第十二話 昔話です(弐)

次の日、あの人はいた。

あの日、埋まっていた雪のあたりに。

体育座りして。

スカートで。


人間じゃない気がしてきた。

雪女か山姫かもしれない。


「よっす」

こちらを見つけて、そう挨拶してきた。

 

「……こんにちは」


とりあえず、挨拶を返した。


「会えたじゃん。やっぱりスマホなんていらないね」

「そうですかね」


やっぱり人間だと思った。

足は寒そうに真っ赤にさせていた。

腕の傷も、生々しく訴えかけてくる。


「待ってたんですか?」

「そうかもしれないね」


その返答に少し笑ってしまった。

おかしくて笑ったんじゃない。

あの感覚はうまく説明できない。

背骨と心臓に心地よい電気が流れたような。


我ながら、この表現は気持ち悪すぎる。


「あはは」

彼女も笑ってくれた。

また、キスしてくれるだろうか。

いや、この考えのほうがよっぽどきもいな。


冷静になろう。


そうかもと、言葉を濁されているんだ。

本当は待っていたとかじゃなくて、俺との会話に合わせているだけ。

自分に好意がある下級生をからかっているだけ。

そうだとしたら、本当にただの気持ち悪い男だ。


「今日もキスする?」

「よろしくお願いします」


即答した。

彼女の言葉は、俺の思考をすべてなくすくらいのパワーがあった。


とにかく僕は、十分に、彼女のことに惚れてしまっていた。


「ひらりさん」

名前を呼んでみた。

たった3文字だけど、言い間違えないように細心の注意を払った。


「なに?」

聞かれた。

なぜ名前を呼んだのか、自分でも心中が分からなかった。

キスする前に、名前を呼びたかった。

ここにひらりさんがいる、という実感を得たかった。


「特に意味はないです」

そんなことは言えるわけもなく、そう答えた。


「へえ」

ひらりさんは、にやっと笑った。

「気持ち悪いね」


「え……?」

気持ち悪い……?

どこが?

いや、すべてか……。


世界の終わりかと思うくらいに落ち込んだ。


「じゃあ、おいで」

じゃあって何?

何にかかってる、じゃあなの?

とても混乱する。


でも俺は、言われるがまま近づく。


そのまま抱き寄せられて口唇を重ねた。


やっぱり今日も冷たかった。

柔らかかった。

いいにおいがした。


「そういえば、名前聞いてない」

言ってなかった。


「」

名前を伝えた。

「うるさ」

耳をふさがれた。


しょげた。


どうしたその声量って自分で思うくらいに、大きな声だった。

とてつもない失敗に思えた。


名前を言い忘れていたことも。

うるさい自己紹介をしてしまったことも。

そもそも会った時からすべてが。


俺は全然、かっこよく振る舞えていない。


「なにか、落ち込んでる? 嫌だった?」

もげるほど、首を横に振った。


「嫌われたくないなって思って」

もう正直に自分の心情を伝えようと思った。

もはや、これ以上かっこよくなることも、また逆もないと思った。

こういう駆け引きは俺には無理。

なら素直にふるまって嫌われたほうが諦めもつく。


「嫌われたくない? 会って2回目で嫌われるも何もなくない?」

「いや、一瞬で人を嫌いになることってあるじゃないですか。初対面でも。2回目ならなおさら」


俺の返答に少し考えたあと、なるほどとうなづいた。


「じゃあ、君は私のことが好きなんだね」

「え、あ、はい」


今さら、なぜそんなことを聞かれるのかと思った。

好きに決まっている。

決まっているのか?

分からなくなってきた。

そもそも、好きでもないのに、キスなんてできるのだろうか。


「すごい、あいまいな返事」

俺の返事のしかたは、ひらりさんにとって不服だったらしい。


「好きです」

「会ったばかりなのに?」


いよいよ自信がなくなる。

好きだと思っていた自分の感情は、ただの勘違いなのかもしれないと思った。


そう思って顔をあげる。

目が合う。

どうしたの? という顔で首をかしげる。


目をそらした。

心臓が爆音だった。

このまま目を合わせていたら、たぶん死んでた。


「たぶん、そうなんだと思います」

そのまま続けて、

「俺のことは好きじゃないんですか?」

と聞いた。


自分がとてもひらりさんに惹かれているとはっきりと自覚したら、すごく不安になったから。

祈るように聞いた。


考え込むしぐさを見せた。

即答してほしいと思った。

私も好きだよって。


「好きになってきたよ」

まだそのレベルなのか、とがっかりした。

思っていたよりも期待していたんだなと思った。


でも、がっかり以上に、嬉しかった。


とても。

すごく。


嫌いでもなく、普通でもない。

いや、好き寄りの普通なのかもしれない。


それでも、拳を握りしめて、笑みがこぼれるほど嬉しかった。


「不思議だね」

そう言って、頭をなでてくれた。

何が不思議か分からなかったけど、頭をなでられることの嬉しさがすべての疑問をふっとばしていた。


「じゃあさ」

とひらりさんが口を開いた。

「お願いがあるんだけど」


頭をなでながら、そう言われた。


頭をなでる嬉しさがなくなるほど身構えた。

今までのことは、この“お願い”をするための準備だったのかもしれないと思った。


だとしたら、すべてウソ。

それはすごく怖い。


「お願いって?」

聞き返した。

それは、お願いを受け入れるための、心の準備の一環。


ひらりさんは目を閉じた。

まつ毛が長くてきれいだと思った。


「本当に私のことが好きになったら」

ひらりさんは、言葉を慎重に選んでいるように見えた。

「私のこと、殺してくれる?」


すべての言葉が、理解できなかった。


本当に好きになるって?

殺してほしいって?


なにが?

どうして?


ひらりさんの肩にモンシロチョウがとまった。

開いたり閉じたりしている羽は、もうボロボロだ。


モンシロチョウなんか、もろに春のちょうちょだ。

冬は、彼女の生きる季節じゃない。


「私のことを好きな人に殺されるなら、今までの人生がすべて幸せに変われると思う」


ひらりさんは目を開いて、俺のことを見据えた。

こんなにもまっすぐに、深く見つめられた記憶は、俺の人生で一度もなかった気がする。

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