Ⅱ.デレが甘くて重いワケ
第6話 過去は呪い
悪夢にうなされることなく朝を迎えることができたのは、一体いつぶりのことだろうか。
ゆっくりとベッドから身体を起こす。
傍らでは、昨日出会ったばかりの青年がベッドに上半身を預けるようにして眠っていた。
私の左の手のひらは、彼の大きな手のひらに包まれている。ゴツゴツとした武骨な彼の手のひらは不思議と優しくて、温かくて、心地いい。
「そっか……私、寝ちゃって……」
昨夜の記憶が少しずつ、ぼんやりと蘇っていく。
————今夜は、帰らないで。ずっと一緒にいて。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
自分の口から飛び出たとんでもないフレーズが頭の中をリフレインして、私は悶える。
(私、なんて大胆なことを……!?)
酔いが回っていたとはいえ、初対面の年下の男の子をあんなふうに誘うなんて、まるで痴女のようではないか。
淑女としてあるまじき行為だ。
私はまだ、未経験だというのに。
彼にもきっと失望されたに違いない。
(何であんなこと、しちゃったのかしら……)
ふいに心臓がズキリと痛む。
決して消えることのない数年前の呪いが心の奥深くを蝕んで、腐らせている。
せっかく彼のおかげで気持ちのいい朝を迎えられたはずだったのに、私は自ら、何度でも、そのキズを抉って、思い出して、苦しむのだ。
逃げることなど、許されない。
(でも、昨日は楽しかった……)
酔っ払った私の世迷言を聞いて、こうして朝まで一緒にいてくれた飛鳥くん。どうしたって、その寝顔を見つめる視線には熱がこもってしまう。
彼はとてもおかしな人で、おバカで、お調子者だ。だけどそれらは全て、私への気遣いに他ならない。偏屈な私を笑わせるために、いつだって彼は演じている。
だって、本当の彼は、とても強くて、優しい人。
おい————その人に触るな。
そう言って不良から助けてくれたときの、あの瞳が忘れられない。
あの瞬間、凍りついていた私の心にヒビが入った。揺れることを思い出した。トキメクことを知った。
格好いいって、思ってしまったから。
「私、いいのかな……もういちど、できるかな……」
かつての恋人は、まるで急な川の流れに攫われるかのように、人生に翻弄され、惑わされ、最後には私の前から奪われ、消えてしまった。
もう恋なんてしない。
もう誰も信用しない。
女という存在は、私から大切なモノを掠め盗っていく。
男という存在は、何度だって私を裏切って、いなくなる。
だからこの心のカギはもう2度と、誰にも明け渡さない。
私は、独りで生きていくんだ。
そうすればもうこれ以上、ツラい想いをしなくて済むのだから。
(それなのに……)
左手に宿る温かさが、心の扉をいとも簡単に貫通して開け放ち、浸透してゆく。
彼ならばって、もしかしたらって、淡い期待を、夢を、描いてしまうのだ。
「ねぇ、あなたを信じていいのかな……」
誰よりも強くて、優しいあなたなら。
私をお姫様にしてくれた、王子様なら。
「あなたは私を……裏切らないよね?」
何が正しくて、何が間違っているのか、わからない。
進んだところでまた、辛くて険しい道が待っているのかもしれない。
人生とは、そういうものなのだと思うから。
だけど、この温もりに触れてしまったから。
きっともう、独りは寂しくて、悲しくて、辛くて、耐えられないから。
今はただ、この衝動に身を任せてみたい。
「しぇん……ぱぁい……」
むにゃむにゃと寝言を漏らすその姿はこんなにも可愛らしいというのに、まったく……
「格好いいあなたが悪いんだからね。ちゃんと責任とってね、飛鳥くん」
重い女と思ってくれて構わない。
私はきっと、これを人生最後の恋にするのだから————。
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