第44話 引き籠もる理由
「あの……あの、二徹さん。李医師が買い増ししてくれたみたいですけど……」
「ああ、届けてもらった。だがすぐになくなっちまう。ほら、見てみろ。今残ってるのは豆と麦と片栗粉くらいだ。もって三日だよ」
二徹は空っぽになった麻袋の山を忌々しげに指さした。
「鳥肉などと贅沢は言わない。カエルだっていい。食えるもんを揃えてくれ!」
「鳥もカエルもヤモリも蝙蝠も駄目だ。あいつら蚊を食ってくれるんだぞ!」
「じゃあ飢え死にしかない!」
再び二徹と典弘が口論を始めた。
「食材はなんとかします!」
小月は思わず叫んでいた。典弘と二徹がぴたりと黙る。
「引き籠もっている家には食べ物があるはずです。分けてもらうよう頼んできます」
二徹と典弘が天を仰いだが、小月は構わずに踵を返した。
「俺も行く」
「わしも行こう」
小月の後ろを、二人はついていった。
「帰っておくれ」
一軒目は話を聞いてくれるどころか扉を開けてもくれなかった。二軒目には怒鳴り散らされ、三軒目には水をかけられた。
「おい、何しやがんだ!」
頭に血がのぼった典弘は閉まる寸前の戸を掴む。
「て、手を放せ。汚れた空気を吸ったら病気になるだろうが」
「お前のほうが有害だ」
二徹が典弘の肩に手をかけた。
「よせ、よく見てみろ。がりがりじゃないか」
二徹の言葉のとおり、戸の隙間から覗き見える男は目ばかりがぎょろぎょろとしている。背後では飢えた子供が膝を抱えている。
「……食いもんないのか?」
「もう帰ってくれ」
「食え」
二徹が隙間から饅頭を投げ込んだ。子供が飛びつく姿が哀れを誘う。
「お、おい、そんなもん食うな」父親の言葉は弱々しい。
「食べ物も蓄えてないのに籠もっていてどうする。流行病に罹らずとも餓死してしまうぞ」二徹は目を細める。
「閉じこもって災厄をやり過ごそうと考えてるなら無駄だぞ。俺らに協力すれば、この二徹のおっさんが美味い飯を食わせてくれるぞ」二徹との口論を棚上げにして、典弘は甘言で誘う。
父親は典弘を睨んだまま無言で戸を閉めた。
三人は溜息をついた。
「本末転倒だな。どうする、続けるか?」典弘はすっかり鼻白んだようすだ。
「典弘さん、二徹さん、お二人は仕事に戻ってください。私は説得を続けます。収穫品はあとで二徹さんのところに届けますから」
「了解だ」と典弘が息を吐く。
「ところで典弘さん、凄く元気ですよね」
「ああ、絶好調だ! ……なあ、ほんとに俺……病気になるの?」
「なってほしくないけど、なってくれないと困る、という……ほんと困りましたね」
小月と典弘は苦笑いを交わした。
「わしはもう少し小月先生の供をしよう」
二徹は腰に下げた合切袋の膨らみを叩いた。
「二徹のおっさん。貴重な食い物を非協力的な連中に分けてやることはないと思うぜ」
典弘は二徹の合切袋を一瞥したが、それ以上は何も言わず、持ち場の井戸へ戻っていった。ふいに隣家から女の叫ぶ声と男の咽び声が聞こえてきた。
「入ってこないでください!」
「入りません、入りませんよ。どうかしましたか?」
その家には戸がなかった。内側から葦簀を立てかけているだけで、手で軽く押せば簡単に中に入ることができる。小月は葦簀の奥に向かって声を掛けた。
「……母が死にました。私達はどうしたらいいか……」
大きな図体を痙攣させてさめざめと泣く中年男と嫁と思しき女が葦簀にもたれているようだ。その奥に横たわる亡骸が老母なのだろう。小月は悔みの言葉を述べ、弔うように勧めた。亡骸を運ぶ手伝いをしましょうか、と言って葦簀に手をかけると、
「入らないでください! もし病が貴女に伝染したらいけません!」
「……そんな理由で……引き籠ったのですか?」
「老母の望みです。他人の迷惑にならないようにと。だから母とともに私たちも朽ちます」
小月は愕然となった。我が身可愛さで引き籠った者ばかりではなかったのだ。
二徹は小月を押しのけて葦簀を押し倒した。怯える夫婦に構わず、虫の湧いていた水瓶を倒した。腐り水は流れて、無造作に置かれた大工道具らしきものを汚した。
「こいつが母御を殺したんだ。あんたらが死にたいなら死ねばいい。だが仇を取ってからにしてはどうかね」
二徹の言葉が耳に入っていないのか、夫は慌てた様子で錐や鋸を拾い上げて、おのれの袖で汚れを拭き取った。道具を大切にする、腕のいい職人だったに違いない。
護符を配った夜、「不要だ」と断ったのは、この家だったことを小月を思い出した。
その後に訪問した十軒から二人の発症者が見つかり、小月の説得に応じて治療を望んだ。治療代の代わりにと、干し芋と干し肉と米粉を得ることができた。だが、どの家にも余分な布はないし、銅板もなかった。
つまり、水から蚊を遠ざけるのは難しいということだ。
虫除けの効果があると知れ渡った除虫草は早くもまばらになって、孟兄弟の住居はすっかり風通しがよくなった。
小月は頭を抱えた。まもなくやってくる真夏に対処すべき方策がない。
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