最終話です

蓼山の神は微笑を浮かべながら、俺の話を聞いている。


蓼山の神への信頼の気持ちは強いが、不安が大きくなってきた。

俺の記憶にはない、何かの物語が口から紡ぎ出されるのだ。

あとから記憶がかたどられているのか、それともそこからあった記憶が形を取り戻しているのか。

分からない。


蓼山の神はすべてを知っている。

だが、今までそうしてきたように、俺は信じて蓼山の神の言う通りにするのみだと思い、話を続けることにした。


………

……


あの日の雑木林は、とにかく暗かった。

その時間は昼下がりであったはずなのに。

狐火に照らされているはずのひらりさんの表情も読み取れない。


読み取れない。

なぜ?

ひらりさんの表情だけが、光が吸い取られているように暗い。


ひらりさんの頭上の狐火が大きく燃え広がり、人型に収束した。

狐の面をかぶった青年になった。

狐面からはみだした肌のつや、さらさらな髪の毛が青年を連想させた。


「久方ぶりじゃな、狐」

蓼山の神は、そう話しかける。

「解放してあげてくれないか? その娘を」


沈黙が流れた。

狐と呼ばれた山の神は、ひらりさんしか見えていなかったのだろう。

初めて蓼山の神と俺に視線を向けた。


そして、俺の視界から消えた。


隣から音がしたので見ると、蓼山の神の首が飛んでいた。

血の気が引いた。


ぽとりと生首が落ちた。


「ずいぶんな挨拶じゃな」

蓼山の神の生首がしゃべった。


「お前だったか。俺の婚約者を隠したのは」

狐と呼ばれた男から、黒の炎が立ち上がった。

背筋がぞわっとした。

足が震えて、思わず地面にひざと手をついた。


雑木林が黒に隠れていく。


あの夢の暗闇だ、と気づいた。

赤い鳥居が上から降ってきて、俺らを取り囲んだ。


「もう逃がさない」

狐は強くそう言った。


「残念じゃ。ここまで人に狂ってしまったか」

蓼山の神は悲しそうにそう言った。

「残念じゃ」

繰り返した。

「お前を殺さねばならぬ」


蓼山の神の首も、体も消えた。

消えたというよりも、狐の神の暗闇に溶け込んだ。


「俺を殺す?」

狐がきょとんとした声で言う。

「誰が殺すのか。貴女が殺せるのか? 俺を。虫の貴女が」


狐面に血管が浮き上がる。

そのまま面が顔に張り付くように、白い狐獣こじゅうの顔になった。

手に白毛が生え、爪が伸びた。

爪で胸をかきむしり、服が裂けた。

体がふくらみ、尾が3つになった。


「まあ、たしかに。神力としてはお前が上じゃからな」

黒い沼のような地面に、水たまりができた。

そこから、蓼山の神が現れた。

言葉とは裏腹に、とても落ち着いているように感じた。

「やり方はいろいろある」


蓼山の神の周りから、早送り映像のように、地面から草が芽吹き、高く育っていく。

「悲しいぞ」

蓼山の神の目から、涙が零れ落ちた。

「ここまで、この山の生命をないがしろにして。ここまで、神の本分を忘れてしまったのか」


地面が、光に満ちた草原が侵食してされていく。

狐の足元に届いた。

ツタや樹木が伸び、狐の足を絡めるように育っていく。


「こんなものがなんになる」

狐は一瞬で樹木を断ち切る。

でもすぐ生えてくる。

切っても切っても生えてくる。


「そうか。元を絶たねばならぬか」

狐が消えた。


急いで視線を蓼山の神に向ける。

蓼山の神はバラバラになっていた。

狐はさらに細かく刻んでいく。

しつこく、しつこく。


終わりかと思った。

こんなにも、強いだなんて。

こんなにも、どうにもならないことだったなんて。


「次はお前か?」


狐からその言葉が聞こえたと思ったら、目の前が暗くなった。

獣の喉が見えた。

獣の口臭を感じて、次は俺が殺されるんだとすぐに察せたが動けなかった。


食われて俺は死ぬんだ。


思わず目をつむった。


死んでも構わないと思ってここにきた。

でもこんな死は予想してなかった。

何もできてない。

ただ突っ立ってるだけだった。


一矢どころか構えることすらもできていない。

こんなにあっけないものかと思った。

こんな結果を見せるために、ここに来たんじゃない。

ひらりさんを救うためにきたのに。


たくさんの思いが逡巡しゅんじゅんした。

めりめりと何かを食い破る音が聞こえた。

