第20話 千ノ夜ヲ飛ビ超エル

 焦る。


 僕のツイッターアカウントの固定ツイのアクティビティ数は日に日に増える。多い日で一日に五十近く、少ない日でも二十近く。これって何も呟かない日にも増えていくわけであり。僕の心の中で都合のいい疑問が。そんなに見られる?ものなの。呟きのないアカウントをわざわざ見にいくことってあります?いいね、だって押されてないのに。これは本当にミステリー。ミステリーの書き方。最初に犯人を決めないこと。コナン君だって未だに黒の組織の大ボスは誰にしようかな?とか思ってそう。パソコンから離れれば、書くことからは離れることが出来て。でも現代人として、そしてお給料を貰う社会人として、スマホを手放すことは出来ない。スマホがあればどうしても開いてしまうツイッター。以前は部屋の外でツイッターアカウントを開くことなんてしなかった。理由は単純であり。後ろから誰かに見られればバレるから。考えすぎとか言われそうだけど。僕は実際に隙だらけの現代人の背後からツイッターアカウント名とかをチラ見しては記憶して。後でエゴサしたら、はいビンゴってことが何度かあったわけで。だから部屋の外ではツイッターアカウントは開かないってマイルールを決めていたわけで。でもそんなマイルールを無視してエゴサの毎日を送る。自分が嫌になるけど。それに僕の固定ツイのアクティビティ数が日に日に増えているってことは、僕がその人のツイッターアカウントを見る度に、その人の固定ツイのアクティビティ数だって増えるわけであり。その人だってバカじゃない。今は絶対に異変に気付いているはずだと思う。見られてる、と。そうなると考えるだろう。直近でそんな理由はあったか、バズったツイート?違う。その前に創作アカウントでもない僕のアカウントからの何度かのリプといいね。僕の甘い希望。あ、あの人が見てる、とか思わないかなあ、とか。でもその後に続く言葉が、気持ち悪い、だったらどうしようとかは考えないから僕は能天気かも。でも焦る。気付いたことがあるから。その人はたまにツイ消しをする。ストーカー的エゴサ野郎の僕の推理だと、その人の生活習慣は夜型であり。僕と同じで真夜中に書いているのか、とか思っている。決まった曜日に好きな深夜ラジオを聞くその人。番組のハッシュタグをつけて呟くその人。アイドルが好きなのか。そういうのは別にいいと思う。僕が焦る別の理由。その人は最近になって、このアカウントを閉じるかもしれない、とか呟きだした。その人がツイ消しする呟きは、決まって深夜に呟いたものであり。夜中に書いたラブレター的な恥ずかしさとかを翌日に感じるのだろう。その気持ちはすごく分かる。創作活動が不安になった時、誰が受け止めてくれるでもないのに、人は呟く。報われない自分を呪う言葉とか、誰かがその呟きを見た時に、心配してくれて、大丈夫ですか?と構ってくれるような言葉とか。その人はあんなにすごい物語を書くのに、リアルでよく泣く。本当に泣いているかは分からないけれど、また泣いていた、とのツイートをたまに目にしていた。長編を書いて、公募に出して、数か月間ドキドキしながら結果発表を待って。紙の公募は結果発表をネットではしない。紙の文芸誌で発表する。巻末の一ページに載っていることが多くて。その文芸誌を、その一ページを見るためだけに、本屋へ足を運んで。だいたい最初の本屋では置いてなくて。二軒目、三軒目と回ってようやく見つけて。レジで千円近い価格を知らされ、え?そんなに高いの?と思いながらも、表情を変えずに財布を取り出す。心の中では、まあ、受賞だから、千円ぐらい安い安い、この喜びの知らせには二千円でも払うよ、とか思いながら大事に文芸誌を鞄に入れて。本屋を出てもすぐにはページを開かない。家に帰るまでは開かない。ドキドキが大事であり。この日のために書いてきた、そして待った、だったらいつでも結果が分かるこの状況を少しでも楽しむ。自分の部屋に帰ってきて。購入した文芸誌を机の上に置く。まだページを開かない。お風呂に入る。髪を乾かす。お茶を入れる。パジャマという名の部屋着に着替える。タバコを咥える。火を点ける。これが儀式。おそらく紙の公募に送っている人は全国で同じような儀式をやっていると思う。ドキドキを楽しみたいのであり、ページを開く自信がないのだ。そしてページを捲る。結果発表のページを目次で確認。有名作家さんの名前とか、新連載とか、そういうのが嫌でも目に入ってくる。名前が載れば一次突破であり、二次突破だと名前の上に星マークがつく。都道府県ごとに掲載されてるペンネームと作品タイトル。ページの右上から目を泳がせる。ない。僕のペンネームがない。送った作品タイトルも載ってない。嘘だ。もう一回右上から。見落としたかも。そして何度見ても結果は同じで。千円も出して買った分厚い文芸誌を丸めてゴミ箱に突っ込む。そんなことを何度繰り返してきたことか。だから、その人の、泣きたい、って呟く気持ちが分かる。下読みを恨む。見る目がない、あ、読む目か。大御所審査員を恨む。


 あなたの書いた小説、読ませてよ。


 大御所審査員のあなたは、言葉の意味を本当に分かっているのか、と。あなたの書いた小説、つまり、応募者全員に呼び掛けているではないか、と。だったら読めよ、と。最終選考に上がってきた三作品か四作品しか読んでないだろう、と。僕が審査員だったら。少なくとも応募してきた作品は全部読む。文字が読めない、本が読めない僕だけど、梗概と最初の数ページは読む。送られてきた作品全部のものを。それが審査員を引き受けるということだと思っている。一万作品送られたなら、一万作品の梗概と最初の数ページを読む。もし、そのコンテストで、一次も突破出来なかった作品が、別のコンテストで、大賞を獲ったら。どうせ、最終選考に残っていなかったから読んでいない、とか言うんだろう。僕はそういうことを口にする時、ついつい、口調が荒くなる。誰も聞いてない部屋での独り言だけど。いろんなものと紙一重の僕。小説を書くってことはそういうことなのだろう、と。僕だって、泣きたい。その人は、僕に似ていると思う。その人に、僕は、よき理解者になって欲しいのかなあ。本当に焦る。その人は、そのアカウントを閉じてしまうかもしれないから。急がないといけない。でも、急げない。今にも切れそうな蜘蛛の糸を、登り始めるどころか、掴むことも出来ないでいるボク。読み手にレベルを求めたら、書き手は終わると思う。でも、下読みには、公募では、読み手にレベルを求めていいと思う。数か月の時間を掛けて書いた小説が、一瞬で散っていくのは、儚い。僕は何度、千の夜を飛び越えたことか。その人は、どれだけの千の夜を飛び越えたのだろうか。本気で挑むから、泣きたくなる。でも、また、書き始めるのだ。一つの物語を生み出し、その結果を受け止めるまで、僕は千日と思っている。実際にはその四分の一から五分の一ぐらいだけど。長編には、応募者の数だけ、千の夜を飛び越えた想いが宿る。そう信じている。

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