第7話 私の王子様
目覚めた時には、もうベッドに先輩の姿はなかった。
肩には毛布が掛けられていて、温かい。警察を呼ばれたりしていなくて心の底から胸を撫で下ろす。それは先輩が俺の存在を容認してくれた証拠のように思えた。
立ち上がって、先輩を探しに出かける。
「あら、おはよう飛鳥くん。ごめんなさい、あんな姿勢のまま寝かせてしまって……」
先輩はキッチンで朝食を作っていた。
昨日も見かけたエプロン姿はどこからどう見たって新妻さんで、やっぱり可愛らしくて、胸が高鳴る。それは今までどんな女性にも感じたことがないほどの高揚だ。
否応なく、昨夜の感情がアルコールによるものではなかったことを再認識させられる。
「おはようございます。こちらこそ、すみません。朝までお邪魔しちゃって」
女性宅にお邪魔することさえ初めてだったのに、なんだか遠いところまで来てしまったかのような気分だ。
ま、これで童貞のままとか嘘だろって話だが。もし翔にでも話そうものなら爆笑必至だ。
「ところで先輩、昨日のことって————」
「ご飯できたから、運ぶの手伝ってもらってもいいかしら」
「あ、はい。なんなりと」
綺麗に盛り付けられたプレートをテーブルへ運ぶ。
(話を逸らされた? それとも、偶然?)
先輩がどこまで覚えているのか聞きたいと思っていたのだが……。
(まぁ、酔っていた時の話だしな)
あまり蒸し返すのもマナー違反だろう。
先輩から触れてこない限り、闇に葬ることとする。俺としても、ちょっぴり黒歴史だ。今この場で再告白するような度胸もない。
(よし、忘れよ!)
おとなしく朝食をいただくことにした。
朝食はもちろんのこと美味すぎて涙が溢れた。
☆
その後、お互い2限からの授業ということで一緒に部屋を出た。
なんだこの同棲カップル感、神か。
俺は帰宅していないため今日の授業の教科書やら何やらを何一つ所持していないが、そんなことがどうでもよくなる尊さだ。
そして俺はさらにこの状況へ便乗することにする。
「先輩先輩」
「なに?」
「またいつあの不良が現れるかもわからないので、しばらくは一緒に登校しましょう」
2度とあんなことがないように後で手を打つつもりではあるが、念には念を入れておくべきだ。
「ありがとう、わかったわ。それじゃあ2人の予定をちゃんと合わせないとね」
先輩は快く了承してくれた。
基本的には大学から近い先輩の家に俺が迎えに行く形になるだろう。毎朝ウキウキすぎてテンションがおかしくなりそうだ。
「あまり俺から離れないでくださいね(キリッ)」
冗談のつもりでキメ顔する————と、
「今日は勇敢な騎士様なのかしら?」
そう言って、恋人みたいに俺の腕を取って絡ませた。
「しぇ、しぇんぱい!?」
こ、これは一体どういうことだ!? 何が起こっている!? 酔っている時はともかく、通常時の夜噺先輩はあくまで塩対応寄りのサバサバした存在ではなかったのか!?
今回だって「もぉ、バカ……♪」ってやんわり断られるもとい褒められて終わりだと思っていたのに!?(妄想)
「私を守ってくれるんでしょう?」
先輩はさらに腕を絡ませていく。
「ぜったい離れないでね」
「アッアッアッ……」
このままだと俺の理性がもたない。幸せすぎて死ぬのも時間の問題。
こんな時は他のことを考えるんだ。そうだ、俺は今まで誰よりも苦しんできた。挫けてきた。絶望だってした。そんな気持ちを抱かせてくれた……あの悲しき合コンモンスターたちを思い出すんだ……!!
「うぉっぷ……」
やばい、今度は吐きそう。
しかしそのおかげで、気持ちは少しだけ落ち着いた気がした。
「ねぇ飛鳥くん」
「な、なんでしょう……!?(ウプッ)」
「今、他の女の子のこと考えてなかった?(グイグイ)」
「ふぁっ!?」
「私がいるのに……」
先輩はちょっと拗ねたように上目遣いを寄せて抗議の意を示してきた。
こっちを見てと言わんばかりに俺の手を引くたび、胸元が密着して、柔らかい感触がする。
(これって……まさか、おっぱい!?おっぱいなのか!?おっぱいって幻じゃないんだ!?)
