第6話 瓜をどうぞ
「俺は李高有。自由気ままな流浪の医者だ」
李と名乗った医師は顔色一つ変えない。肝が据わっているようだ。
「小月様に近づく者は、殺す!」
「馬鹿なこと言ってないで、張包さん。ちょっと水汲んでくるから待ってて」
「馬鹿……?」
小月は張包を押して外に出た。李医師の言っていた市場の中心に向かう。
「あ、小月様、それなら私が行きます!」張包はかけていく小月の後を追った。
「大丈夫。逃げないから」
ほんの冗談のつもりだった。だが張包はまじめな顔で言う。「逃げないでいただけると助かります。小月様を宮廷にお連れできなかったら、私の首が飛びます」
井戸につくと懐からお椀を出した。私物の銅椀だ。
汲んだ水は透き通っていた。
「よかった。きれい……あれ?」椀のふちで小さくうごめくものがある。
「ボウフラでしょう。指でつまんで出せば大丈夫です」張包は太い指で器用に摘まみだした。
「飲ませて大丈夫かな」
「むしろ安全ではないでしょうか。毒物や有害物が入っていたならば虫も死ぬでしょう」
「そうか、そうかも」小月はふと村の井戸を思い出した。「あれ、おかしいな。私の村の井戸にはボウフラなんていなかったのよ。豪雨のあとの水たまりにはいたけど」
「たまたまではないでしょうか。水のあるところ、自然とわいてきますし。成虫になっても嫌われものですがね。うっとおしいし痒いし」
「私は蚊に避けられてるのよ。ほとんど刺された記憶がないの」
「羨ましいですな」
小月はこぼさないようにそっと椀をもって出来るだけ急いで戻った。女性は美味しそうに喉を鳴らして水を飲んだ。脱水になりかけていたようだ。
「ありがとう……ございました……」
「井戸水は問題ないようだな」李医師は首をひねった。女性に問う。「食欲はありますか?」
「少し、だけなら……」
「あ、さっきはごめんなさい。私のせいで」
彼女がつみれ汁を路傍の土に恵むことになったのは、ぼうっと立っていた小月にも責任の一端はある。そう思った小月は張包に向き直った。
「張包さん、この女性に瓜を差し上げてください」
「……はい、小月様のご要望ならば……」張包は懐から瓜をひとつ出して寝台に置いた。
「えー? せめて食べやすいように切ってあげてくださいよ」
「……はい、小月様のご要望ならば……」
さっき李医師に向けていた長剣を引き抜いて、瓜を六つに割って適当な盆に載せた。女性は礼を言うと、幼子と一緒に嬉しそうに瓜に歯を立てた。
「最近は皇都の一部にもこの病が伝わっているらしいですね。何かご存じですか?」李医師は張包に問いかけた。
「さあ。私は市井の状況に詳しくはないので。危険な伝染病なのか?」
「流行る年は一気に拡がる。そうなると厄介だ。なにしろ原因は不明」
「ならば、すぐに退出するとしましょう、さあ、小月様」
「え、でも」
「そちらの横柄な武官さんの言うとおりですよ。医者の俺がついています。貴女たちがいても役には立ちません。もう行きなさい」
張包はぎろりと李医師をにらんだが、李は気に留めるようすはない。飄々としている。
出発の時間はとうに過ぎている、という張包に追い立てられるようにして宿屋に戻ると、新しい衣服が差し出された。薄紅色の光沢が美しい。未知の手触りだ。つるっとしていて柔らかい。
「背中が汚れているのでお召し替えを」
つみれ汁をかぶったので、たしかにネギの香ばしい匂いがする。
「でもこんなにいい服である必要はないわよ」
「宮城に着きましたら着替えていただく規定ですが、それまでのつなぎの服になります」
「驚いた。これでつなぎの服だというの」
小月は初めて絹をまとった。さらりとした肌ざわり、鮮やかな染色、羽のような軽さ。なんて心地よいのだろう。
馬車の馬はすべて新しくなっていた。大きくて元気な馬だ。
皇都までまっすぐの道のりが続いた。道は広く、土を叩いて固められているため馬車の歩みは滑らかだった。布越しの窓から見えるのは整備された田畑と住居。往来する人や荷車の多さを眺めていると、それを遮るように、真横に張包の馬が並走する。
「小月様、忠告をひとつ。宮城に入るまでは二度と下層民に触れないように」
「下層民……?」
「病がうつります」
「原因不明の風土病だと言っていたわ」
「特定の地域にとどまれば風土病ですませられますが、いえ、もともとは風土病だったのでしょう。徐々に周囲に広まっています」
「……李医師が、皇都の一部でも……と言っていたわね」
「さきほどは知らないふりをしましたが噂話は聞いております。おもに下層民が感染しているようです」
私も、あなたが顔をしかめる下層民だけど。そう思ったが口にするのはやめた。
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