第27話(終)

 キスをするたびに好きになる、きっと六度目のキスの後には咲希のことがさらに好きになっている……なんて。これじゃまた咲希からポエミーだとか乙女だって言われちゃいます。でも、そういう時の彼女の笑い方も好きです。嘲笑ではなくて。呆れつつも、しかたないなぁって感じの。


 もしかすると咲希はキスした回数を覚えていないかもしれません。私はどれも忘れられない思い出になっています。一回目は彼女から試しに付き合うことを提案された日、私が「咲希からして」とねだって。二回目はその後日のデートで、それで三回目は……。

 

 思えば二回目以降は全部、自分から。

 でも咲希は拒みません。私がお願いせずとも、次こそは咲希からと淡い期待をしています。ひょっとすると夏の間に、それ以上のこともするのかなって思っていたけど、既に秋。まだ夏の暑さが残る秋っぽくない世界で、咲希が私に飽きないのを一人祈るばかり。

 来年の文化祭に、咲希と手を繋いで一日中、賑やかな校舎内を歩き回って、それから人気のない校舎裏で唇を重ねたり、空き教室でもっと深く繋がれたのなら、なんて妄想も虚しく。


 言いたいのに言えない。そんなことが多いのです。それは宮沢円香らしくありません。友達たくさんの、明るい女子バスケ部の一年エース、誰とでも仲良くなれる「彼女」はきっと裏表がなくて、だから言いたいことをずばずば言って、それが誰かを傷つける時もあるだろうけれど、フォローもうまくて。そんな子に私はもうなれません。それを目指していたわけでもないのです。自然とそういう役割を求められていたから、なるべくそれに沿っていただけ。

 言いたい、咲希に。好きだって、もっともっともーっと、本気で。それなのに彼女を前にすると言えない。

 

 それとは別に咲希に言っていないことがあります。

 秘密ってほどではないこと。クラスで仲の良い友達やバスケ部で親しい先輩から「夏に何かあったでしょ?」って言い当てられた件。何もないよとは返さずに「ちょっとね」と思わせぶりな態度をとったのが今のところはうまく作用してくれています。彼女たちは私の心にずいっと踏み込んではきません。しつこく聞かせてとせがんでくることはありません。それでいいと思う私と、そんなものなんだと後ろ向きになる私。

 

 でも、いいんです。私には咲希がいる。いてくれる。

 いてくれるよね……?

 優しい彼女が笑う度、キスを受け入れてくれる度に、私はあなたのことを好きでいいんだよねって思っています。いつか口にしたその言葉を何度も頭で響かせ、確かめているのです。それが音になって、音楽を作ってくれればいいのに、私のこの想いが音楽になって、それを演奏できれば……そうすれば月並みな愛の言葉では伝えられない気持ちも彼女の心に届くだろうに。

 ううん、届くだけじゃダメ。ダメなんです。欲しいから。彼女からの愛を。




 咲希に勧められ始めたシス庭。

 毎日、朝起きてすぐにデイリーミッションをこなすのが日課になりました。アイドルはみんな可愛いです。咲希みたいに誰か一人に絞ってその子の活躍を追いかける熱意は私にはありません。新規ユーザ向けの特典でSSRを入手した子たちについても、夢中にはなれなくて。

 歌は好きだなーって思います、純粋に。いい歌ばかりだなって。歌っているのが私と同年代で同性の子という設定があるゆえか、十代の女の子の青春という雰囲気の曲が多くあります。もちろん、それ以外にも。

 実装されている曲の中で特に私のお気に入りは霧島侑理さんのソロ三曲目にあたる『Platonic Mist』です。まず前奏がいい。プラトニックと曲名にあるくせして、むしろ不純で不規則で不可解な色気があるメロディー。ゲームサイズ版ではわかりませんでしたが、全部の歌詞を調べてわかる、いささか猟奇的な愛の描写。それを侑理の妖艶な声が歌い上げるのだから、真に迫るといいますか、胸がきゅーっとなるのでした。


 その日、放課後の図書室で彼女の姿を見やった際の胸の締め付けはその曲を聴いた時に似ていました。

 中途半端に開いたカーテンの隙間から注ぐ夕明りに、照らされた咲希の横顔は愛おしく、声をかけるのを躊躇ったほどでした。ですが、その横顔をよくよく見れば、憂いがあって、それで私は「何を考えているの? 文学少女さん」と言ったのです。


 それから彼女が咄嗟に誤魔化して口にした話に乗ってあげて、私は我が校の図書室に入るバスケットボールのおおよその数を計算してみせました。どうせ実証しないから、十個どころか百個ほど違ってもかまわないのです。


「237個もいらない。この図書室にバスケットボールは――――」


 そこで咲希は一度、口を閉じました。

 そして身体ごと隣にいる私へ向けてきました。それまでは普通に隣り合わせで座って、いつもどおり首から上だけで向き合う姿勢だったのに。わざわざ彼女がそうしたのを見て、私も椅子の上で身をよじらせ、彼女同様に正面を相手にしました。


「いくついるの?」


 なかなか続きを言わないので何も考えていなかったのだろうなと思いました。きっと何か文学的なことでも言おうとして、閃かなかったのかなと。二人でいるとき、そうしたことは何度もありましたから。


