第二話 この方がヨネさんです
「やってみます」
地縛霊に、人に化身する決意を伝えた。
俺は神だ。
できる。きっと。
今まで神の自覚はなかったが、これから、俺は新世界の神になる。
ぐらいの覚悟を持つ。たぶん。
念じる。
イメージしやすいのは、前世の自分だ。
………
……
…
足を草がくすぐる。
風が頬をなでる。
「できたのか?」
言葉を発してみる。
言葉が声帯を通る。
手のひらを開いたり閉じたりする。
手を握る感触を感じる。
なにぶん、初めてなので不安だ。
変身が不十分だと、ヨネさんの寿命にダイレクトアタックしそうだ。
小川に姿を写す。
だいじょうぶそうだな?
去年まで人間やってたのに、だいぶ昔のことに感じる。
どちらにせよ、なるようにしかならん。
ダメだったら、そのときに考えよう。
山を駆け下りる。
久しぶりの、地面を二足でつかむ感覚。
重力を感じる。
これは良いな、と思った。
言ってしまえば、ガワだけ取り繕った思念体に過ぎない、この体。
それが、人としての感覚を感じてる。
これは、前世の俺が記憶していたものを感じているだけなのだろうか。
それでも、嬉しい。
生きてた頃に、この感覚をもっと大切にできていたなら、もっと違ったんだろうな。
ヨネさんを見つけた。
今日も祠に供えようと、ビニル袋をぶら下げ歩いている。
この熱いアスファルトの上を。
やはり、魂は美しい色をしている。
だが、弱々しい。
こんな日くらい、家でゆっくりしていればいいのに。
老い先短いんだから。
山の斜面から、アスファルトに降りる。
俺に気づいて、顔を上げる。
「こんにちは」
とりあえず、あいさつをしてみた。
「こんちは」
ヨネさんはにっこり笑ってそう答えた。
優しい笑顔だ。
そして気づいた。
ヨネさんは目が見えていない。
「おばあさん、目が見えないんですか?」
「んだべ。3年前に目の病気をやっちまってな」
「それで山道を?」
「歩き慣れてるから、へーきだ」
神になってから、生き物を魂でしか見ていないから気づかなかった。
白杖を使って歩いている。
こんな山道をずっと、目が見えないまま通い続けていていたのか。
そこまでこの山のことを。
風が吹いた。
草木を揺らす。
今の季節はなかなか涼しい風は運べない。
風を吹かす意図はなかった。
山の気候は思ったより、俺の感情に左右されるらしい。
「いい風が吹いたな」
ヨネさんはほほえんで、そう言った。
「じめっとして、生暖かくて、不快じゃないですか?」
「山の恵みに、そんなクチ聞いちゃいけねえぞ。今の時期に涼しい風ばっかり吹いたら、草木にはつらかんべ」
その通りだと思った。
「あんた、どこの誰だっけね」
「いえ、ただの通りすがりです」
「そうかい。今時めずらしい子だな。今の若い子はあいさつしても返ってこねえのに。話しかけてくれて、あんがとうよ」
おばあさんは祠の前に座り、いつものように菓子を供えて手を合わせた。
「あの」
話しかけた。
まだ感謝の気持ちを言っていない。
「なんだ?」
「俺、この山の神なんです。ヨネさん、あなたにお礼が言いたくて、化けてでました」
このセリフ合ってるか?
化けて出たという表現は正しいのか?
そもそも神とか言って良かったのか?
「そうか、神さんだったんか」
落ち着き払って、そう言った。
「ありがたいことで」
俺に向かって手を合わせる。
「死ぬ前に御山の神さんに会えるとはねえ」
合わせた手は、日焼けして、シワが刻まれ、爪が硬質化している。
一生懸命仕事をしてきた手だ。
その手に額をこすりつけ、丸まった背中を深く深く折り曲げた。
「そんな、かしこまらないでください」
「おれが生きてるのも、神さんのおかげだ。会えるうちに感謝しておかねえと」
ヨネさんの一人称はおれらしい。
こんな半分がゴルフ場になっているような平地だ山だか分からないような小さな山が、なぜこんなに崇拝されているんだろう。
「驚かないんですか? いきなり山の神だなんて言われて」
「まあ、この歳だしなあ。迎えに誰が来ても覚悟はできてるべ。神さんが来てくれるんなら、おれとしては万々歳だ」
さすがに83年も生きてると、肝の据わり方が違うな。
「いやあ、まだ迎えは早いですよ。まだ元気じゃないですか」
「そうかい?」
嘘をついてしまった。
神なのに。
これが本当の嘘も方便なのか。
いや、そんな高尚なものじゃない。
ただの嘘だなこれは。
俺の願いでもある。
「今日はずっとお参りに来てくれたヨネさんに恩返しがしたいんです。まあ、大したことはできませんがね……」
ここまできてなんだが、神の俺がどこまでできるかまるで把握できてない。
神になっても、まるで知能が前世と同レベル。
俺は本当は妖怪とかなのでは……?
