の手がぎゅっと握ってきた。
「わかってくれるんだ? そういう人いたの?」
「ええ、小学生の頃に剣道場に通っていた時に。かっこいいなーと思える上級生。二つ上の女の子でしたが。中学校は別になったんです。公式戦ではただの一度も試合をしませんでしたけれど、一度だけその人の学校との練習試合のときに胸を貸してもらって」
「結果は?」
「もちろん惨敗ですよ。三十秒持たなかったですね。二本先取制なんですが、まず即座に一本、そして呆気にとられるままに再開して次の一本。あの時の声や音、今も頭に響いている……っていうと、大袈裟ですね」
「どんな声や音だったの」
「ええっ? そんなところまで聞きます? あれですよ、まさしく剣道少女の奇声。そして竹刀が面や胴を打つ音」
私の答えに宮沢さんは「そっか」とだけ言い、手を離した。なんだろう、正確に音を表現すべきだったんだろうか。でも私はあのときの先輩の声や竹刀で打たれた時の音階なんてわからないぞ。
「剣道、怖くはなかった?」
「中学生の時には何度も聞かれました。結論、怖いですよ。文字通り襲いかかってくるんですからね。それにこっちからも襲いかからないといけない。けれど、慣れるとあの空気が癖になるといいますか。三年生になってから初めてそういう境地に踏み込めました」
私は両手の人差し指をクロスさせる。
「相手と自分。竹刀と竹刀とをこう合わせているとき、嫌でも伝わってくるんですよね、緊張感……いえ、闘気が」
「今でも好きなんだね、剣道。すごくいい顔している」
そう言ってくれた宮沢さんの微笑みこそ、綺麗だった。ドキッとする。誰だって。私は軽く咳払いをして「どうも」と返しておいた。
そんなこんなで話していると、いよいよ降車駅が近づいてきた。宮沢さんが財布の中の小銭をそっと音を立てないように数えているのを横目に、私は窓の外の景色が徐々に明るくなってきているのがわかると、嬉しくなった。
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