触れたことがないゆえ、蜃気楼のようなものかと思っていた。
なんて気持ちのいい感触なんだ。もう永遠にこの時間が続けばいい。このまま俺が死ねば、この感触を永遠と呼べますか?
いやしかし、先輩の機嫌を損ねるのはよろしくない……!
俺は断腸の思いで一念発起する。
「あれらは人外なので許してください……!!」
「え……? 人外?」
「あれは女の子などという生易しいものではありません。恐ろしきクリーチャーなのです……」
「そ、そう……なんだ?」
あまり意味が伝わっていないようだったが、先輩は鬼気迫る俺の気迫に押されるようにして矛を収めてくれた。しかし、同時に俺はおっぱいを失った。
大学のキャンパス内へ入ると、徐々に視線が気になってくる。
あの絶対にデレないと言われる大学1の美少女、
悪目立ちしないはずがなかった。
「ねぇ、あれって夜噺先輩だよね?隣の男だれ?え?どうなってんの!?」
「私知ってる!あれって合コンゲロ王子だよ!」
あれ?なんか異名が変わってないか?
太郎から王子とはかなりの躍進を遂げたらしい。いや、まず前半をどうにかしてくれよ。
「それって昨日話題になってたやつだよね?」
「そうそう。合コンゲロ王子、意外とカッコよかったんだよ!見直しちゃった!」
どうやら昨日の噂は十分以上に広まっているようだ。
「あ、あの……先輩?キャンパス内は安全だと思うんで……その……離れても……」
「嫌」
頑なな先輩はむしろもっとくっ付いてきて、再びおっぱいと出会う。
お久しぶりです。今後ともどうぞご贔屓に。
「飛鳥くんは、他人の視線が気になる人?」
「いえまったく」
考えてみればそうだ。俺は元々、講義室で奇声をあげるような男である。視線には慣れている。
おっぱいの方が1億倍だいじ。
「それなら問題ないわね」
「もーまんたいでした。先輩、講義室どこです?そこまで送りますよ」
「ありがとう。1号館の方よ」
授業が始まれば強制的にこの時間も終了してしまう。周囲のことなんて忘れて、思う存分堪能させていただこう。
「ちょ、ちょちょちょちょー!?」
しかしそう思惑通りに行くはずもなく、慌てた様子でチャラ男がこちらへ駆け寄ってきた。
「ちょっとちょっと夜噺さん!? どういうこと!? どうしてそんな冴えないやつと一緒に!?」
至極真っ当すぎる質問に思わず苦笑いしてしまう。
噂が広まっているとはいえ、まさか誰も日を改めてなお俺たちが一緒にいるとは思っていなかっただろう。
この質問はオーディエンス全員の気持ちの代弁だ。
さてどう答えたものか。
考えていると、先に夜噺先輩が口を開いた。
「私が誰と一緒にいようと、私の勝手でしょう」
それは昨夜からなりを潜めていた、彼女が絶対にデレないと言われる由縁。
先輩とチャラ男くんの間には、分厚すぎる心の壁が存在した。
あまりにも冷たくつれない瞳に射抜かれると、チャラ男くんは冷や汗を垂らして一歩後ずさってしまう。
「それとも何か、あなたの許可が必要なの?そもそもあなたは誰?気安く話しかけないで」
「い、いや、その……」
チャラ男くんはどうにか挽回しようと言葉を探しているが、
「邪魔」
先輩は一蹴して俺の手を引き、歩き出す。
「あっ……」
背後から物悲しさ溢れるか細い声が聞こえてきた。完全に消沈してしまったチャラ男くんが俺たちの後を追ってこれるはずもない。その場に立ち尽くして、呆然としていた。
俺でもさえもわずかな同情の念が湧いてしまうほどだ。
「よ、よかったんですか? なんか、いつも以上に言葉にトゲがあったような……?」
先輩の様子が気になって問いかける。
「だって……」
すると母親に怒れらる子どものように俯いてしまう。それから赤面した顔に、頬を膨らませて、駄々をこねるみたいに小さく呟いた。
「飛鳥くんは、冴えないやつなんかじゃないから……」
「えっ……?」
その返答は本当に、まったく予想していなくて、視覚外からの右ストレートをもろに喰らってしまったかのような気分だった。
「……なにニヤけてるの?」
ひとりでに唇が吊り上がって、表情筋がふにゃふにゃで、言うことをきかない。
「ちょっと、嬉しすぎて。……もっかい言ってくれません?」
「もぉ、バカ……♪」
その後、先輩を講義室まで送って別れた。
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