第十七話 昔話です(漆)

俺はその日から、何度も同じ夢を見ることになる。


辺りは足元も見えないくらいの闇の中。


赤い鳥居だけが、闇の中にぼんやりと際立っている。


その鳥居に、両手を縛られ、ぶら下げられている。

体をゆすっても、縄がほどけることも、落ちる気配もない。


むしろ、逃れようとすればするほど、縛られていく。

手を縛る荒縄が食い込んでいく。


どこからか声が聞こえる。


「離れよ」


“あいつ”の声だと分かった。


どこから?

それとも、誰からか?


声が出ない。

あいつは、俺の疑問も返答も求めてないらしい。


無数のムカデが土から湧いてくる。

そいつらが俺の皮膚を食い破り、内臓を食いちぎり、骨をしゃぶり。

夢の中の俺は死んだ。



これが毎夜、何度も続いた。


目が覚めると、毎回深夜2時。

真っ暗な部屋が、あの夢の闇と重なる。

思わず、体をさする。


体がある。

あの痛みも喪失感も、すべて現実に思える。

ひどい寝汗。


こんな夢に負けるわけにはいかないと思った。

当時の俺に満ちているのは、怒りだった。

ひらりさんに味わせた哀しみも怖さも、こんなものじゃない。

そう思うと、死よりもつらいと思った。




「来なくていいのに」

山のいつもの場所で、ひらりさんはそう言う。


「俺が来なくなったら、ひらりさんが独りになってしまうじゃないですか」

俺はそう答える。


「言うようになったね」


「ひらりさんを守るって決めたので」


「よくそんな恥ずかしいことが言えるね」


「本気なので」


とはいえ、何をしていいかは全然思い浮かばなかった。

現状は何も変わっていないし、むしろ俺の体調的には悪くなっている。


ひらりさんだって、何もしないで今の状況を甘んじているわけではなかった。

お祓いも、ネットに転がっている除霊方法を試してみていた。


鏡の前で呪文を唱えたり、自分の髪3本と塩を紙に包んで焼いてみたり、人型に和紙を切り抜き血を心臓あたりに垂らしてから川に流したり。


どれも効果がなかったらしい。


今の俺からすれば、まったく効果がないわけではなかっただろうと想像はつく。

そういうお祓いやまじないは、本人の気持ちが強くなることや、守られていると信じることで、憑き物が落ちる。

中には本当に、霊や悪意を落とすことができる能力を持った人間がいたのかもしれない。


でも相手が悪い。


でも、当時の俺たちは分かっていなかった。

“あいつ”とはなんなのか。


悪霊とか呪いとか祟りとか、そういった人間が生み出したものじゃない。

もっと厄介なもの。

“神”なのだ


神を祓うことなんか、できない。

日本のあらゆる書物の中で、神を人間が殺したという記述はない。



「キスしていいですか?」

出口のない、水面も見えない、真っ暗な水中にいる気分だ。

でもひらりさんと一緒にいるときは、息苦しさを忘れられる。


「誘い文句はもっと勉強してほしいな」

ひらりさんは笑う。


「生きてるって感じ」

キスのあとに、ひらりさんが言う。


「そうですね」

同意した。


「あー、困っちゃうな」

ひらりさんが顔を覆いながら言う。


「何にですか?」

これ以上に、困ることが起こってしまったのだろうか。


「本当に好きになりそう」

ひらりさんは顔を覆ったまま、小さい声で言う。

顔が熱くなるのを感じた。


「今までは本当じゃなかったんですか。やっぱり、からかってたんですね」

本当は嬉しいくせに、そう返した。


「本当の気持ちなんて、もう私にはないと思ってたから」

ひらりさんの声が、急にトーンを変えた。


「もう見たくない。これ以上好きな人が苦しむのも、死んじゃうのも」

覆った手を外さずに言う。


「別に俺は苦しんでもないし、死にもしません」

そう強く否定した。


「来てくれるの、嬉しかった。来ないでって言えなかった。ごめんね。あの夢を見ているのも知ってた。どんどんあなたが衰弱しているのを黙ってみてた」

ひらりさんは手のひらを外した。


「ごめん。本当にごめん。ようやく言う決心がついた」

ひらりさんの顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「もう来ないで。私を忘れて」


「今さら、そんなの無理ですよ」

絞り出すように、そう言った。


「明日から、閉山だよ」

雪が深くなって、とうとう明日に閉山される。

「もうこの山も、私たちを守ってくれない」




雪が深い。


俺は山頂の祠を目指していた。


ひらりさんはなぜ、この山にいるのか。

どうして、俺なんかがひらりさんを殺せると思われたのか。


その答えがそこにある。

かもしれない。


さすがにこんな時期に山には入らないので、新鮮だ。

なんの装備もないスニーカーだから、足をとられる。


「何のために生まれて、何のために生きるのか」

ふと歌が口から出た。


ある有名なアニメの主題歌。

ひらりさんがたまに口ずさむことがある。


幼児向けアニメソングを歌うなんてかわいいな、としか思わなかった。


ひらりさんはずっと思っていたのだろう。

自分は周囲を苦しめるために生まれてきたのか。

苦しめられるために生きているのか。


寒さで、手袋と袖の間にのぞく皮膚が赤くかじかんでいる。

不思議と痛みはない。

心が麻痺っているんだろうか。

ひらりさんもあの時、痛みを失っていたんだろうか。


俺は、ひらりさんには、幸せになるために生きてほしいと思った。

ひらりさんを救ってくれるのであれば、神頼みでもなんでも可能性のあることはやりたかった。


山頂にはもうすぐ着く。

そんな時だった。


雑草が一輪、紅色の花を咲かせていた。

雪の中に。


「お主。とんでもない穢れを持ち込んできたな」


雑草から声が聞こえてきたのかと思った。

雑草の脇に、人が立っていた。

和装した、髪の長い女性だった。


人の気配なんてなかった。


確実に、人ではないと思った。


「俺に、力を貸してください」

俺はその場に座り込んで、嘆願した。

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