第10話 恋文ヲ書ク

 まずはその小説投稿サイトのアカウントを作る。そこのアカウントからでないと作品に感想は送れないから。そしてそのサイトのルールとかそういうのをよく読む。星などでの評価はないみたいで。どうやらスタンプが送れるみたいで。読み手がその作品にスタンプを送れるようになっているみたいで。あとはしおり。僕もその人の作品を読んでいる時にその機能を使っていた。つまりはアカウントを作らなくてもしおり機能は使えるようで。そしてどうやら、しおりの数、と、スタンプの数、が作品の評価になるようで。その人の二次選考を突破出来なかった作品は、感想0、スタンプ数0、しおりの数3。しおりの数は僕のしおりも含めてであり。僕は小説家志望であり。出来合いのスタンプを送ることはしたくなくて。リアルでもラインでスタンプなんか送ったことがなくて。書き手としてのプライド。スタンプは絶対に使わない。今の時代、あけましておめでとうございます、という言葉でさえもスタンプで済ませてしまう風潮を感じる。だから僕は毎年手書きの年賀状を数える程だけど書いてきたわけであり。人は文字を書かなくなった。だからこそ書き手としてのプライドは大事であり。その小説投稿サイトは女性の書き手がメインのようで。迎合しないと読まれないのかなあとか思いつつ、他の人の作品はやたらスタンプもしおりの数も多いと感じる。でも文字を書いて送るコメントの数はそんなに多い人は少ないみたいで。それにそのサイトは送られたコメントがトップ画面に表示されるみたいで。短い言葉で、よかったです、とか、面白い、とか、絵文字でハート、とか。楽しているコメントが多い。そこで考える。僕はここの小説投稿サイトのアカウントを作るにあたり、僕のいつもの筆名を別に使う必要がないということ。その理由は二つあって。一つ目は他の二つの小説投稿サイトでもその人へはレビューを僕しか書いていなくて。気付く人は気付く。またこいつが贔屓目で読んで書いている、コメントを送っている、評価していると思われたくなかったから。そして二つ目の理由。それはそのコメントの文章を読めば、その人が僕の書いたものだと分かってくれると思っていたから。文章には確実に癖が出る。僕の文章のクセ。あとは文章の流れとか連想。僕の書いた感想を受け取った人にだけ分かる流れと連想。僕はパソコンでワードを立ち上げる。他の人が送っているような短文では意味がないし、逆に失礼。いや、短文のメッセージでも嬉しいんだろうけど。書くのは僕だ。書き手である僕が一言二言のコメントで済ませるはずがない。僕の書き手としてのプライドだ。誰だって書店に並ぶ本の帯に失礼なことや頭の悪そうな文章を書くわけがない。これは僕がその人の作品に書く、帯、だ。僕はその人の書いたその作品、長編を読んでいる最中にメモを取っていた。感情が高まった部分は何ページから何ページ目であり、何ページ目のこの表現が光っていたとか、このページを読んだ時に〇〇という昔の映画の一番感極まるシーンと同じようなBGMが心の中で流れたとか。僕はその作品を読んでいる時に本当に脳内で〇〇という映画のシーンが再生されたのだ。パクリとかではなくて。好き同士な二人が物理的に別れなくちゃあいけないシーン。そう、その人の作品を読んで僕が脳内再生した映画は、ゴースト ニューヨークの幻、であり。


 あと四年、四年待って


 その人の書いた物語でのシーン。同じように状況が好き同士の二人に好きと言わせない、思いを伝えられないシーンでの言葉。何年も待って、思いを募らせ続けた二人がさらにあと四年も待たなければいけないのか、と。これは本当に切ない物語であって、あまりにももどかしく、純粋すぎる二人に泣けてしまう物語であって。そしてその物語の設定、登場人物の書き方が本当に上手で。読み手として十分納得する物語だからこそ感情移入できたのであり。だから。僕はその人に自信を持って欲しくて。この作品を書き上げたことはすごいことであり。結果は残念だったけどそれは自分でコントロールできるものではなくて。僕が審査員だったら。パソコンで立ち上げた白紙のワードがどんどん文字で埋められていく。この文章に誤字脱字は許されない。その人は十万文字を超える文章で変換ミスは二つ、脱字は一つだけだった。一生懸命、校正もしたんだ。誰かに読んでもらうために。その人のことを想いながら文字を綴る、書く。後になってから気付く。僕が書いたそのコメント、感想は、僕の書いたラブレター。書くことを続けて欲しい、自信を失ってほしくない、あなたの書く物語は絶対に届くはずだと。僕がそう思うのだから。作者からの返信コメントが書かれる機能などない。だからその人が僕の送った感想、コメントに対して返事を書く必要はない。そういうことも考えていた。一方通行、だからいい。こんなことなんかで落選の傷が完全に癒えるわけなどない。それでもいい。ほんの少しでも、届けば。あなたの書いた文章、物語が誰かに届いたことを分かってくれれば。でも、それだけでいいの?とか、自分がその人にいいように思われたいからだとか。そういう心の雑念は僕の中でいつまでも存在し続けるわけであり。本当は報われたいのは僕であるのか。いやいや、僕はその人の顔だって、本当の名前だってシラナイわけで。そんな人にそんな感情を抱かないでしょ、と自分の心の雑念に対して言い訳をして。その人のツイッターをモヤモヤしながら確認し続ける。僕の書いた感想は読んだのかなあ、とか思いながら。呟いて欲しいなあ、とか思いながら。その人は僕が感想を送った二日後に、そのことを呟いていた。そのサイトのトップページ、短い言葉が新着で並ぶ中、あの日の夜、僕の書いた長文のコメントが一時間だけ載っていた。その人の作品が目立つように。これだけの評価がされた作品なのだと。一山いくらの短文とは違うと。僕の長文コメントをかき消すように、上から被せられていく新しいコメント。僕の言葉がトップページから消えていくのを見ている時、本当に世の中って自分の思い通りにならないよなあ、と思っていた。

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