「そうだなあ。この歳になっては特にないが。しいて言えば、じいちゃんとあの世で会えたらいいなあ」
「………」
魂の行き先は分からない。
山で亡くなった命は、だいたいが山に還る。
まれに魂が上空に消えたり、暗闇に呑まれたりする。
たまに地縛霊みたいなのが留まり続けることもあるが。
これが俗に言っていた、天国と地獄に行ったんだろうなと思っている。
山に還る命なら預かり知ることができなくもないが、人の命はだいたいがどこかに消えていく。
あれもどこかの神様がしていることなのだろうか。
「ヨネさん。旦那さんって、どこで亡くなったんですか?」
「この山の中だべ」
こんな小さな山の中でも死ぬんだな。
いや、俺もそうだったわ。
……ちょっと待てよ。
山の中で死んだ?
で、俺が神になる前に亡くなっていて、ヨネさんが来るたびに俺に知らせてくれる。
そしてフワフワとこの山に留まっている……。
あの地縛霊って、ヨネさんの旦那さんでは……?
化身の姿を解く。
地縛霊のところへ行く。
「ヨネさんの旦那さんだったんですね?」
そう聞くと、
「そうだ」
と答えた。
地縛霊の魂は、ひどく
なぜ今まで気づかなかったのだろう。
魂だけの存在は、こぼれた水みたいなもの。
形は定まらないし、いずれ地面に染みこむか蒸発して消える。
意思が強い動物、特に人間は魂を保ちやすい。
それでもこの1年異常も保ち続けるには、相当の思いがあったのだろう。
旦那さんのヨネさんへの思いか、ヨネさんの旦那さんへの思いか。
きっと、どちらも。
それも、限界が近いように見える。
俺が、ヨネさんの命が短いことを言ったせいなのか。
もう既に限界だったのか。
「ヨネさんが死後、あなたと一緒にいたいと言っています。成仏しませんか?」
「………」
地縛霊は黙っている。
「俺はいい人間じゃなかった。もちろんいい旦那でもなかったべ。そんな俺がばあさんと同じ所に行くとは思えねえな」
だから、旦那さんはヨネさんのもとを離れたくなかったのか。
そしてそれはヨネさんも同じ。
毎日の参拝は、旦那さんの供養だった。
どちらにせよ、このまま留まり続けることはできないほど、魂はグズグズと形を失っている。
たしかに、この人の言うとおりだと思った。
この魂は天国に行けないだろう。
「最期にヨネさんに会いに行きませんか?」
「……え?」
………
……
…
「ヨネさん」
帰途についていたヨネさんを呼び止める。
「おお、あんた……」
俺はまだ何も言っていないのに、ヨネさんは振り返り、そう言った。
「あんただね」
ヨネさんはそう言って、俺を抱きしめ泣いた。
そう。
ヨネさんの旦那さんを、俺の化身に憑依させている。
「生前は苦労かけたなあ。ごめんな」
俺の口から、旦那さんの言葉が出る。
「ほんとだわ。勝手におっ
ヨネさんの目には涙がこぼれている。
「目、やられちまって、足もやわく(弱く)なってるのに、毎日俺に会いにくるのはこわかろう(疲れるだろう)。もうしばらく家で休めや」
「なあに。これがおれの健康法だ。死人に心配される言われはねえ」
「それもそうだなあ」
旦那さんが笑う。
「見ててくれたんだなあ」
ヨネさんが、小声で言葉をつけたした。
俺の体の中で、旦那さんの魂が崩れていくのを感じる。
けれど、温かい。
「俺は先に行くぞ。あとからゆっくり来たらよかんべ」
たぶん、これが旦那さんの最期の言葉。
「まんず、美味いもん食ってから行くわ」
ヨネさんはそう答えた。
俺の中から光が抜け出た。
空に上がって、ふっと姿を消した。
「え?」
驚いた。
天国に行った魂と同じ消え方をした。
ヨネさんの供養が通じたのか?
それともヨネさんを見守り続けた気持ちが、過去の因縁を浄化したのか?
これも、どちらもか。
ヨネさんは、見えない目で、消えた旦那さんの魂を見つめていた。
俺はこの日、神になって初めて人に深く関わった。
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