第46話 後宮に戻る

「宮女の誘拐は死罪。宮女と計りあって駆け落ちした場合は、男女ともに死罪」


 黄太監はうっすらと笑みを浮かべて小月に告げた。小月の身柄は今、平寧宮にあった。


「なので余計なことはおっしゃいますな。口を慎みなさい。目を瞑りなさい。それが賢明です」


 小月はだんと足踏みをした。黄太監がびくりと身を竦ませる。


「馬鹿でけっこうです!」


 あまりの理不尽さに胸が詰まり、言葉の代わりに暴力が噴き出しそうだった。黄太監を睨みつけたが、それではおさまらず、噛みしめた奥歯がぎりぎりと鳴る。


「お鎮まりください。陛下のためにも」


「李医師に対して失礼よ。彼は今どこにいるの」


「牢の中です。ああ、懐かしくも思い出したくない石の冷たさよ」


 黄太監はぶると体を震わせた。


「真相を陛下に直接お話しします」


「愚かなことです。小月様の名誉が傷つきます」


「名誉?」


「男と計って後宮を抜け出したなどと。仮初めにも皇后候補であった身で。これ以上の不名誉はありません。陛下を裏切ったのですから」


 秀英を裏切った、と言われて、刹那、息がとまった。黙って抜け出したことは、たしかに小月の我が儘である。おのれの我が儘で愛する人を傷つけるなど、あってはならないことだ。


「……許可もないのに勝手に抜け出したことは悪かったけど、でも私はもう陛下とは結ばれないのだし、そもそも宮女ではないのよ。陛下に弁明する機会をください」


「抜け道を探すよりも誠心誠意謝罪をなさい。真相など、ここ後宮では意味がありませんよ」


「そうします」


 小月は殊勝に頷いた。まずは謝罪をしなければ。

 黄太監の言うとおり、後宮では真実は意味をなさない。李医師一人に罪を被せるのは、それがもっともおさまりのいい落としどころだからなのだろう。後宮の秩序を乱すことは許されない。皇帝の権威に逆らうことは許されない。


「陛下に心より詫びたいと思うのなら、一刻ののちにお目通りが叶うでしょう」


 勿体ぶった仕草で黄太監は後退った。手を叩き、安梅、韓桜を呼ぶ。

 場所をわきまえず、走り込んできた二人の女官に顔を顰めつつ、頼むぞ、と一言残して黄太監は踵を返した。


「「小月様!」」


 安梅と韓桜は顔を上気させて明らかに興奮していたが、小月に抱きつく寸前でぴたりと動きをとめた。


「……全身から嗅いだことがない奇妙な匂いがします」


「ああっ! 裙が裂けているではありませんか」


「……そういえば酷い格好ね」


 安梅と韓桜は互いに目配せするや、安梅は風呂の用意を、韓桜は装いの支度を、非の打ち所のない手際で段取った。

 裸に剥かれて湯に浸けられ、畑から抜いたばかりの根菜のようにごしごしと洗われる。


「あ、ありがとう」


 職業的熱心さで能力を奮ってくれる二人に、小月は感謝せずにはいられなかった。もう彼女たちの出世に貢献することができない、役立たずの小月なのだから。


「私達に聞きたいことはございますか、小月様」


「胡貴妃と藩貴妃のご様子はどうなの」


「胡貴妃は相変わらず書画に励んでおられます。藩貴妃はすっかり元通りです。昨日も今日もここ平寧宮に来て、私達に嫌味を言ってきました」


「私がいないのに、わざわざ?」


「陛下に相手にされていないので暇なんですよ。小月様の消息を隠しているんだろう、侍女が知らないとは思えない、と執拗に責め立てられています」


「……それは本当に心からごめんなさい」


「でも、蚊がいなくなったと喜んでいましたよ。蘇った玉の肌を陛下にお見せしたいとも」


「藩貴妃の肌は艶々して美しいもの、その気持ちはよくわかるわ。良かったわ、藩貴妃が元気になって」


「私には小月様のお気持ちがわかりません!」安梅が声を荒げる。「だって恋敵ですよ、藩貴妃様は。陛下の寵を競っていた相手ではないですか。悔しいと思われないのですか」


「でも私はもう陛下とは……。藩貴妃が陛下を恋い慕っていることは知っているし……」


「そういうことではありません。小月様は悔しくないのですか。陛下をお慕いしているのは小月様だって同じではありませんか」


 そう指摘されて頬が熱くなった。


 韓桜が畳みかける。「そうですよ。私達と入牢していた時には、あれほどあがいてみせると鼻息が荒かったのに。あら、失礼しました。表現が下品でしたわ。でも小月様は簡単に諦めてしまう方ではございませんでしょう」


「そうそう。陛下を慕う気持ちまで蓋をすることは出来ませんよ。藩貴妃のあけすけな言い様に苛立たないのが不思議でなりません」


「……」


「さあ、鏡の前にお座りになってください。今、御髪を整えます」


 韓桜に髪を梳かれながら、小月は混乱していた。

 秀英への想いは変わっていないのに、藩貴妃に嫉妬する気持ちは微塵も湧いてこなかった。彼女を軽んじているつもりはない。素直に表現できる藩貴妃を賞賛したいし、秀英も応えるべきだと思っている。


「私はおかしいのかしら……?」

 

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