第19話 手ヲ伸バス。十万センチメンタル

 正確にはプチバズリだけど。ツイッターの仕様が変わって今はアクティビティ数が表示される。その人のツイッターはフォロワー数も五十ちょっと。ツイートのアクティビティ数は十いくかいかないかぐらい。僕は見ていないテレビドラマのことを呟いたそのツイートが何故か何十もRTされ。ドサクサに紛れて、いいね、も、たくさんついて。いきなりその人のそのツイートにリプを送る人が。その人はそういうツイッター上でのやり取りをするような人ではない。一方的に送られるリプ。それに反応しないその人。ずっと見てきた僕には分かる。その人はいきなりリプを送られても困惑すると思う。書き手とは、普通の人と大きく違うところがあると僕は思う。それは、会話が苦手、ってことだ。日常で、ポンポンと会話のキャッチボールが出来る人ってすごいと思う。書き手という生き物は、頭の中で文章を、言葉を用意して、口のところに門番がいて。その門番が一つ一つの言葉をチェックしていて。安易な発言は取り返しがつかないと思っていて。だから日常では口下手になる。なにかを聞かれても、よく考えて返事をする。受け答えが上手いとか、会話が流暢とか、そういうのはまた別の才能であると思っていて。あと、現代の書き手はワードを使う。だからこそってこともあって。ものを漁って、と書こうと思ったら、ものを明後日、と変換されたり。そういうところに楽しさや新しさを感じるものでもあり。喋ることと書くことはまったくの別物であると思っていて。人は言葉を垂れ流す。ツイッターでもツイート数が十万を超える人も普通にいて。今は一ツイートが最大百四十文字。認証マークを買えばさらに多くの文字数を呟ける。でも基本百四十文字。じゃあ平均で一ツイート二十文字として。十万ツイートで二百万文字。前後関係もなく、垂れ流した文字数と、ワードに打ち込んだ物語の文字数を単純に比較することは出来ないけれど。文字を書かなくなった現代人も意外と文字を書いていて。多分だけど、その人は今、とても困惑していると思う。ナンパのようにいきなりリプを送られて。正確にはナンパとは全然違うけど。同性からのリプかもしれないし。文章から性別は読み取ることが難しく。その人の、たった数十文字のコメントが切り取られ、そこにリプを送ること。理由を書く人間にとって、切り取られた言葉に対応することは困難なことだと思う。僕はその人に手を伸ばしたくなった。その人が好んだわけではない多くのリプ。そのリプを一つ一つ読み取ってみる。タメ口であったり、FF外から失礼とか、あなたの考えってこういうことですよね、とか。こんなの僕が送られても困惑する。当たり障りのない返事を一つ一つ返すのが徒労に感じる。リプをかき分けるのは人混みをかき分けるのに似ていると思う。だから僕は、その人に手を伸ばしたいと思ったのだろう。


 僕の手を握って。そこから逃げ出そうって感じで。


 一体僕は何様なのだと思うけど。そういうことはいちいち気にしない。でも。結局、僕は何者でも何様でもなく。その人に、いちいち気にしなくてもいいですよ、ってリプを送るわけでもなく。なにをするでもなく。ただ見てるだけ。バズったから宣伝。てことをその人が呟くわけもなく。結局、一日も経たないうちにその人はそのツイートを消した。最後に見た時、その消されたツイートのアクティビティ数は一万を超えていた。


 十万センチメンタル泳ぐ。


 僕はこういう文章が好きであり。書き手とはこういう表現を使える方が何かと便利であると思っていて。十万センチは千メートルであり。千メートルは一キロであり。タウリン千ミリグラム配合は、なんかすごそう、であり。タウリン一グラム配合だと、で?と思うし。一キロ泳ぐことは比較的簡単そうだけど、十万センチだと、すげえ、と思ってしまう。そしてセンチメンタル。不思議なもので。僕はただのストーカーであり。その人にとってはただの他人であり。でも、その人へ気軽にリプを送る人を嫉妬してしまい。危険な感情だと自分でも分かっているけど。そう感じてしまうことは仕方ないことであり。曖昧であるはずの感情が先走る。好きだから、こうしたい、ではなく。自分の感情に気付かされる。ああ、やっぱり、好きなのだ、と。塩コショウ少々、とか、砂糖を適量、とか。曖昧では正確な味にはならない。大匙一杯は十五グラムであり。人差し指、中指、薬指でスプーンを作ってやると、それが大体十五グラムと同じであり。僕はいろいろと考える。ただのリプにも返信をしないその人。僕が唯一、その人と個人的な連絡を取ろうとしたら、ツイッターしか方法はない。僕が自分の気持ちを、なんとかして、その人に伝えたとして。その言葉は既読スルーされるんじゃないか、と。そうに決まっている、だから諦めよう、と思う僕の中の厳しい人。僕がこの気持ちに終止符を打てば。この恋は最初からなかったことに出来る。そういうことも考えてしまう。でも、それって、リアルの恋でも同じだ。自分の気持ちに気付いて、一歩踏み出すこと。そして何かしらの結果を経て。次のステップに進むことが普通であり。一つだけ真実だと言えること。僕はとても厄介な恋をしてしまったということ。訳解な恋。


やっーかい〔ヤクー〕【訳解】[名](スル)外国語で書かれたものや古文を訳解し、解釈を加えること。

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