第十三話 昔話です(参)

『私のこと、殺してくれる?』


その言葉が頭の中で繰り返された。

たまに、ふとした瞬間に、生々しい質感をともなって。


あの日から、1週間はゆうに過ぎた。

ひらりさんに会えていない。

一度も。


毎日山に、ここに来ているのに。

学校が終わってすぐに来て、道を見失わないくらいの暗さになるまで、ずっと待っている。


冬は一日一日深まっている。

山は冷えてくる。

日が暮れる時間が早まる。


ひらりさんに会える可能性が、どんどん狭まってくるような気がしてくる。




日常は進んでいく。


今までの人生がそうだったように。

自身の大学進学という目標に向けて。

着実に。

漫然と。


楽しさも悲しさも嬉しさも怒りも過ごしてきた時間も、普通だったと思う。


あの人に会ったせいで、どっかの感覚がずれてきている。

あんな、2回しか会ってない人のために。


おかしな話だと思う。

今までの15年の自分が、あの2回で、とても変わってしまったような気がする。


なにかもう、自分の形を保てていない。



「ぼんやりしているな」


教室で、休み時間にそう声をかけられた。

隣の席から。


気になる人がいる。

とは打ち明けられなかった。


たぶん、この話は誰も受け入れてくれないような気がした。

自分でもそうだから。


会いに行きたい。

山で起きた夢ではなくて、この日常生活にひらりさんがいることを実感したいと思った。


そう、この学校にあの人はいるんだ。


探そう。

そう思い立った。


昼休みは残り10分。


手がかりが上級生だけ。

8クラスあって、それぞれ40人もいる。

なかなかの確率だ。


山で会うよりはマシか。

1クラスずつ回ればいい。


教卓の上にのかっている名簿を見る。

そういえば、苗字も知らない。

ひらりの漢字もしらない。

ひらがなだと思い込んでいたけど。

キラキラネームで解読不能な漢字だったら困る。


いなさそうだ。


上級生たちからの視線を感じる。

そりゃ下級生がいきなり無言で教室に入ってきたら、俺だって視線を送る。


いつもの俺だったら、こんなことしない。

そんなことより、あの人を見つけられないほうが怖い。


やっぱり、俺はあの人のことをとても気になっているらしい。


1クラスずつ、1人ずつ、焦りが増している。

いないわけないって、思っているのに。


『枸橘 蝶』


目に留まった。

苗字も読めないが、名前もひらりとは結び付かない。

ただ、あの時の、あの人にとまった冬の蝶がよぎった。


顔を上げて、あたりを見渡してみる。

それらしき人影も見つからない。


「ひらりさんはいますか?」


偶然近くにいた女性に聞いた。

このクラスにいなければ、そういう反応をされるだろう。


「ひらり? 誰?」

そういう反応だった。

次のクラスに行こうと思った。


「くきつさんでしょ。最初のころだけ来た」

聞いた女性の隣にいた人が、そう言ってくれた。


「そんなの、よく覚えているね」

「印象に残る人だったからね。くきつさんが、どうかしたの?」


そう聞かれて、適当にはぐらかして教室を出た。


最初のころだけ、来ていた?


今はどうしているのだろう。

なんで、山で会うことができているんだろう。

なんで、制服を着ているんだろう。


最初のころは、どれくらい最初なんだろう。

2年の1学期から? 入学のころから? 

最初からそんな人は存在していなかった?



担任の先生にかけあった。

生徒名簿を見せてくれって。

もちろん取り合ってくれるわけもなかった。


夜に忍び込んでやろうか。

なんて思ったりもした。

ロッカーに鍵がかかっているし、センサーで即、警備会社につながることを知ってやめた。



山の季節は待ってくれない。


雪が深くなってきた。

この場所にも、しばらくしたら立ち入れなくなる。


『私のこと、殺してくれる?』


もう、俺じゃない人に、叶えてもらってしまったんだろうか。


『私のことを好きな人に殺されるなら、今までの人生がすべて幸せに変われると思う』


あの人のことを好きになる人は、きっとたくさんいる。


あの時、死ぬくらいなら、俺と一緒にいてほしいと思った。

会えないくらいなら、あの人の望み、早く叶えてあげればよかった。




「今日は早いんだねえ」


聞きなれた声が聞こえた。

振り向くと、ひらりさんだった。

気だるそうに木に寄りかかっていた。

やはり制服を着ていた。


「もう、死んでるかと思いました」

正直な感想が口から出た。


「まだ生きてた」

あっさりとした口調でそう返した。


「しばらく、来ませんでしたね」

「いろいろあってね」


「いろいろとは?

「いろいろはいろいろだよ」


いろいろはすごく気になるが、それ以上は聞けなかった。


「もしかして、ずっと待ってた?」

「そうですね。毎日」

「毎日? そっかー」


気に寄りかかるのをやめて、俺にもたれかかった。

ひらりさんの匂いに、消毒の臭いが混じっていた。


「私のこと、大好きなんだね」

「そうですね」


それなりに、それほどでも、とか言葉を濁そうと思った。

でも、少しでも正直に伝えないと、また会ってもらえないような気がした。


「うん。私のことを殺してもらうまで、一歩前進って感じだね」

「もしかして、わざと日を置いて、俺を試したんですか?」


ひらりさんは、にこっと笑った。


「それもある」


腹が立った。

俺はあれだけ真剣だったというのに。

もう会えないかと思ったのに。


「からかわないでくださいよ」


ひらりさんの肩をつかんで、引き離した。

ひらりさんは驚いて、表情を硬直させた。


「からかってないよ。いつだって真剣だよ。自分の命を終わらせてくれる人に、ようやく会えたって」


目から涙がこぼれた。

驚いて言葉が出なかった。


ひらりさんは俺に背を向けて、歩き出した。


「待って」

あわてて、あとを追う。

手首をつかんだ。


ひどく、冷たい。

1,2時間程度じゃ、ここまで冷たくならない。


「ごめんなさい」

言葉が見つけらなくて、とにかくあやまった。


「いいの」

ひらりさんはそう言った。

「私もここまで、あなたのことを気になっていたんだって気づけた」


その言葉に、とても愛しさがこみ上げた。


「死ぬくらいなら、一度、俺に人生を預けてみませんか?」


俺なりの精一杯の告白だった。

今の俺に、そう言えるくらいのことは何もない。

でも、本心だった。

まぎれもない。


「やっぱり、私のことを分かってないね。二歩後退だよ」


ひらりさんは、諦めたような顔をして、俺を見た。

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