第55話 小月仙女

「二台目三台目もまもなく来るの」鈴鈴は小声で小月に囁く。「そっちには父さんと母さんが乗ってるのよ」


「父さんと母さんが……?」


「私が呼びよせた」


 秀英が微笑み、鈴鈴が嬉しそうに手を打った。


「皇都を気に入ったらそのまま住んでもいいんですって。私、どうしようかなあ」


 浮かれている妹を横目に、「除虫草は平等に配布します」と、小月は事務的に返答をした。栄の町が毎年苦しんでいるように、根絶が難しい病だ。来年の流行に備えて今のうちに出来る限りの手配を取らせてほしいと小月は懇願した。


 そのかいあって、後宮の一部に除虫草専用の畑を作り、全宝に担当させる許可を得た。余った分は皇都各所に植え、勝手な伐採と販売を禁止した。


 話に飽いたのか、鈴鈴が小首を傾げて秀英に問う。


「なんの話か難しくてよくわからないけど、ねえ、秀英兄はいつお姉ちゃんと夫婦になるの?」


「小月がうんと言ってくれた時かなあ」


 秀英がおどけて言うと、鈴鈴が目を丸くした。


「もしお姉ちゃんがお嫁に行かないのなら、代わりに私が結婚してあげてもいいわ。だって秀英兄のこと、私、大好きだもの」


「鈴鈴、いいかげんに──」


「はは。かまわん。鈴鈴は後宮で暮らしたいのか」


「もちろん。だって綺麗な服を着れて美味しい物を食べれて秀英兄と暮らせるんでしょ。故郷の泥臭い生活に比べたら桃源郷じゃない」


「うんうん、そう思うだろう、だけど小月は窮屈な暮らしはしたくないみたいなんだ」


「お姉ちゃんは考えすぎなのよ。私は損するのは嫌い」



 鈴鈴は小月と一緒に平寧宮で寝泊りすることになった。安梅と韓桜は大歓迎だ。無邪気な田舎娘を人形のように着飾らせるのが嬉しいのだろう。鈴鈴も大喜びである。



 それから三日経つころには発症者は目に見えて減っていった。効果が出たことで自主的に対策に取り組む人々が増えた。

 幸いにも、宮廷医の手厚い看護のおかげで、李医師は全快した。体力が戻り次第、小月を手伝うことになった。


 ようやく皇都に到着した両親は、宮廷での娘たちの暮らしぶりを知って仰天した。賓客として宮廷に滞在するようにと秀英の申し出には首がもげそうなほど激しく振って、辞退した。


「贅沢が身につくとロクなことがありません」


「近所の人たちに畑をまかせてきたので、長くは居られません」


 せめて皇都の有り様だけでも見て帰れば、一生分の土産話には事欠かないだろう。小月は巡回の合間に両親を目抜き通りの料理屋に連れていった。俸禄が出た嬉しさもあって、店は二徹が働く餃子屋に決めていた。


「明小月じゃないか!?」


「二徹さんの餃子食べてみたかったのよ。よかったわ、元気そうですね」


 二徹が奥の席を案内すると、店内がざわざわとざわめきだした。


「?」


「はい、お待ちー」


 頼むまでもなく二徹の娘、通称餃子娘が、大皿に乗った餃子と青菜炒めを卓に並べた。


「おお、こりゃ美味そうだ」


「封鎖区域の中では二徹さんの料理だけが心の支えだったの。雑草だって美味しくしちゃうんだもの、すごい腕前よ」


「そうだそうだ。二徹は皇都一の料理人だ。餃子だけじゃない、何作っても美味いんだぜ」


 客の男が二徹に賛辞を贈ると、両親が舌鼓の合いの手を打った。


「あんたら明小月医師のご両親かい。そりゃ、すげえ」


 幾人かの客が両親を囲んで酒をおごりだした。


「医師だって?」


「明小月医師は皇都を救ってくれた恩人だ。ほら、見てくれ」


 別の男が懐から畳んだ紙を出して広げて見せた。そこには明小月の文字と、小月とは似ても似つかない美女の絵が描かれていた。


「なんだ?」


「小月仙女さ。路地で売られていたんだ」


 私も買ったよ、と餃子女が声を張り上げて厨房の壁を指さした。二徹の肩越しに皇帝と仙女の絵が並んで貼られている。


「嘘でしょ。だって、私と全然似てない」


「関係ないよ」次々と料理を運びながら、餃子娘は快活の笑う。「皇帝だって絵になってるだろ。本物のご尊顔は私らは見たことないから、似てるどうかわからない。でも飾るんだったら美男美女がいいからねえ」


 秀英は絵の通り美男だけど、この小月仙女は美人すぎる。


「明小月は実は月から舞い降りた仙女って噂だよ。南街区の連中、つまり私らが吹聴してるせいもあるけどな」


 小月は両親の顔を見た。自分の娘がいつのまにか医師になり、仙女にされていることに驚いて口をぽかんと開けている。


「なぜ、仙女の手には漏斗が握られているんだい」


 と母親が訊ねたので、


「そんなことより、これ、美味しいから食べて」


 食事時にふさわしからぬ話題に転じないように小月はしきりに料理を勧めた。


「あ、そうだ。野菜と豚肉のあんかけ、あるかしら。田舎では片栗粉を使った料理が少ないから、食べさせてあげたいの」


「ごめんね。うちは片栗粉使った料理ないんだよ」


 餃子女がすまなそうに言う。宮廷料理のように温かさを保つ目的では片栗粉を使っていないらしい。客の回転率が悪くなるからだという。


「なるほど。猫舌にはつらいものね。……うん?」


 小月は首を捻った。二徹の自宅には片栗粉がたくさんあった。何故だろう。


「もしかしたら……」


 小月は餃子女を呼んで耳元に囁いた。


 餃子女は目を瞠ると、「これで一生、餃子食べ放題よ」とにっこりと笑った。


 胡貴妃が描いていた餃子女の見世物。その見世物には仕掛けがあり、仕掛けを見破れば餃子食べ放題にしてあげる、と言われていたが、本物を見る前に仕掛けを解くのは無作法だったかもしれない。


 あんかけのとろみがいつまでも温かいのは、ただの水に比べて、熱が伝わりにくいせいだ。熱した剣をあんかけにつけても瞬時に沸騰するのは剣の周囲だけ。餃子を茹でることで、何の変哲もない湯であると証明し、隙を見て、片栗粉を投入する。水溶き片栗粉を包んだ餃子なのかも。観客の安全のためといってある程度距離を取っていたことも誤認を促したと考えられる。小月はそう囁いたのである。



 午後に予定されていた流行り病対策会議は、発症者が激減していることから楽な気持ちで臨める。その考えがいかに甘いものだったか、小月は思い知らされることになった。

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