第九話 お狐様です

 姿、形はヨネさんだが、思念体だ。

 魂はそこにはない。

 そこに残った強い思いが、建物に染みついているだけだ。


 俺がやっていることは、テレビに話しかけているようなもの。

 テレビに話しかけたところで、返事が返ってくるわけがない。


「伏山の神様」


 ヨネさん思念体が、もう一度俺の名前を呼んだ。

 やはり、他の思念体とは違う。

 テレビの中のヨネさんが返事をした。


 そうすると、景色が変わった。

 

 白に塗られたコンクリートが、暖かで無骨な木の板に。

 赤くモダンなカーペットが敷かれた床が、力強く青々しい畳に。

 温泉の景色を映す大きいガラスが、どこにでもあるような、障子と窓に変わった。


 今、廃墟になっているバブル期の名残ではなく、本当の温泉郷であったころの風格を感じさせる。


 これは、思念体が見せている幻影か。

 なんと強い思いなのだろう。

 

 これは、ヨネさんの人並み外れた神通力によるものなのか。

 そこらへんに飛び回っている思念体とは格の違いを感じる。


 ともかく、いつの間にか俺はヨネさんの夢に引き込まれていたのだ。

 テレビの中に、俺はいる。


「神さん、お父さん、お母さんを助けてほしいっぺ」


 景色が黒く染まった。

 サイレンの音が聞こえる。

 火の粉が闇に浮かぶ。

 炎の熱が伝わってくる。

 見上げると、黒い物体が空を横切っている。

 黒い物体は、小さい黒い物体と、火の雨を降らす。


 夢の景色は、ヨネさん思念体の波で変わる。


 これも、ヨネさんが見ていた景色。

空襲か。


 ヨネさんは現在85歳。

 見た目的に7歳くらい。

 第二次世界大戦の真っ只中だ。


 疎開先に、温泉施設が使われたと聞いたことがある。

 ここも疎開地だったのだろう。


「お父さんとお母さんは無事だよ」

 そう答えた。


 お父さんとお母さんは、もうこの世にはいないだろう。

 あの世かもしれないし、転生しているかもしれない。


 神からしたら、どちらも魂の形態だ。

 魂が崩壊しない限り、無事であると言える。


「本当だべか?」

 泣きはらした顔をあげる。


「本当さ」


 いや、詭弁だな。

 思念体であっても、ヨネさんを悲しませたくないと思っている。


「泣かないで。元気出して。戦争はいずれ終わって、幸せな人生が待っている」


 手を差し出す。


「神さんが言うなら間違いねえな」

 ヨネさん思念体が笑う。

 ヨネさんが俺の手を触れる。


 急激に、思いが流れ込んできた。


 川辺に、小学校低学年~高学年くらいの4人の幼い子と、一人の若い女性が毬遊びをして遊んでいる。

 それを土手に座る青年が、タバコをふかしながら眺めている。

雨は降っていないが、雲は灰色で重たげだ。

 黄色いタンポポも重たげに揺れている。


子どもたちの中で、一番小さい女の子がヨネさんだと気づいた。


 「そろそろ帰んべ。雨が降りそうだから」


 この人は、ヨネさんのお母さんなのだろう。


「やんだ。まだ一緒にいたい」

 ヨネさんがお母さんに向かって言う。

 周りの子どもたちは何も言わず、寂しそうな顔でうなだれた。


「またすんぐ、一緒に遊べるようになるべさ」

 お母さんはそう答えた。


「母ちゃんに迷惑言うな。俺たちがしっかりしないと、父ちゃんと母ちゃんが心配するだろ」

 一番背が高い男の子が、ヨネさんに言う。

 ヨネさんが泣きだした。


 これは、疎開前の映像か。


 シーンが変わる。

 

 また川辺だ。

しかし、その在り様は変わり過ぎている。


黒焦げだ。

地面も、川も。


 そこに、ヨネさんが立ち尽くしている。


川沿いに立っていた建物がなくなっていて、いくつかの残骸と、やはり焦げた地面だけが続く。


川には、焦げたものが沈んでいる。

沈まずに流れているものがある。

 魂がなくなった人だ。


「お母さん、どこ?」


生き残った白いタンポポが、風にゆられて種を飛ばした。




 映像が切れた。

 また鬼怒川ホテルの廃墟に戻る。


 思念体ヨネさんは泣いている。

 そして消えた。


「お楽しみいただけましたか?」


 目の細い、スーツを着た長身の青年が立っていた。

 この匂いは、


「お狐様」


 この人は、稲荷大明神の使徒、お狐様。

 このお狐様とは、俺が神になったときからかかわりがある。


「人間の世界では、こういうのを趣味が悪いと言うんです」

 感情を込めて言い返してしまった。

 あまりに人を馬鹿にしている。


「まだまだ感情に縛られているようだ。貴方のような人がいると、秩序が乱れる。早々に神の座を降りてくれませんかね」


「それは稲荷大明神の言葉ですか? お狐様の言葉ですか?」


「……私の言葉ですよ」


 お狐様は何十体といらっしゃるが、どのお方も一癖も二癖もある。

なのに、神並みに霊力があるから厄介なんだ。


「お狐様の言葉では聞けませんね。神という立場は、そんな簡単になったり降りたりするようなもんじゃない」

「言うようになりましたね。この私に向かって」


 なぜ俺につっかかってくるんだ。

 暇なのだろうか。

 感情うんぬんの話はそのまま返してもいい気がする。


「やはり人は傲慢だ。人など救う必要はない」


 人への思いが強い神や妖怪はいる。

 良い方向にも、悪い方向にも。

 

 どちらが良いのか悪いのかは分からないが。


「それは俺たちが判断することではないでしょう」


 俺がそう言うと、


「そう言っている間に、今にも大自然は失われている」


 お狐様はそう答えた。

 

 自分たちでは制御できないほどの力を持ち過ぎた人間はどうあるべきなのか。

 神になった今でも、分からないでいる。


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