第5話 風土病
「わあ」
小月は思わず声をあげていた。扱っている種類が豊富だったからだ。とくに果物はひときわ魅力的だった。山竹と油桃、草苺、茘枝、瓜。どれも新鮮だ。
「皇都に近いので東西南北の品物が集まります。……なにか、買い求めましょうか」
「あ、では、瓜をいくつか。あとでみんなでいただきましょうよ」
瓜は水分が豊富なので、道中の喉の渇きも癒やせる。
「はい、買ってまいりますので、こちらで少しお待ちください」
張包は小月を往来の少ない路地側に誘って、小さく笑んだ。小月も笑顔を返した。張包の態度は旅の終わりが見えたころになってようやく柔らかくなった気がする。人見知りなのかもしれない。彼は店主と交渉を始めた。まるで喧嘩のようなやり取りだが、これが常道なのだろう。
驚いたのは物の豊かさだけではなかった。人の多さ、華やかさ、人々が来ている衣服の鮮やかさ。屋台で働いている同じ年頃の女の子でさえ、結いあげ髪に木製の簪を挿している。
一方小月は長く伸ばした髪を後ろでひとまとめにして紐で縛っているだけだ。着ているのはくすみ色の麻の衣服。汚れてはいなかったが、なんとなく気になって手で埃を払った。
「……きゃ」
ドン、と何かが小月の背にぶつかり、陶器の割れる音がした。小月の背にじわ、と熱が拡がる。振り返ると路地の角に女性が倒れていた。路地と小月の間をすり抜けようとして接触したようだ。小月は女性のそばにかがんで声をかけた。
「大丈夫ですか」
「……ええ、少しふらついただけ」
「あなた、熱があるんじゃない? 身体が熱いけど……?」
小月は手を貸して、女性の身体を起こした。
「私につかまって。ふらふらじゃないの。家は近いの?」
「すぐ、そこの角。でも、平気です。慣れているので……」
女性は小月より年上で背も高かったが、体重はほとんど感じないほど軽かった。
「私の肩に手をかけて。そう、ゆっくり……」
一歩、二歩進んだところで、後ろから呼びかけられた。
「病人かい。俺が診てやろうか」
二十代後半の青年だった。涼やかなで知性的な目をしている。
小月が返事をしないでいると、
「安心しろ。俺は医者だ。家はこの先か?」
「あ、だと思います。そこの角だとか」
「……知り合いではないのか?」
「通りすがりです」
「ふうん」
医者と名乗る青年はひょいと女性を抱えると、開けたままの扉をくぐった。小月もついていった。部屋の隅に幼児がうずくまっている。見知らぬ人間の乱入に声を上げて泣き出したが、中に母親の姿を見つけて走り寄る。
「ごめんね。お母さんの具合が悪いみたいなの」
粗末な寝台に横たえると、医者はすぐに女性の脈を取った。
「……弱いな。熱もある」
「風邪でしょうか?」
「風土病だろう。悪性の風邪に似ているんだ。おい、あんた、前にも同じ症状になったことがあるだろう」
訊ねられた女性は額に汗の球を浮かべて、小さく頷く。子供が腹部に抱きついて、女性の顔を心配そうに見上げる。
「風土病……?」
「突然高熱が出るんだ。きっと明日には下がる。だがまたすぐに熱が出て、また下がる。そんな症状を繰り返して七日から十日経つと落ち着くんだ。この町には、初夏から秋にかけて、この病にかかる者が多い。毎年のことだ。珍しい病ではない」
「助かるんですか、ああ、よかった」
小月はほっと胸をなでおろした。
「まだわからん。体力のない者は衰弱して死ぬ。彼女のように栄養状態が悪いともたないかもしれん」
「何か食べるもの……」
小月は家の中を探したが、水瓶と干大根の欠片しか見つけられなかった。
「水……水が飲みたい……」女性はか細い声で懇願した。
「水ね、わかった」水瓶から椀で直接掬う。椀の水を女性の口元にあてがってから気づいた。水は濁っていた。
「こんな汚れた水を飲んでいたら病気にもなるわ」
「そうだな。風土病の原因は水かもしれない。市場の中心に共同井戸があるはずだが」
「行ってみる」
小月が立ち上がると同時に、金属の摩擦音がした。剣を抜く音だ。
「貴様は誰だ」
怜悧な誰何。張包の声だ。刀の切っ先を医師に向けて、戸口を塞いでいる。
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