第十五話 昔話です(伍)

ひらりさんは、ぽつりぽつりと話し始めた。


彼女は、栃木の田舎よりの地域で、普通の家に生まれたという。

話を聞く限りでは、どちらかというと旧家に近いし、庭も畑もある大きな家だ。


親も祖父母も健在、妹がいる二人姉妹で、6人家族。

誰かに霊感があったとか、家族に特別な慣習があるというわけではない。

ひらりさんは、すくすくと育った。

セミでもカブトムシでも、素手で捕まえられるくらいのやんちゃさがあったらしい。


小学校2年にあがったくらいに、寄り道を覚え始めた。

俺にも覚えがある。

その年頃なら、通勤路を少しだけルートを変えるだけでも大冒険を味わった気になれる。


そんな大冒険の中で、竹やぶを通るルートがあった。

その竹やぶは薄暗い。

なんだか薄気味悪くて、その前を横切るのはためらわれた。


でもこれは冒険なのだと自分に言い聞かして、その前を走り抜けた。


後ろを振り返ると、ただそこに竹やぶがあるだけ。

通り過ぎた今なら、特になんの感情もわかないただの竹やぶだ。

自分の恐怖心に打ち勝ったという達成感は薄まり、もっと自分は恐怖に勝てるはずだという思いになった。


あの竹やぶは、本当に何もない竹やぶだった。

しばらくは竹やぶの存在を忘れていたくらいに。


田んぼとあぜ道だらけの場所だったとしても、そのうち竹やぶのルートを通る。


やはりもう一度対面すると、足の裏をなぞるような怖さが、その竹やぶから感じた。

その日も、ただ通り過ぎればなんてことはない。

厄介ごとというのは、突然理不尽に恐れるものよりも、だいたいが自分の身から出たさびなことのほうが多い。


一度恐怖を乗り越えたという自信と、怖いと思うのはなんだか負けな気がして、ひらりさんは竹やぶを覗いた。

ただ竹が並んでいるだけで、怖いものなんて何もない、そう自分に言い聞かせて。


まだ日も高く、明るいはずの竹やぶは、鬱蒼うっそうとしていた。

外の明るさから目が慣れずにいると、なんだかボロボロの柱のようなものがまず見えた。

朽木くちぎでもなく、もちろん竹でもない。

明らかに人造的なものだ。


これは何のためにあるのだろうと思っていると、目が慣れてきて、他にもあることに気づいた。

しかも規則的にまっすぐ並んでいる。

その柱の中には、柱の上と柱の上で板のようなもので結ばれている。


鳥居だ、とひらりさんは気づいた。

鳥居なら、その先には神社がある。


ひらりさんは鳥居に導かれるように、竹やぶの奥へと足を踏み入れていった。


そこには、半壊した社屋があった。

たぶん神社だったのだろうと状況からしか推測できないほどに、原型をとどめていない。


ふと足元を見ると、狐の像が横倒しになっている。

鮮やかな赤色の前掛けをしている。


ひらりさんは、その狐がかわいそうに思えた。

とはいえ、その狐を起こしてあげられるほどの力はない。


ランドセルに、まんじゅうが入っているのを思い出した。

あんこが苦手なので、こっそり持ち帰ったのだ。

それを取り出し、狐の前に供えた。

この先食べる予定もなく、持ち帰ったら怒られそうなので、ちょうどよいとも思った。


鳥居が朽ちるほどの年月が経っているはずなのに、なぜ前掛けの赤色が色落ちしていないのか。

気づいていたはずなのに何故もっと不審に思わなかったのかと、今のひらりさんは強く静かにつぶやいた。



次の日も、今までのように冒険という回り道をした。

また竹やぶの前に来た。

せっかく来たのだからと、狐の像を見に行った。


まんじゅうは無くなっていた。

カラスが食べたのかもしれない。

とりあえず、手を合わせた。


ただ手を合わせるのもなんだと思って、心の中でこう聞いた。

「美味しかったですか?」

当然、返事はなかった。


その次の日の帰り道も、竹やぶの前に来た。

3か月の中で、たった2回しか通らなかった竹やぶ。

こんな偶然もあるんだと思いながらも、狐の像のほうに歩いた。


特に変わった様子はないように見えた。

せっかくだから、手を合わせた。


「美味しかったよ」

そう聞こえた。

驚いて後ろを向いたが、誰もいない。

動物か虫の鳴き声を聞き間違えたのだろうか。


その次の日、また竹やぶの前に来た。

さすがに怖くなった。

竹やぶの中には入らず、走って帰った。


その次の日、今度こそ竹やぶの前を通らないようにと、竹やぶとは逆方向に遠回りして帰った。

でもなぜか、竹やぶの前に来ていた。

汗が出てきた。

脂っぽい汗が、毛穴からぬるっと出てくるのを感じた。


走った。

家に向かって走った。


でも竹やぶに来ていた。

しかも、竹やぶの中だった。


パニックになった。

竹やぶの外に向かって、泣き叫びながら走った。


また竹やぶの中。

今度は鳥居の下にいる。

鳥居は先ほどまでの朽木ではなく、できたばかりのように鮮やかな赤色をしていた。

鳥居の先には、立派な神殿がたたずんでいる。

狐の像と目が合った。


夢だった。

どこから夢でうつつか分からない、現実の境目があいまいな不思議な夢だった。


それが何度も続いた。


起きているときも寝ているときも、あの竹やぶにさいなまれた。

ひらりさんは衰弱した。


「僕のところに来ないか?」

狐の面をかぶった背の高い男性が、そう話しかけてきた。

この問いは、今回が初めてじゃなかった。


何回も断っていた。

やはり、竹やぶの中だった。


「行かない。おうちに帰りたい」

泣きじゃくりながら、ひらりさんは答えた。


「そうか、おうちか。帰るところがあるからか」

男性がそう言って、夢は終わった。


その日、ひらりさんの家族は全員亡くなった。

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