第五話 いえ、それはヨネさんです
「ヨネさんが、苦しみ?」
「そうだ。俺はばあさんを苦しめた。
前世の業から来る自業自得を、満たされない乾きを、いらだちを、悪意のないばあさんに向けた。
そして今、後悔がある。
魂を焼き尽くすような、かきむしるような後悔だ。
地獄の責め苦なんかよりも、よっぽどこちらのほうがつらい」
「…………」
そうかもしれない、と思った。
「俺はもうばあさんを傷つけたくない。いや、もう誰も苦しめたくない。でも俺は……、きっとまた同じことを繰り返す」
魂は本格的に黒ずみ始めた。
確実に崩壊に向かってる。
もうダメだとすら思える。
でもそれは、この世にとっても、じいさんにとっても、いいことのように思えてきた。
「こんな俺でも、ばあさんに会えたのは良かった。心の安らぎがそこにあった。
生きる頃はそれすらも煩わしく感じて、さんざん、ばあさんを苦しめたがね。
人間でいるということは、なぜこんなにも盲目的で妄執的なんだろうな。
大切なものを踏みつぶして、はしゃぐ子どものようだ」
かける言葉が見つからなかった。
俺は神だが、人と立場は変わらない。
神として道を踏み外せば、やはり地獄に落ちるのだろう。
そう思うと、じいさんと自分が重なるようにすら思えた。
「消えるなら、幸せだったころの記憶とともに消えたいんだ」
そう言うじいさんを、黙って見守るべきかとも思った。
いや、確実にそう思っていた。
ただそのとき。
線香の香りが漂ってきた。
見ると、ヨネさんが帰ってきて、線香をあげていた。
そして、踏み台に上り、低い背を背いっぱい延ばして、段ボールをおろす。
段ボールには
それを開いて、組み立て始めた。
ヨネさんは、お盆の準備を始めたのだった。
しかも、提灯が6つも並べている。
汗だくになって。
ヨネさんは一通り準備が終わると、仏壇に向けて手を合わせて、深々と頭を下げた。
ピラミッド状に重ねたおはぎと、きゅうりの謎生物(馬)とともに。
「これであのじいさんも、ちゃんと帰ってこれんべ」
提灯は我が家への道しるべ。
きゅうりの謎生物(馬)はあの世から、我が家までの乗り物。
おはぎには、長旅の疲れを癒やす。
そう言われている。
涙が、出そうになった。
もう間に合わない。
じいさんの魂は崩壊する。
「ヨネさんは、まだこの家に帰ってきて欲しいそうですよ」
俺がちゃんと説得できていたなら、あの世に送り返せていたら。
「こんな俺が、また帰ってきてもいいんだろうか」
じいさんがそう言う。
もっとその言葉が早く聞けていたなら、と思った。
魂の黒ずみも、崩壊も進んでいる。
消え入りそうな声で。
「少なくとも、ヨネさんはそう願ってますよ」
そう応えるのが精一杯だった。
人の体であったなら、嗚咽が混じった声になっていただろう。
神なのに、一つの命も救えない。
一年連れ添った友人を見殺しにした。
「時間がないから、我が連れてく」
声がしたと思ったら、座敷童が近くにいた。
「座敷童ではない。この家の守り神だ。あとは我に任せよ」
あまりの急展開に言葉がでない。
「あの」
「なんだ」
「間に合うんですか?」
しょうもないことを聞いてしまった。
「任せよ、と言ったはずだが」
「あ、ありがとうございます」
「勘違いするな。礼を言いたいのはこちらだ。こんな出来損ないの子孫を、言葉も届かなくなった大罪人を、よく救ってくれた」
「いえ、それはヨネさんです」
「だとしても、お前のおかげだ」
そうなんだろうか。
「ぐだぐだ考えるな! 時間がないから行くぞ! お前も神なら、自分のした功徳くらいしっかり認識をしろ!」
そう行ったが最後、守り神とじいさんは姿を消した。
俺はほっとして、座り込んだ。
「我ながらうめえなこれ」
ヨネさんは、おはぎを美味しそうにつまみ食いをしていた。
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