「一つ。ううん、一つだっていらない」

「その心は?」

「ある日ね、がらーんとした図書室に一人の女の子がくるの」


 咲希がじっと私の瞳を覗き込んで話し始めます。


「図書室にも一人の女の子がいて、二人は友達になる。二人はそれぞれお互いの別の姿と心を知る。つまり、それまで教室や廊下、他の場所ですれ違ったときにでも目にしていたお互いと比べてってこと。どっちも本物でいずれがか偽物ってことはなくて、全部まとめてその子なんだって二人は思うし、信じる」


 咲希が目で「でしょ?」と訊ねてきるから私はこくりと肯き返しました。


「ある時、図書室を訪れた側の女の子……その子は明るくて運動がよくできて、かっこよくて綺麗な子なんだけれど、うっかり図書室の子に恋をしてしまう」

「うっかり?」


 私は思わず口を挟みます。すると咲希は、やはり目で「ちがうの?」と訊いてきます。私は答えを出せずに「続けて」と言いました。


「恋をした女の子は図書室の子をバスケットボールに誘います。図書室にボールを持ってきたのです。しかし、図書室の子はそのボールを……なんと! 丸飲みしてしまいます。そうして言うのです。『ここにそんなものを持ってこないで』と」


 咲希の目は笑っていませんでした。即興のおとぎ話はどうやら私を笑わせるためにあるのでないようです。

 

「恋する女の子は戸惑いつつも、その日は退散しました。ですが思い直して、次の日もバスケットボールを図書室に持ってきます。けれども、これまたがぶりと食べられてしまいました。図書室の子のお腹がまったく膨らんでいないことに、恋する女の子は驚きながらも、それならばと次の日、そしてまた次の日もボールを持ってきます」

「……それもみんな食べられちゃうの?」


 咲希が微笑んで首を縦に振る。私はなんだか寝る前に母親に読み聞かせをしてもらっている童のようだった。


「それで、えーっと……そうだな、100球目を飲み込み終えた図書室の怪物に、恋する少女はお腹いっぱいになったかを訊きます。しかし! 怪物は言います。こんなものをいくつ食べても満たされないと」

「すごい我儘だね。けっこうな値段すると思うけど」

「怪物はどうすれば満たされると思う?」

「それは……」


 なんだろう。

 咲希は答えが頭にあるのでしょうか。私が決めていいんでしょうか。


「少女自身を差し出す、みたいな? 自己犠牲の精神あるいは最上級の愛情表現と呼んでもいいかな」

「じゃあ、それでいこう。恋する少女はとうとうバスケットボールを与えるのをやめ、怪物といっしょに遊ぶのを諦め、そして私を食べてと申し出るのでした」

「怪物はどうしたの?」

「怪物は…………」


 しばらく待っても続かなかった。咲希は両肩をわざとらしく落とし、そして笑いました。あまりに純朴に笑うものだから、私もつられて笑います。


「私は怪物じゃないからわからないや。でもね、円香」


 咲希が、そうです、咲希から私の手をとってきました。


「好きだよ」

「え――――」

「こんな告白、ロマンティックでもドラマチックでもないけれど。まぁ、私らしいよね。とにかく好きって言いたくなった。好きなの、円香のこと。友情じゃなくて。あのさ、円香のせいなんだからね。私、もう円香を友達として見れない。この『好き』が円香が私にくれる好きと同じだったらいいなって今は思う。そうあってほしいって強く」


 ぎゅっと。指を絡めてとる咲希。


「これって我儘かな?」

「ちがう、同じじゃない」

「それって……?」

「ぜったい私の好きのほうが大きい!」


 私は繋がれた手を精一杯の力で引っ張り、咲希を抱き寄せます。


「ちょっ、落ち、落ちるって!」

「じゃあ、落ちよう」

「へっ!?」


 私は持ち前の身体能力で大好きな彼女を持ち上げるようにして、そしてゆっくりと床に押し倒しました。


「ま、待って」

「今更、冗談なんて言わないよね? 言ったら……食べちゃうから」


 見下ろす私が彼女の唇を塞ごうとすると、彼女のほうから真上の私にキスしてきました。


「ったぁ。歯、当たった」

「……咲希のせいでしょ」

「いや、円香ががっつくのが悪いって。今日は私からしたかったのに」

「そ、そういうことは事前に言って」


 彼女が私を押しのけ、立ちあがります。私もそれに倣います。そして彼女が赤面したまま、咳払いをしました。夕焼けの色じゃないよね……?


「改めてこれからもよろしく。恋するバスケットボール少女さん」

「うん……末永くね」

「ん、ん。じゃ、ほら。目を閉じて。恥ずかしいから」


 七度目のキス。

 あるいは一番目のキス。

 きっとこれからは数えなくてもいいんだって信じます。振り向いてくれた彼女を離さない、私の、いいえ、私たちの大好きはこれから積み重ねていくものなのです。周りが何か言ってきても二人で考えて、押し返してやればいい、二人ならそれができるんです。そう信じています。


「私も大好きだよ」


 長いキスの後、私が彼女に言います。互いの瞳を覗き込んで、お互いの姿を見ながら愛を囁き、心を重ねるのです。

 

 そうして時間が経ち、窓の外が夕闇に包まれたって、二人分の眩く愛しいしじまに私たちは酔いしれ続けるのでした。 

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文学的と言い難い恋、たとえば図書室にバスケットボールがいくつ入るかについて よなが @yonaga221001

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