第十九話 昔話です(玖)

昔の話を振り返りながら、ふと気づいた。


今の今まで、人間であるうちに蓼山たでやまの神と遭遇したことを、まったく憶えていなかった。


「蓼山の神……」


蓼山の神のほうを向いた。


俺の考えを見透かしてか、蓼山の神は微笑した。


「言ったであろう。昔を振り返るには良い時期・・・・じゃと。さあ、昔の話を続けたもれ」


蓼山の神の意図を図りかねながらも、俺はうなづき、話を続けた。




蓼山の神の周囲は、無風だった。

木々の枝葉も、草たちも、揺れずにじっとこちらを見ているような気がした。


「俺が神……?」


そう聞き返した。


なんの冗談だろうと思った。

俺には何の特徴もない普通の人間だ。

いやむしろ、中の下以下だと考えていた。


ひらりさんのほうを見ると、じっと俺を見つめていた。

2人で俺のことをだましているんじゃないかという考えすら浮かんだ。


「冗談などではない。本気で言っておる。心配せずとも、お前にはその資格がある」


そのようなことを言われても、人に誇れるようなことは思いつかない。

人に誇れるようなことをした覚えがない。

信仰心が篤いわけでもない。


「資格がある? 何かの間違いでは?」


「お前は何かを勘違いしている。お前が思う神の資格とはなんだ?」


そう聞かれても、神の資格など考えたことはない。


「見当もつきません」


そう答えた。

それでも自分ではないと思う。


「功徳じゃ」と蓼山の神は答えた。


「功徳?」

聞きなれない言葉だと思った。


「この世のすべての生命は、この世とあの世を行ったり来たりしながら、生きては死ぬを繰り返す」


この話は知っている。

流行っていた転生系のアニメを見たことがある。


「自分の前世がどんな感じだったか、聞いてもいいですか?」


話の腰を折って申し訳ないが、好奇心に負けた。

今後神様に教えてもらえるチャンスはないだろうと思った。


「飼い犬、じゃな。大層かわいがられて一生を終えておる」


「人間じゃなかったんですね」


正直、ノーベル平和賞級の人物だったり、功名な方を想像した。

肩透かし感はいなめないが、それはそれで良い人生だと思った。

むしろ今よりも幸福な人生かもしれない。


「心配するな。何も世界の人間に認められるほどのことをする必要はない。悪行を避け、地道に少しずつ善業を積めば魂は洗練される。その行為を功徳を積むという。お主は神となるにふさわしい功徳を積んでいる」


「そうなんですか……」


前世は犬、今世は平均以下の人間。

どこらへんで善業を積むにあたったのだろうか。


そこはどうでもいい。


「ひらりさんを救えるのなら、神にでも悪魔にでもなります」


そう言うと、ひらりさんは両手で俺の袖をきゅっとつかんだ。


「ダメだよ」


袖を強く握りしめられるのを感じる。


「そんなことを言われたら嬉しくて、また自分の勝手で君を巻き込んじゃいそう」


ひらりさんは、目を合わせず下を向きながらそう言った。


「別に、ひらりさんの勝手じゃないですよ。俺の意思です。山の神様になれるなんて、おもしろそうじゃないですか」


「死ぬんだよ」


「誰もが死にますよ、いずれ」


「そんなの屁理屈」


「じゃあ逆に聞きますけど、俺のために死んでくれますか?」


「や、私はもともと死にたがってたから」


「ちゃんと答えてください。どうなんですか? 俺のために死んでくれるんですか?」


俺の言葉に、ひらりさんは顔をおさえた。

指と指の隙間から、頬が赤くなっているのが見えた。


「死ぬよ」


ひらりさんは短くそう答えた。


「じゃあ、俺も死にますよ。ひらりさんのために」


「バカだね、君は」


「そうでしょうね」


なんだかこのやりとりが嬉しくなって、今にでも死んでいいような気持ちになった。


「決まったか」

そう蓼山の神が聞いた。


「はい」と答えた。


「もう揺らがないな?」


「もう二度と」と答えた。


ひらりさんが大声をあげて泣いた。


「どうしましたか?」


「ごめんなさい。私に、こんな嬉しいことがあるとは思わなくて」


「今までよっぽどつらかったんですね」


「違う」

とひらりさんは言った。

「こんなに好きな人ができるなんて、私は誰よりも幸せだなって、本当に心の底から思えたの」


その言葉で、本当に揺らがないと思った。

自分の人生の中で、これだけ好きになれる人ができて幸せだと思った。


「決まったな」


そう言った蓼山の神の顔が、虫の顔に変わった。

長い触覚が垂れ下がり、大きな複眼が2つ、単眼が3つ、こちらをじっと見つめていた。


あまりの変貌だったが、少しも怖いともおぞましいとも思わなかった。


「今から向こうの神を殺してくる。覚悟はよいな」


「殺してください。お願いします」


そう答えた瞬間、薄暗い藪の中にいた。

ほこり臭く、生乾きの洗濯物の臭いがした。


「おお、待ちわびた」


声が聞こえた。

ひらりさんの頭上に狐火が現れた。

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