第3話 詠ム、出会ウ
僕は本が読めない。文字が読めない。だからその人が書いた作品も長編は読めない。それは仕方のないことだ。時間を掛ければ読むことは出来るだろう。でも僕が本を読むと一行読んで、また頭に入れるために一行読み返して、またまた頭に戻って一行読んで、となり。三行とかまとめて読むと頭の中に内容が入らない。頭の中で考えながら読む癖があるからだ。僕が詳しく記憶している昔に読んだ本。実は日本の本は読んでない。洋書ばかりだ。洋書は訳者の意図があって。無駄な文字が一つもない。だから読みやすい。そして文章が美しい。今の日本の本はそういう美しさがないと思う。さらにネットニュースとかで誤字脱字や『てにをは』ミスだらけの校正していない文章を見ると、はあー、って気持ちになる。それはこの人たちは金銭を貰って文章を書いているプロだから。自分の皮肉の気持ちを踏まえての、はあー、であり。でも内容を頭に入れるだけならスラスラと読むことは出来る。いざ、物語が始まる、しっかりと登場人物の名前を憶えて、内容を覚えて、となると最初の名前を覚えた次の瞬間に、あれ?なんて名前だっけ、となる。だから僕は本が読めないのだ。でもその人が書いた短編は努力して読んだ。五千文字程度の短編でも読むのに三十分以上掛かった。でも内容はしっかりと頭に叩き込みながら読んだ。本当に僕が読んだ他の作品よりもいい文章を書いていた。最初のその人との出会いになった作品について語ろう。その作品は長編だった。十万文字以上の。でも何かのネットでの読みあい企画に僕は初めて参加したのを覚えている。ネット小説は初心者だった僕は、そういうのも大事なのだろう、と思って参加した。他の参加者の作品もたくさんあったのだけど。僕は自分の作品で十七万文字セリフなしの作品を参加させた。PVが最初の一話と二話にだけ少しつく。そして応援のマークも一話と二話にだけ同じく少しつく。その経験から僕はそれ以降、読みあい企画には参加しなくなった。読みあい企画は大人として、その企画に参加した人たちに気を遣わないといけないと思った。気を遣うと正当なジャッジは出来なくなる。でもその最初の一話と二話にだけPVがつくってことは僕の作品のレベルがそうだってことなのだろう。読み手にレベルを求めることは書き手として失格だと思っていたから。でもその人の作品は他の長文タイトルの作品とは明らかに違った。僕が昔読んだ洋書の匂い。例えるなら、どうしても照れが出るような芝居の練習中、一人だけその世界に入り込んで、役になりきって、別人のようにイキイキと演じるような。その人の文章はそんな風に楽しそうで。文字がイキイキとしている感じで。本当にいい文章だなあと僕は思った。読みあい企画だけど僕のジャッジだとダントツで一番の作品だと思った。でも他の人の評価はそうではなかった。PVも評価のスターもついていない。他の長文タイトルの作品はたくさんのスターがついていて。違和感。これが売れるものといいものの違い。悲しいかな、言い訳になるけど、今の出版業界はいいものより売れるものが好まれる。カミュもケルアックもアッカーもカフカもモーパッサンも現代のネット小説から始めたらスターは貰えないと思う。でもその人の作品は僕には確実に刺さったと思う。そして僕は本が読めない。でも頑張ってその人が書いた長編を四分の一まで読んだ。時間を掛けて。途中までだったけど、その人が書いたその作品は完璧だった。完璧すぎるほどに。僕は驚いたのを覚えている。こんな時代にまだこんな文章を書く人がいるんだ、と。でもそれだけだった。いい文章を書くなあ、だけ。僕がその人を意識するようになるまでまだ二年ぐらいかかることになる。
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