ひたひたと這いつくばる音が聞こえた。


けれど、なぜかなんの痛みもなかった。

死とはこういうものかと思った。

むしろ、一瞬にして自分は死んだんだろうと思った。


けれど、痛みは感じないくせに、臭いだけはずっと感じる。


目を開けた。

すると、変わらず獣の喉があった。

そこから大きなムカデが顔を出しているのが見えた。


「ひっ」

思わず後ろに倒れこんだ。


狐の全体像が見えた。

狐は、蓼山の神の破片に覆われていた。

よく見ると、それは破片ではなく、虫だった。

狐は虫に覆われていた。

黒、黄、赤、緑、様々な虫にたかられていた。


現状を飲み込めず、狐が苦しそうに体をくねらせているのを見た。

口から這い出たムカデは耳の穴に入ろうとする。

狐の血管から蛆がわく。

眼球を押しぬけて、カタツムリが這う。


あまりのおぞましさに、体が動かなかった。


「覚悟は決まったのではなかったか?」

耳元で蓼山の神の声が聞こえた。

「この程度で揺らいでいてもらっては困る」


揺らがない。

そう約束したのを思い出した。


「今、何が起きているんですか?」

「見ての通り、狐の動きを封じている」

これで、動きを封じているだけなのか。


「この程度で狐は滅びん。お前の力が必要じゃ」

「俺の?」

今の俺に、何ができるとは思えない。


「揺らがなければ、それでいい。すぐに覚悟を決めろ」

つばを飲み込み、うなづいた。

今までさんざん揺らいできてしまった自分を恥じた。

俺は、ひらりさんを救いに来たのだ。


「それで良い」


俺に向けて手を差し出した。

その手には、大きく波打つ心臓が載せられていた。


「これを取り込め」


どくんと、心臓が高鳴った。


これを取り込むとどうなるのか、聞きたくなったが抑えた。


「それでひらりさんが救えるんですね」


「そこに間違いはない」


「わかりました」


聞いたら、きっと臆する。

ひらりさんを救うこと以外は、すべてよけいなことだ。


「良い覚悟じゃ」


俺の心臓に、狐の心臓が押し込まれた。


………

……


「すべて思い出しました」

知らず、涙があふれた。

「俺は、ただの入れ物だったんですね。あの狐の神様の」


「今までご苦労じゃった」

淡々と蓼山の神は答えた。

「お前はお前の役割をまっとうした」


「ひらりさんは、助かったんですね」

それだけを俺は願った。

それだけを。


「普通の人間に戻って、家庭を築き、今は2人目の子を身ごもっておる」

蓼山の神にしては、分かりやすく丁寧に説明してくれている。

俺を安心させようとしてくれているのを感じた。


「そうですか」

寂しさを感じた。

自分が望んだことなのに。

「それなら良かった」


普通の人間になったひらりさんの、傍にいたかったな。

そういう思いは止められなかった。


「俺はどうなります?」

話題を変えるようにそう聞いた。

ひらりさんを救ったということに、これ以上俺の思いで汚したくなかった。


「望みが叶うぞ」


「望みがかなう? 誰の?」


「お前じゃ。お前が聞いたんじゃろうが」


「ああ、そうか。ひらりさんを助けるという望みは、これで無事に完結ですね」

やはり、蓼山の神の説明は分かりにくい。


「いや、あの娘のそばにいたいという望みじゃ」


「え?」


ふっと体が軽くなった。

手を見ると、金色に光っていた。

手だけじゃない。

前身が、金色の光に包まれていた。


「入れ物としての役割を終え、お前は名実ともに神になる」


「俺は死ぬんじゃ……?」

そう聞いていた。


「お前はもう死んでいるじゃろう。人間としては」

蓼山の神は笑った。


「狐はお前から消えた。心置きなく、ひらりを見守ってやれ。あいつはきっと毎日会いに来る。そういうやつじゃ」


言葉にならない。

震えた。

こんなにも嬉しい。


「励めよ」

蓼山の神はそう言って笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神様転生したけど、異世界じゃなくて日本だし、俺tueeeとか虚しいだけだし、崇め奉ってくれるのは近所のおばあちゃん 脇役C @wakic

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