第45話 蓋の代わりに

 一方、二徹の料理からは穀物が減り、味つけは塩だけになった。干し芋と干し肉と米粉という収穫はあったものの、協力者が増えれば、その分出ていく量も増える。五日目の朝餉は野草と木の根と麦の粥だった。せめて腹にたまるようにと考えたのだろう、とろみだけはしっかりとついている。どうやら片栗粉だけは余っているようだ。


「片栗粉のようなとろみで水瓶に蓋をできたらいいのにね」


 こんな食事では栄養不足になってしまう。匙でとろみを弄びながら小月は溜息をついた。


「明小月先生」


 診療所の外から誰かが呼んでいる。表に出ると雲花がいた。


「どうかしたの?」


 雲花の隣には老母を亡くした職人が立っている。


「聞いておくれ。昨日は一昨日の半数だったよ。なあ、葉舞。あ、こいつは木工職人なんだ。老母の火葬の後、私を手伝ってくれてる」


 葉舞は会釈をした。


「死者が減っているんだ。治療の成果が出てるんだよ。ありがとう」


 雲花は小月の手を強く握った。わざわざ礼を言いにきてくれたようだ。


「こちらこそお礼を言わなきゃ。みんなの力だわ。でも、まだこれからが肝心よ」


「夏が勝負だな」葉舞が腕を組んだ。あと一月もせず夏になる。


「火葬用の油は足りてる?」


「油は大丈夫。蚊遣りために枯草や松葉を一緒に燃やしてるから火の回りは悪くないわ。だから殆ど使ってないの。いい油だから調理に使ったほうがいいかもね。灯りに使うならこっちに持ってくるけど」


 雲花が葉舞に目配せすると、葉舞は頷いて踵を返そうとする。


「ちょっと待って、油……」


「先生?」


「油……そうよ、油だわ!」


 はしゃぐ小月を、雲花と葉舞はぽかんと見つめていた。




 診療所にある大きな水瓶の側面を指さして、小月は葉舞に訊ねた。


「真ん中よりやや下に、穴を開けることはできる?」


「陶器だよ。割れちゃうでしょ」雲花が眉をしかめる。


 葉舞は慎重に言葉を紡いだ。「出来ないことは……ない。からにして表面に紙を貼る。水か泥で濡らした紙がいいな、ぴったりと貼りつくから。衝撃を弱めるために柔らかい土の上に倒して、錐を使う。軸に筋の入った錐があるんだ。それなら、開くと思う」


「あんた木工職人なのに、陶器まで扱えるわけ? 紙を貼る意味は?」雲花が問う。


「念のため。ひびが入る可能性がある。ばらばらに飛び散らなければ、あとで粘土で修復もできる。だが、先生、穴を開けてどうする。水が漏れてしまうぞ」 


 葉舞と雲花が小月に目を向けた。


「そう、穴から水を出すの。水の継ぎ足しは上から、使うときは穴から。穴に詰め物をして使いたいときに詰め物を外すの。どうかしら」


「どうかしらって言われても」


「上は蓋をしておくということか」葉舞は得心がいったという顔で頷いた。「……なるほど、それで、油か」


「透けるほどに薄い布があればそれでもいいのだけど、手に入らない。ならば他の蓋を探すしかないでしょう」


 雲花が首を傾げている。


「友人に陶器の修理屋と竹細工職人がいる。まだ生きているか様子を見てくる」


 そう言った葉舞は、まもなく、二人の職人を引きつれて戻ってきた。それからわずか半刻後には試作品が完成していた。

 陶器修理人が待機し、葉舞が穴を開け、竹細工職人が穴に竹の筒を取付けた。竹の筒は端を割り、火で炙って反りかえっている。陶器の中から差し込むと、反った部分が引っかかって外れない。陶器修理屋が粘土で隙間を埋めた。木工職人の葉舞は小刀で栓を削り出した。


「まあ、俺達にかかれば朝飯前さ。よし、水を入れてみよう」


 水を入れたあと、油を入れた。水と油は分離する。水面は油でつやつやしている。漏れがないことを確認してから、栓を取る。


「おお」


 水が勢いよく飛び出して、見ている全員が歓声をあげた。


「栓をして、水を継ぎ足してみよう」


 継ぎ足した水が油を巻き込む。分断された油が玉になって踊る。だがすぐに浮き上がり、玉が消え、元通りの滑らかな表面に戻る。


「成功だな」


「成功ね。水換えしにくい大きな瓶から、この方式に換えましょう。葉舞さん、お願いできますか」


「わかった、まかせてくれ。筒になりそうな竹はまだあるだろ」葉舞は竹細工職人に向かって顎をしゃくる。


「心配無用。腐るほどあるさ」


「油がもっと必要ね」


 診療所には水を満たした大瓶は他に三つある。二徹の厨にはもっとあったはずだ。 

 やはり隊長に頼んでもう一度油をもらえないかしら。

 小月は診療所を出て封鎖柵の方角へ走った。


「何をするんだ!」


 小月の鼓膜に、李医師の切迫した声が刺さった。


「手を放せ!」


 声のした方を見ると、木柵の一部が解放されている。そこから衛士が何人も入ってきて、李医師を後ろ手に縛りあげていた。


「何をしているんですか!?」


 割って入ろうとした小月の前を大柄な衛士が塞いだ。塞ぐだけでなく、小月の手首を掴んで李医師から遠ざける。


「李高有は罪人です」


 小月は邪魔者の顔を見た。その男はただの衛士ではなかった。禁軍の副総統、張包。


「どうして……」


「明小月医師と名乗っているそうですね。まったく貴女という人は。陛下が宮廷でお待ちです。言い訳を考えておきなさい」


「李医師が犯した犯罪とは、なんですか?」


 小月は努めて冷静に問うた。


「宮女の誘拐です」


 張包の双眸はいつにもまして翳りを帯びている。

 その宮女が誰をさしているのか、小月は思い至るや、頬を張られたような衝撃に眩んだ。

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