第2話 幼なじみ

 明小月は自然の豊かな村で育った。



 爽やかな夏の風が草原に波を描く。明小月は両手を広げて、その場でくるくると回った。青草の匂いが身体にまといつく。飛蝗が小月を避けて飛んでいく。


「あら、ごめんね」


 森の方角に夏特有の虫の声を聞きつけた小月は、声の主を探しに山に入った。目星をつけた木は樹皮がごつごつしていて登りやすい。


「小月~、待ってくれよ~」


 樹下から少年の声が聞こえる。必死で木登りをする少年の名前は鶴秀英。隣家に住む幼馴染みだ。木漏れ日が二人に平等に降りそそぐ。


「今日は競争だって言ったでしょ。先に蝉をつかまえたほうが勝ちだよ、秀英」


「女のくせに、虫取りなんて」


 秀英は文句を言いながら、小月と同じ枝までよじ登った。大人が手を伸ばしても届かない高さだ。樹上は涼しかった。


 彼らが住むところは阿州布台県別長郷、皇都から遥か西南に下った辺鄙な村である。小月の両親は田畑を耕し、秀英の両親は商いをしている。

 生活は豊かではないが、まだこのときの二人には豊かさがどういうものか知らない。村の人々の生活はみな似たり寄ったりだからだ。つまり、みなが貧乏なのである。


「あー、しまったあ」


 小月はすんでのところで蝉を逃してしまった。幹を支えに枝の上に立ち上がった秀英は小月を見て「あれ?」と声を出した。


「どうしたの?」


「そこ、小月の右手のそば。きらきらと光ってる」


 小月の親指の横に同じくらいの大きさの玉虫がいた。


「綺麗だなあ」


「ほんとに」


 手のひらにのせてじっくりと眺める。木漏れ日を受けて緑から青に、そしてまた緑に変化する不思議な翅色。よく見ると赤や黄色まで見えてくる。金属の光沢に似ている。


「でも、うちの鍋とは輝き方が違うね」


「あれは銅だから。町で見た簪は銀色とか金色とかで、もっときらきらしてたよ」


「簪?」


「髪飾りだよ。小月も大きくなったらわかるよ」


「そうかなあ」


 商人をしている秀英の家では高価な品物も扱っている。村の女たちには縁のない装飾品も。


「ねえね、しゅうえい、わたしものぼる」舌足らずの幼い声が聞こえた。


「危ないからだめだよ。鈴鈴は下にいて」


「いやあ、りんりんも見たい」


 あとを追いかけてきた妹は短い手足で一つ目の枝によじ登った。小月は手を伸ばして玉虫を見せた。


「わあ、きれい」


「ほんとにねえ」


「ねえね、これ、ほしい」


「町に持っていけば、装飾品に加工してもらえるよ」


 秀英の提案に小月は苦笑する。加工賃など払えるわけがない。町に行く機会など年に一度か二度。それに虫だって人間を飾るために生まれてきたわけではない。


「うん、でも、放してあげようよ」


「えー?」


「夏の終わりごろにまた来てみよう。きっと近くに落ちてる」


 成虫になった虫の命が短いことを小月は知っている。小月が手を高く掲げると、玉虫は風にのって飛んで行った。三人は飛び去って行く玉虫を目で追いながら、風に吹かれていた。


 パシン。


 秀英がおのれの腕を叩いた。


「どしたの?」


「蚊に刺された」


「木影は蚊が多いから」


小月は鈴鈴のいる枝に移った。鈴鈴も腕をかいている。


「小月は刺されてないのか」


「うん、私は大丈夫。蚊に刺されにくい体質みたい」


「姉妹なのに、鈴鈴は刺されてるぞ」


「ねえね、かゆい」


「うん、見せて」


 幹から手を離した鈴鈴は身体をぐらつかせた。


「危ない」


 小月は鈴鈴を支えた。急に動いた小月が今度は足を滑らせた。


「小月!」


 真上にいた秀英が小月の衣を掴んで引き上げる。


「あ! ありがとう、秀英」


「うあ!」


 そこまではよかったが、均衡を崩した秀英が、後ろ向きに地面に落ちてしまった。どすん、バキバキ、と音がした。


「秀英!」


「しゅうえいにいに!」


「……いてて」


 小月は慌てて樹下に降りた。秀英はすぐに立ち上がって「ほら、大丈夫だよ」と微笑んだ。

 左手の甲にかすり傷がひとつあるだけだった。

 村の共同井戸の水を汲んで傷口を洗う。ついでに顔や手足についた泥を綺麗にして、三人はさっぱりした顔で各々帰宅した。いつものように。


 だが、ことはそれだけではすまなかった。

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